EMOTION 《2》
「菊丸の部屋って、賑やかだな………」部活の後、手塚を引きずるようにして、菊丸は自宅へ連れてきた。
菊丸の自宅は、青学からバスに乗って10分ほどの所にある。
いわゆるニュータウンの一角で、比較的大きな二世代住宅だった。
とは言っても、家族の多い菊丸家。
残念ながら、一人一部屋というわけにはいかない。
特に、菊丸兄弟は、成人して既に働いている長兄が一部屋所有している関係で、それより下の兄弟姉妹たちは、二人ずつで一部屋を分ける事になってしまっていた。
菊丸の部屋は、十畳ほどの広さのある洋室である。
ドアから入ってすぐの所に、菊丸の学習机とテレビ、反対側の壁に沿って二段ベッドが置かれている。
普段は、机の脇の大きなテレビはカーペットの上に寝転がって見るところだが、菊丸は、手塚のために、姉たちの部屋からクッションと小さなテーブルを拝借してきた。
「どうぞ……」
そう言って手塚を部屋へ案内して、中に入った手塚の第一声が、冒頭の言葉だったのである。
床に、人の半分くらいもある大きなぬいぐるみや、読みかけの雑誌やマンガが散乱しているのを見て言ったらしいが、菊丸は、少々恥ずかしくなった。
散らかっている部屋を、そのまま見せてしまったような気になったのだ。
一応、これでも、かなり掃除したつもりだったのだが。
「えへ、ちょっと散らかってるけど……」
照れ笑いをしながら、手塚をクッションに座らせる。
「いや、菊丸らしくていいんじゃないか?」
手塚が興味深そうに周りを見回しながら言った。
「そ、そうかにゃ……」
きっと、手塚の部屋は綺麗に片づいているのだろう。
菊丸は密かに赤面した。
「ちょっと待ってて……」
階下の台所に母親がお菓子等を用意しておいてくれたのを思い出して、菊丸は部屋を出て、階段を降りた。
「おや、英二、お客さんかい?」
下の和室でテレビを見ていた祖母が、台所に顔を出してきた。
「う、うん、友達。……これ、持っていこうと思って……」
英二へ、とメモ書きされた紙の置いてあるお盆を差して言う。
「……そうかい?」
祖母ににこにこされて、菊丸は少々ばつの悪い思いをした。
これから手塚と、なんとかなりたいなどと考えているのが、顔に出ていたらどうしよう。
そんな風に思うと、どうにも顔を合わせづらい。
「じゃあ………ずっと二階にいるからさ、オレが降りてくるまで上には来ないでね?」
祖母に言い訳するように言うと、菊丸は急いで二階へ上がった。部屋に戻ると、手塚が、床に散らばった雑誌を手に取って眺めていた。
「……な、何見てんの?」
変な雑誌は置いておかなかったよな、とは思うが自信がない。
「あ、いや…………これは、お兄さんの雑誌かな?」
バスケットボールの雑誌だった。
菊丸はほっと胸をなで下ろした。
「うん、兄ちゃんの。兄ちゃん、バスケ部だからさ」
「菊丸は動体視力がいいから、きっとお兄さんも、優秀な選手なんだろうな」
「えっ、オレ程じゃないよっ!」
いくら家族とは言え、手塚が他人を褒めるのを聞くのは、面白くなかった。
思わず勢い込んで言うと、手塚が表情を弛めた。
「菊丸は、負けず嫌いだな」
「そうかな………っと、はい、これ……」
階下から持ってきた清涼飲料水の缶を手塚に渡し、テーブルの上にポテトチップスを開ける。
「……ね、映画でも見る?」
手塚を呼んだのはいいものの、何をしたらいいか分からなくなって、菊丸はとりあえず映画鑑賞を提案してみた。
本当は、菊丸のやりたいことは一つである。
この機会に、手塚と、何らかの肉体的接触を試みる。
これだけだ。
兄のいない絶好の機会に、自分の部屋まで手塚を連れ込むことが出来たのである。
なんとか、今日は、………できたらキスとか………。
などと考えて、菊丸はこっそり赤面した。
いざ、手塚とキス………と考えながら、隣に座っている手塚を見たら、自分の想像がいやに生々しく思えてきたのだ。
手塚は、紅茶の缶に口を付けて、上品に飲んでいた。
こくり、と白い喉が動いて、男にしては細い首筋が揺れる。
横から眺めると、伏し目がちの睫毛が眼鏡に届きそうに長くて、それが微かに動く風情に、菊丸はどきっとした。
やっぱり、可愛い。
すっごく、可愛い。
どうしよう、オレ…………手塚を、このまま襲ってしまいたい。
突然、そんな衝動が湧き上がってきて、菊丸は狼狽した。
ダメダメ!
そんなコトしたら、手塚に嫌われちゃう!
「映画は、どんなものを持っているんだ?」
手塚が首を傾げて自分を見てきたので、菊丸は慌てて作り笑顔をした。
「ええっとね………ここに、いろいろあるんだ」
テレビ台の下を指さす。
「……結構持ってるんだな……」
手塚が、テレビ台の下のビデオの棚を興味深げに見た。
背表紙に書いてある題名を見て、一本、選び出してくる。
「これ、見てもいいか?」
題名には、『アルプスの山岳風景』とあった。
…………こんなの持ってたっけ?
少なくとも、自分のビデオではない。
「それ、兄ちゃんのだと思うけど、大丈夫だよ……」
それにしても、随分と真面目なビデオがあったものだ。
普段、次兄は、アクションものとかホラーものしか見ないだけに、菊丸は意外に思った。
「じゃあ、見せてもらおうかな」
「うん、じゃ、セットするよ」
あまり面白く無さそうだが、手塚が見たいというのなら大歓迎である。
菊丸は、いそいそとテープをビデオデッキにセットした。しかし、いざ画面が出てくると、菊丸は絶句した。
それは、題名とは全く関係のない、いわゆるエロビデオだったのだ。
「ああんっ、もっと突いてっ!」
意味もなく画面上に女性の裸体が大写しになる。
それとともに、女性の嬌声がスピーカーから流れてきた。
女性のたわわな乳房を鷲掴みにしながら、男が激しく腰を突き上げている。
いかにも演技していますというような女性の喘ぎ声が、下品だった。
驚愕して、しばし画面を見て、それから菊丸ははっと我に返った。
手塚を見ると、手塚も呆然としたまま画面を見つめている。
「ご、ごめん! 兄ちゃんったら!!」
菊丸は慌てて大声で言い訳しながら、画面をブツッと消した。
「ごめんっ、兄ちゃんの変なビデオだったっ! もう、兄ちゃんったらちゃんと名前書いとけよな、誤魔化さないでっ!」
言いながら、ビデオをデッキから取り出す。
「も、もっとさ、ちゃんとしたやつ見ようぜっ!」
取り繕うように言いながら手塚を見ると、手塚が菊丸を困惑したように見つめてきた。
いつもの三白眼ではなく、黒目がちの瞳が菊丸をどきん、とさせた。
「ごめんね………」
手塚を窺うように見て謝ると、手塚がはっとしたように焦点を菊丸に合わせてきた。
「い、いや………ちょっとびっくりした……」
そう言って、困ったように俯いて手を握りしめている。
菊丸も困ってしまった。
こういう時、どう言ってフォローしていいのか分からない。
「……ね、こっち、見ようよ……」
他のビデオをと探して、菊丸は無難なアニメを手に取った。
映画館で上映されても、いつも観客動員数がトップになるような名作だ。
それをデッキに入れて、再生を押す。
柔らかな音楽が流れてきた。しばらく無言でそれを眺めながら、菊丸はちらちらと手塚を窺った。
なんだか、手塚の様子が変だった。
画面を見たり、俯いたり、所在なく缶を握りしめたりしている。
………さっきの映画とか、ショックだったのかな?
実のところ、菊丸自身はああいうエロビデオには免疫があった。
長兄や次兄がよく借りてくるからだ。
ああいう即物的な画面で興奮したこともある。
手っ取り早く抜くには一番とも言えるが。
……でも、手塚は、きっとああいうの、嫌いだよな………。
手塚は一人っ子だ。
だから、ああいうビデオは自分が興味なければ借りたり見たりしないはず。
もともと、年齢的にもまだ借りられない。
とすると、初めて見たのだろうか?
「手塚………?」
申し訳ない気持ちになって、菊丸はそっと手塚に話しかけた。
「ごめん、さっきのビデオ………気持ち悪かっただろ?」
「い、いや……その………」
手塚が菊丸を困惑した瞳で見つめてきた。
「オレのこと、軽蔑した?……オレさ、ああいうの結構見るよ。兄ちゃんとか借りてくるからさ………」
なんとなく悲しくなって、しゅんとして菊丸は言った。
「いや、そうじゃないんだ。軽蔑なんて、してない……」
手塚が唇を噛んだ。
「そうじゃなくて、うまく言えないんだが………俺は、菊丸が………その………」
俯いて、それから顔を上げて、手塚は菊丸を見た。
「菊丸は、さっきの女性みたいなのが好きなのかなと思って…………」
「……えっ?」
「ああいう、胸が大きくて、その、可愛い女性だな…………ああいうの、菊丸の好みなのか?」
「えっ、オ、オレ………?」
手塚が缶を握りしめる。
「俺は………その…………」
手塚は言いよどんで、赤面した。
手塚が恥ずかしげに俯くのを見て、菊丸は驚いた。
「………なんというか、……ああいうのが菊丸の好みなのかって思ったら、なんだか、変な気持ちになった…………」
「えっ?」
独り言のように呟いた手塚の言葉に、意味をはかりかねて、菊丸はオウム返しに尋ねた。
「……なに?」
「……いや、なんでもない。こっちのアニメを見よう……」
手塚が話を逸らそうとしたので、菊丸は手塚の前ににじり寄った。
「手塚………」
手塚の手を取って顔を覗き込むと、手塚が僅かに視線を逸らした。
目元がほんのり紅くなっていて、ぞくぞくするほど色気があった。
どきん、と胸が高鳴って、菊丸は手塚の手をぎゅっと握りしめた。
「……ねえ、どういうふうに変な気持ちになったのさ?」
手塚が眩しげに菊丸を見つめてきた。
「な、なんでもない……」
「なんでもないって事、ないでしょ? ねえ、ちゃんと言ってよ……手塚?」
「……………」
「ねえ、オレさ、別に胸の大きな女なんて、好きじゃないよ?」
「……………?」
「オレはさ………」
菊丸は、思い切って言ってみた。
「オレは、胸なんか無くって、オレより背が高くて、テニスの上手いオトコが好きなの!」
「菊丸…………?」
「オレのこと、嫌い、手塚?」
息を詰めて、菊丸は真剣に問い掛けた。
「オレは、手塚のこと、好き………」
途端に、手塚の頬が紅くなった。
白い肌に、桃の花びらが散ったように、仄かな赤みが差す。
その様子が綺麗で、菊丸はしばし見とれた。
「………ね、キスして、いい?」
答えを聞かず、菊丸は手塚に唇を近づけた。
腕を引き寄せて、半開きになっている唇に、自分のそれを押し付ける。
胸が、破裂しそうだった。
暖かくふっくらとした感触が、甘い眩暈と共に菊丸を襲った。
掠めるように口づけて、ほんの少し離して、手塚が嫌がらないのを確認して、菊丸は今度は深く口づけた。
唇を割って、口腔内に舌を差し入れ、手塚の舌と絡ませ合う。
強く吸って、上顎を舌で擦りながらぎゅっと抱き締めると、手塚が僅かに身じろいだ。
「……ね、オレのこと、好き?」
唇が離れたときにそっと尋ねると、手塚が泣き出しそうな瞳で、菊丸を見てきた。
茶色の瞳が、こぼれ落ちそうに見開かれている。
「………好き?」
重ねて聞くと、微かに顎が上下した。
「手塚………」
胸のどきどきが更に大きくなった。
菊丸は、そのままそっと手塚を、カーペットの上に押し倒した。
手塚が乙女ですな(笑)