All praise be to God 《2》
それから数日、樺地は跡部に全く近づけなかった。
部活でも、跡部が全身で自分を拒否しているのが分かる。
近付くな。
話しかけるな。
言葉には出さなくても、そういう雰囲気がひしひしと感じられ、樺地は立ち竦んだ。
跡部の機嫌が直っているかと思ったが、全くそうではなかった。
跡部に拒絶されるのは、辛かった。
たとえ跡部がどんな乱暴な事や酷いことをしてきても、樺地は跡部のことを慕っていたからだ。
理由を聞こうにも、跡部には近寄れず、近寄れたとしても、跡部は理由を教えてくれそうにもない。
樺地には、為す術がなかった。
跡部は、普段細々としたことを全て樺地にやらせていたから、樺地がいないと全部自分でやらなければならないことになる。
苛々として悪態を吐きながら、跡部が身の回りの事をしているのを見て、樺地は穏和な瞳を曇らせた。
一体何が彼をあんなに頑なにさせているのか。
跡部が怒る時は-----彼の高いプライドが傷付いた時であり、余人には分からない、彼なりの論理や主張が阻害された時である。
だから、何かあったのだ。
自分の行動に関して、跡部のプライドを傷つけた物が。
思い当たるのは、小学校の同級生と立ち話をした事しかない。
しかし、今までだって、樺地は他人と話をして跡部を立ち止まらせたことは何度もあった。
少々機嫌が悪くなったが、跡部は別に怒りはしなかった。
樺地には、今までと、今回の区別がつかなかった。
「おい、樺地、どした? 跡部と喧嘩でもしたんか?」
跡部がぷい、と一人で行動し、樺地がそんな跡部を気にしつつも跡部の側に行かないのを見てとって、忍足が話しかけてきた。
「珍しいなァ、跡部があんな怒っとるなんてな。……全く、跡部もバカやな。おまえしか、優しくしてくれる奴おらへんっちゅうのになァ」
「……………」
樺地が困ったように押し黙っていると、宍戸が話しかけてきた。
「たまには、跡部のお守りから解放された方がいいんじゃねえか? おまえ大変だろう、いっつもさ、あの我が儘な女王サマのお守りじゃさ」
「…………そんな事はないっスが……」
樺地は小さい声で答えた。
「……なぁ、一緒に練習しようぜ?」
向日がひとなつこく笑い掛けてきた。
「おまえさ、すっごく足早いだろ。オレとラリーしようぜ。な、行こう行こう」
樺地が年に似合わず謙虚で寛容な性格なのを、部員の誰もが知っている。
いつもは跡部が不機嫌そうに睨んできて樺地に近付くことはできないが、その跡部がいない今は、樺地に気軽に話しかけることが出来る。
そして、樺地はテニスの才能も実力も、抜きんでていた。
だから、正レギュラーの誰もが、樺地と一緒に練習をしたがっていたのだ。
「なあ、行こう行こう!」
向日が樺地の手をぐいと引っ張って、二人はコートに出た。外に出ると、跡部がコートの端のベンチにぼんやりと座っているのが見えた。
樺地は窺うように跡部を見た。
が、跡部は、樺地と視線が合いそうになると、ふい、と目を逸らした。
樺地自身は、跡部に冷たい仕打ちをされても、いつまででも待つつもりだった。
跡部が、機嫌を直して、話しかけてきてくれるのを。
樺地にとって、待つことは苦痛ではない。
しかし、自分がいなくて跡部は大丈夫なのだろうか。
樺地にはそれだけが気がかりだった。
跡部が自分に、生活上の事も精神的にも依存していることを樺地は分かっていた。
だから、あまり離れているのは、跡部にとって良くない。
………しかし、跡部が全く自分を拒絶している現状では、どうしようもない。
とりあえず、目の前で自分に話しかけてきてくれる人間を喜ばせよう。
博愛精神に満ちた樺地は、向日や宍戸の練習に夕方遅くまで付き合ってやった。「なぁ、帰りにさ、なんか食ってこうぜ?」
部活が終わって正レギュラー用の部屋で着替えていると、宍戸が樺地に話しかけてきた。
「おまえ、牛丼好きだろ。なぁ、牛丼屋でも行かねえ? なぁ、行こうぜ、ガクトどうだ?」
「侑士は?」
「まぁ、たまにはええかな」
「そうだよね。樺地、行こう行こう。オレ、今日奢ってやるよ。随分練習付き合ってもらったからさ」
向日がにこにこしながら話しかけてくる。
----------バタン。
その時、ドアが大きな音を立てて開き、ふわり、と柔らかな髪が綺麗な残像を描いた。
跡部が乱暴にドアを開けて出ていったのだ。
忍足が肩を竦めて、手の平を上に向ける。
「何怒ってるんや、あいつ……」
「生理なんじゃねえ?」
「ははは、そりゃありそうや」
「ま、あんなやつほっといて、行こうぜ!」
日頃プライドの高い跡部を苦々しく思っている宍戸や向日が、ここぞとばかりに跡部を悪し様に言う。
そんな風に部員たちに思われてしまっているのは、跡部自身の振る舞いの結果である。
向日や宍戸が跡部を悪し様に言うのもいたしかたないことかもしれないが、樺地にとっては胸が痛かった。
跡部は誰も心を許せる人がいない。
こんな風にいない所で悪口を言われ、彼自身も部員達を拒否している。
その中に、自分も入ってしまうのだろうか。
でも、そうしたら、跡部は一体誰に頼ればいいのだろう。
一人きりになってしまう跡部のことを考えると、樺地は胸が詰まった。学校からほど近い所に、全国チェーンで有名な牛丼店があった。
樺地はそこで向日に牛丼を奢ってもらった。
カウンターに座って、賑やかに話したり笑い合ったりしている向日や宍戸や忍足を見ると、樺地も思わずにこにことなった。
学校のたわいもない話題、趣味の事、テニスの事、そんな事を明るく話し合えるというのはいい。
牛丼を食べて、ごちそうさまです、と向日に頭を下げて礼を言うと、向日が照れくさそうに笑った。
「いーんだよ。樺地はほんと丁寧だよな。人が良すぎるんじゃねーの? もうちょっとでっかく構えてていいんだよ。何しろ正レギュラーなんだから」
「そうだよあ。樺地、おまえみたいに力の強いヤツいないんだから、もっといばってろよ」
「いやいや、樺地は腰の低いところがええんや」
みんなでわいわいとしゃべりながら店を出る。
「じゃ、また明日な」
挨拶を交わして、それぞれの自宅へ去っていく後ろ姿を見送って、樺地も帰路についた。樺地が店から数メートル歩いて、最初の通りを曲がったときの事である。
ふらり、と樺地の行く手を遮るように、誰かが飛び出してきた。
驚いて立ち止まると、
「……………!」
出てきた人物が跡部だったので、樺地は更に驚愕した。
先に、帰ったはずだが。
自宅へは帰っていなかったのだろうか。
制服をだらしなく着崩して、テニスバッグを手にぶらぶらと持ったままで、跡部はよろよろと千鳥足だった。
街灯に照らされて、白晰の顔がほんのりと赤みを帯びていて、吐く息が酒臭かった。
制服を着たままで、酒を飲んだのだろうか。
しかも、こんな往来で。
もし事が露顕したら、重大問題である。
「樺地〜、おまえ、人気あるな〜」
酔って呂律が回らなくなったような口振りで、跡部が樺地を見上げながら、吐き捨てるように言ってきた。
睨んできた目が酔っていて、赤く潤んでいる。
「オレなんかの相手しているより、ずっと楽しんじゃねえか。ああ?」
威嚇するように顎を突き出して言いながら、跡部が拳で樺地の頬を殴ってきた。
酔っているせいか力はなく、たいした衝撃ではなかった。
樺地はじっと動かずに、跡部が殴って来るままに跡部の拳を受けた。
「なんとか言えよ、樺地〜。てめぇ、結構しゃべれるじゃねえか」
樺地が黙って突っ立ったままで何の反応もしないのに焦れたのか、跡部が唇を歪めてぺっと唾を吐いた。
「おい、なんとか言えよ。いっつもウスばっか言ってんじゃねえ!」
何度も殴られると、さすがに顎が痺れ、口の中に鉄の味が広がってきた。
それでも樺地はじっと黙って立っていた。
「よぉ…………樺地ぃ………オレなんかとは話もできねえっつうのか?」
拳を突き出す度に、上半身が揺れ、跡部が蹌踉めく。
転びそうになったところを樺地が抱き留めると、跡部はだらりと樺地に寄りかかって、小さい声でちくしょう、とかてめえ、とか悪態を吐き続けた。
どうみても酒に酔っている、しかも氷帝学園中等部の制服を着た中学生を目撃した周囲の人々が、こそこそと会話をしたり指さしながら自分達の方を見ている。
このままここにいては、まずい。
そう思った樺地は、跡部の腕を自分の肩に回し、担ぎ上げるようにして、跡部のバッグを手に持つと、足早にその場を立ち去った。跡部の家まではそこから2キロほどあり、樺地の足でも20分はかかった。
その間、跡部は相変わらず口の中でぼそぼそと悪態を吐きながら、それでも酔いが身体中に回ったのか、ぐったりとして樺地に凭れかかっていた。
跡部の家には毎日のように来ているから、樺地は跡部の家のセキュリティの解除から鍵の施錠まで、何もかも熟知していた。
常駐の警備員にぺこり、と挨拶をして跡部の家に入ると、鍵を開け、広い階段を昇って二階の奥の跡部の自室へ入る。
くったりと自分の肩にしなだれかかった跡部は、起きているのか寝ているのか分からない状態だった。
衝撃を与えないようにそっとベッドの上に横たえて、テニスバッグを跡部の机の脇に置く。
ベッドに横たえたとき、跡部は目を瞑っていたから、寝ているのかも知れない。
とにかく帰ろう。
そう思って、部屋を出ようとしたとき、
「……樺地…………」
自分を呼ぶ低い声がしたので、樺地は振り返った。
ベッドの上で上半身を起きあがらせた格好で、跡部がじっと自分を見つめていた。
酔いが少し醒めたのか、先程とは違って、跡部は絡むような口調ではなくなっていた。
部屋を出ようとしていた足を止めて、跡部の側まで戻ると、跡部が樺地を見上げてきた。
------と、急に跡部が服を脱ぎだした。
ジャケットとシャツを脱いでベッドの脇に放り投げ、ズボンをもどかしげに下着毎脱いで、それもベッドの脇に放り投げる。
樺地は驚いた。
呆気に取られてそのまま跡部を見ていると、跡部が樺地を睨むように見ながら、樺地の服に手を掛けてきた。
「……………」
樺地は基本的に、跡部の振る舞いに逆らわない。
だから、その時も跡部に従った。
跡部が樺地の上着を脱がせ、ズボンのベルトを外して下ろしてきた時も、じっとしていた。
樺地を全裸に剥くと、跡部がその樺地の腰に手を回して抱き付いてきた。
跡部の火照った身体にぎゅっと抱き付かれて、樺地は困惑した。
「樺地…………」
その時跡部が、樺地の引き締まった腹筋に顔を擦り付けながら、囁いてきた。
「……なぁ、オレとセックスしようぜ?」
て、展開が唐突です………ね。