桎梏 《2》
「ゲームセット、ウォンバイ跡部」
審判の声がコートに響く。
ネット越しの相手の顔が、醜く歪む。
跡部は、片方の唇の端を吊り上げて、艶麗に笑った。
試合の相手は、同学年の他校の男子だった。
いかにもテニスしか取り柄がありません、というような、形振り構わない下品なテニスプレイ。
小学6年とは思えない立派な体格ながら、ラケットの振り方は乱暴だし、動きに余裕がない。
その相手に比べたら、跡部は小柄で体格も華奢だったが、そんな体格的な悪条件など意に介さないほどの技術を、既に持っていた。
相手を左右に揺さぶり、息があがってきた所を一気にスマッシュで叩く。
或いは、ロブで相手を誘い、相手が下がったところにすかさずドロップショットを打つ。
頭脳プレイは跡部の得意とするところであり、彼の所属するジュニアクラブの中で、彼は他の追随を許さなかった。
コーチ陣が、感嘆の声を上げて自分を見ている。
金茶色の明るく柔らかな髪を揺らして、跡部は他人に見せつけるように綺麗に笑った。
小学6年にして既に跡部は、自分の外見が他人に及ぼす影響を充分に熟知していた。
自分が笑いかければ、老若男女誰もが頬を赤らめ、悲しげに瞳を伏せれば、誰もが心から心配して、跡部に優しい言葉をかけてくる。
跡部が他人に影響を及ぼすのは、外見だけでない。
外見に加えてテニスの天才ともなれば、自ずと周囲の人間の、自分への接し方も変わってくる。
同年齢のスクールの生徒達は遠巻きにこわごわと話しかけてくるし、コーチ陣は、うちの自慢の生徒とばかりに跡部をちやほやし、他のスクールの生徒と跡部を比べて鼻高々になっている。
(バーカ………)
心の中でそう嘘ぶきながらも、跡部は外見はにっこりと天使のように微笑んだ。
試合は跡部の一方的な勝利に終わった。
対戦相手が、見苦しく息を吐きながらコートにがっくりと崩れ落ちるのを視界の端に捉え、跡部はくすっと笑った。
-------しかし。
笑いながらも、跡部には気になる事があった。
その日は、見知らぬ人物が自分の試合を眺めていたのだ。
コーチの隣で、コーチから何か熱心に説明を受けている男。
年の頃は、父親とほぼ同年代か、やや年下だろうか?
20代後半のコーチよりはずっと年上に見えた。
精悍そうな顔つきと、すらりとした体つきは、年の頃は同じとは思っても、跡部の父親とはかなり異なっていた。
跡部の父は、外資系企業の重役で、1年の半分以上は海外を飛び回っている。
仕事第一の人間で、母親似の跡部ではなく、自分似の長男を可愛がっており、跡部の事などどうでもいいように無関心だった。
跡部自身、父親と話すのは、一年にほんの数回しかない。
がっしりとした体格と冷たそうな瞳を持った人間で、跡部は密かに父親を憎んでいた。
小さい頃、久しぶりに会えて甘えようとしても、父親はいつも長男を甘やかすばかりで、跡部の事など無視していたからだた。
小学6年となった今では、跡部ももう父親に目をかけてもらおうなどとは思っていなかった。
その分、心の底では激しく父親を憎んでいた。
その父親の雰囲気と、コーチの横にいる男が少しかぶって、跡部はそのせいもあって、一層その男の事が気になっていた。
「跡部君、ちょっと来てくれないか?」
コーチが跡部に声をかけてきた。
「はい」
男がじっと自分を見ていた。
無意識に緊張して、それでも自分が緊張していると悟られるのが忌々しくて、跡部は殊更さりげなく行動した。
「榊さん、この子が今、うちのスクールでは一番力のある跡部景吾君です」
コーチが短い茶色の髪を鶏の鶏冠のように振り立てて、自慢げに男に言う。
榊と呼ばれたその男は、視線を移動して、じっと跡部を見つめてきた。
虹彩の薄い、酷薄そうな冷たい瞳。
思わず跡部は身震いした。
にこやかに笑いかけようとした顔が強張る。
「跡部君、こちらは、氷帝学園中等部テニス部の顧問をしていらっしゃる、榊先生だ」
「……初めまして、跡部と申します」
内心の動揺を抑え、誰もが魅了されるあどけない笑みを浮かべて、跡部は丁寧に挨拶をした。
跡部にそこまで相対されて仏頂面のできる大人は、父親以外には誰もいなかった。
が、父親同様、榊は全く表情を変えなかった。
冷たく、跡部の全てを突き通すような視線で、腕組みをしたままで見下ろしてくる。
「どうですか、榊先生? 跡部君、すごいでしょう?」
コーチの方は、そんな榊の態度には慣れているらしく、明るく話しかけていた。
顎に手をやって、榊はふっと軽く笑った。
「…………」
自分を見る瞳がすうっと細められ、それから関心が無さそうに自分から離れる。
「宮本君、いい仕事をしているな」
「はい、ありがとうございます!」
どうやら、跡部のことを言外に褒めているようだった。
コーチが誇らしげに顔を紅潮させる。
「まぁ、俺の方はOKだ。後はきみたちで相談して決めたまえ」
「はい」
コーチが元気良く一礼する。
榊は軽く手を挙げると、悠然とコートを去っていった。その時点で、跡部には、東京都内のさまざまな私立中学から内々に打診が来ていた。
是非、うちの中学に来てくれという内容だ。
跡部が通っている小学校自体有名な私立だったが、そこは残念ながら、中学では硬式テニスに力を入れていなかった。
それを知った有名テニス部を持つ中学が、跡部獲得に乗り出していたのだ。
遊びで始めたテニスとは言え、天賦の才能があったのか、跡部はスクール内でめきめき上達していた。
ジュニアの大会で勇名を馳せているそんな跡部を、ここのところ頻繁に私立中の監督が見に来ていたのだ。
榊はそんな中の一人だった。
しかし、他の監督達と榊は違っていた。
今まで跡部を見に来た監督達は、皆跡部に笑いかけられるとまるで魔法にでもかかったかのように跡部をうっとりと見、是非うちの中学に来てくれと、土下座せんばかりに頼み込んできていた。
榊のようにすげない対応は、初めてだった。
まるで自分など、どうでもいい、ただの少年のように扱われた。
自分が虚仮にされたような気がした。
その事は、跡部の高いプライドを傷つけた。跡部は可憐な顔を歪めて、榊の後ろ姿を睨んだ。
ちょっと時間が戻ってます。設定捏造しました(汗)。