EMOTION 
《1》















「ねえ、エージっ、手塚と映画見に行った?」
3学期が始まった、始業式の日。
始業式の前の大掃除で、教室のモップ掛けをしている菊丸の所に、ガラスクリーナーを手にした不二がやってきて、にこっと笑いながら話しかけてきた。
「えっ?………うん………まあ……」
驚いて思わず口ごもりながら答えると、不二が肩を竦めて、窓ガラスにしゅっとクリーナーを吹きつけた。
「やっぱり、そうか……」
「……なんで知ってるの?」
「いや、僕もあの映画、見に行ったんだよね。……ちょうど入れ違いだったみたいだけどさ。僕が帰ろうとしたら、キミと手塚が入ってきたから……」
「そ、そうなんだ……」
なんとなく、後味が悪い。
別に隠すような事でもないのだが、菊丸は身体をもじもじさせて、モップ掛けに専念する振りをした。
「でもさ、エージ、……いつのまに手塚と仲良くなったのさ?」
不二が、窓ガラスを一拭きして、菊丸を覗き込んできた。
「ちょっと意外……」
「……え、なんで?」
「……だって、手塚って、エージと一番合いそうにないから……」
「合いそうにないって、それ、なんだよっ!」
「あ、ごめんごめん……」
不二がくすっと笑った。
「うーーん、……表現が悪かったかな?……手塚とエージで、なんか話することあるのかなって思って。……趣味とか、合いそうにないじゃん?」
「………うん………」
そう言われると、確かにその通りだった。
「あの映画、エージの趣味でしょ?……手塚はああいうの、見に行かないと思うよ?」
「そうかにゃ………手塚に悪いことしちゃったかな……」
「いや、そういう事じゃないんだけど……」
不二が首を傾げて笑った。
「手塚には、いい刺激じゃないかな? たまにはああいう明るいのを見るのもね。……手塚、どうだった?……楽しそうに見てた?」
「うん、なかなか面白かったって言ってたよ?」
「ふーーん………」
不二が、何か珍しい物でも見るかのように、菊丸をしげしげと見つめてきた。
「……な、なに?」
「いやあ、あの手塚がそういう事言うなんてね。……エージ、キミものすごく気に入られたんだね?」
「………そう?」
「うん。手塚がねえ………」
くすくすと笑いながら、不二がガラスを拭く。
「なんだよ、その笑い………」
なんとなく面白くなくて、ぷっとふくれながら言うと、不二が瞳を細めて苦笑した。
「ごめん。…………エージ、手塚のこと、………好きなの?」
----------ドキン。
急に『好き』という単語が出てきて、菊丸は狼狽した。
モップを持つ手に力が入りすぎて、壁に激突させてしまう。
「ふふふ………」
不二が可笑しそうに笑った。
「なるほどね。………まぁ、がんばりなよ……」
「……不二っ!」
「手塚、かなり脈あると見たよ?」
「そ、そう?」
「うん。だって、エージに合わせてる手塚なんて、思いもよらなかったもの……」
「………合わせてくれてるのかな?」
「きっと、エージに気を使ってるんだよ。エージと一緒にいたいから、映画も見に行ったんじゃない?」
「…………」
「………エージ、手塚の事、好きなんでしょ?」
不二にずばっと言われて、菊丸は赤面した。
「……だ、誰にも言うなよ?」
不二の襟をひっつかんで、睨みながら言うと、不二がくすっと笑った。
「分かってるよ、大丈夫、言わないから。……でも、その代わりに、経過報告してね?  あの手塚が、果たしてエージの手に落ちるのかどうか、僕も楽しみだから……」
「やなヤツ〜〜!」
「そのくらい、教えてくれたっていいじゃない?」
不二が菊丸を軽くいなして言う。
「ちえっ………」
頬を膨らませながらも、菊丸は不二の言った「かなり脈ある」という言葉に、すっかり気を良くしていた。















「ね、ね、手塚っ、今日オレんち遊びに来ない?」
数日後。
部活が終わった後、菊丸は少々勇気を出して、手塚を誘ってみた。















不二に言われてからというもの気になって、菊丸は、手塚を観察していた。
すると、なるほど、不二の言うこともあながち嘘ではないように思われた。
自分が話しかけると嬉しそうにするし、教室に遊びになど行くと、たとえ何か用事があったとしても、それを中断して自分の所に来てくれる。
そんな風に懐かれて、菊丸が舞い上がらないはずがない。
菊丸に対する態度が他人よりも親密だという事に、手塚自身気付いていない様子なのが、いかにも手塚らしくて、菊丸はぞくぞくするほど嬉しくなった。
(まぁ、一応、兄貴だしね………)
手塚にとって、自分は、他の部員とかとは違って特別なんだ。
そう思うと、手塚を独り占めできたようで、訳もなく誇らしくなる。
しかし、そうは言っても手塚のこと、菊丸が思っているようには、向こうは自分の事を想ってないだろうというのは、容易に想像が出来た。
(手塚……鈍感だもんね………)
鈍感というよりは、そういう恋愛感情に無垢であると言うべきか。
「オレがさ、手塚にああいう事かこういう事とかしたいな、なんて思ってるってばれたら、………嫌われるかな………?」
菊丸は、思い切って不二に相談してみた。
放課後の教室で、思い詰めたように問い掛けてくる菊丸に、不二は苦笑した。
「そりゃ驚くと思うけど…………どうかな?」
「やっぱ、無理かな?」
「そうだねえ。手塚は、そういうの疎いしねえ。……でも、ああ見えて、手塚って結構押しに弱いから、エージが強引に迫れば、嫌がらないんじゃないの?」
「そうかな。………手塚に抵抗されたら、オレ負けちゃうよ……」
菊丸は机の端を弄りながら、上目遣いに不二を見た。
「それに、手塚に嫌われるの、嫌だもん………」
「……じゃあ、このまま、ずうっとお友達でいいの?」
「……やだ。……オレだって、正常な男だもんね。好きな子にいろいろしたいって思うの、当然だし……」
「まあ、相手が手塚じゃなければ、別にいいんだけどね……」
不二が、菊丸の「正常な男」という言葉の時にくすっと笑った。
「でも、実際問題、手塚はエージの事、好きになってきてると思うよ?」
「そうかな……」
「うん。部活の時とか、見ててそう思うもの。手塚って、結構表情に出るからね………エージが話しかけると、なんかぽっと赤くなるって感じ?」
「………嘘!」
「嘘じゃないって、ホント。なんか恥ずかしがっちゃってるんだよね〜。見てると面白いよ?」
不二が悪戯っぽく瞳を見開いてきた。
「エージ、手塚に迫っちゃいなよ。大丈夫、手塚、表面上は嫌がるかも知れないけど、絶対拒絶しないって……」
「………そ、そうかな……」
「うん」
「………不二、面白がってねえ?」
「そんな事、ないない。これでもキミたちの事、応援してるんだから……」
不二が拈華微笑を作る。
なんとなく胡散臭い感じはしたが、それでも菊丸は、不二の言葉に大いに力づけられたのだった。















そういうわけで、今日は、どうしても手塚と二人きりになって、間柄を進展させたくて、菊丸は手塚を誘ってみたわけである。
今日は、1月の終わりの金曜日。
明日は土曜日で、学校が休みだ。
しかも都合のいいことに、次兄が高校のスキー共同宿泊学習に出かけていて、部屋は独り占めなのである。
二人部屋で我慢している菊丸に、こんなチャンスが巡ってくることは滅多にない。
どきどきしながら手塚を誘うと、手塚がほんの少し躊躇してから、微笑んだ。
「そうだな、菊丸のうちには行ったことがないから、お邪魔させてもらうかな」
「うん!………じゃ、じゃあ、帰ろうよ!」
部室には、菊丸と手塚と、あとは不二と大石ぐらいしか残っていない。
反対を向いている不二の背中が笑っている。
大石は全く気が付いていないらしく、いつものように部室の整頓にかかっている。
「じゃ、不二、大石っ、またな〜!」
そう言って、菊丸は手塚と部室を出た。
不二がまだ肩を震わせて笑っていたのが、少々癪に障った。




















菊塚ラブラブ話の予定v