桎梏 《3》
跡部が氷帝学園中等部に入学した年のテニス部の新入部員は、80人を越えた。
元々、氷帝学園中等部は硬式テニス部の有名校として名高い。
それに加えて、贅沢な教育環境や伝統ある校風が有名で、氷帝学園出身の親が自分の子供を入学させるのみならず、地方からも子供を寮生活させても入学させたいという親が引きも切らなかった。
当然倍率も高く、入学金や寄付金が他校に比べて桁が違うと言われているにも関わらず、大勢の良家の子弟が中等部を受験した。
氷帝学園は幼稚部から大学まである一貫校であるが、幼稚部と初等部は学年1クラス編成で、中等部からが学年8クラス編成の大規模校になる。
初等部からの持ち上がり組は試験無しで進学するため、実質7クラスの生徒が新しく氷帝学園に入る事になる。
跡部もその大勢の中の一人だった。
テニススクールのコーチからは、自分を獲得したがっている私立中学は十指に余るほどあり、どこでも特別推薦で入学可能だと言われていた。
その中で氷帝学園を選んだのには、勿論コーチが氷帝を一番に奨めたというのもあったが、それよりも榊の存在が大きかった。
『跡部君なら、氷帝に行っても絶対一番になれるよ』
氷帝のテニス部の規模の大きさを説明してくれたとき、コーチはそう言って跡部を励ました。
『あそこは実力主義で、うまければ1年生でもレギュラーになれるんだ。大会にもすぐに出してくれるしね。榊先生の方針でね。跡部君にはぴったりだと思うな』
確かに、跡部にぴったりだった。
傲岸不遜な跡部は、所謂運動部によくある上下関係が嫌いだった。
年が下であるというだけで、自分よりも下手な人間の命令を聞かなければならない、などという笑止千万な風習を軽蔑していた。
実力主義。
それが跡部の精神的バックボーンであり、その考えは、自分が誰にも負けず力があるという絶対的な自信に裏打ちされたものだった。
榊も実力主義だというならば、氷帝学園テニス部内で、俺は一番になってやる。
あの日、自分を見に来た日に、たいして関心も見せず馬鹿にしたような笑いを見せて帰っていった榊を、実力で見返してやる。
他の誰もが自分に媚びて擦り寄らんばかりにして誘いをかけてくるのに、榊だけが自分を拒絶した。
その事実は、跡部の心に突き刺さった棘だった。
榊の驚く顔が見たい。
彼の冷たく取り澄ました表情を、自分への賞賛に変えさせたい。
それが、実のところ、氷帝学園に進学した一番の理由だった。
そして跡部には、自信があった。
ずらりと並んだ新入部員の一人一人を眺め回す。
誰一人として、自分にかなう相手はいまい。
跡部は、一見天使と見まがうような可憐な笑みを浮かべ、新入部員の挨拶をした。しかしながら、跡部は自分の認識が甘かったことを、すぐに思い知らされる結果となった。
確かに氷帝内は厳格な実力主義で、たちまちにして跡部は、並み居る2年や3年の平凡な部員達を押しのけて、準レギュラーの地位を勝ち取った。
それも、榊直々の勅令だ。
不満そうな上級生も、榊の言葉には絶対服従だった。
反論の一言も、そこでは許されていなかった。
公式戦に一度でも負けたら、即レギュラー落ち。
年が上だろうとなんだろうと、実力が無ければ永遠にレギュラーにはなれない。
そんな、一見独裁とも言える榊の方針に誰もが服従していたのは、榊が厳格な平等主義を敷いており、贔屓をしたり、外部からの圧力等に一切屈したりする事のない公平さを貫いていたからだった。
榊は、誰にでも冷たく、誰にでも公平だった。
実力のあるなしだけが、榊の判断材料だった。
だから、部員は誰もが榊に心酔していた。
そんな榊に、入部してすぐに準レギュラーとして認められたのだから、跡部は既にその時点で他の部員たちからは一目置かれていた。
上級生も、悔しげに跡部を睨みつつも、何も言えない。
しかし、そこまでは自分の思惑通りだった跡部も、その先の、榊に感嘆の表情をさせる、という所まではどうしても実現させることができなかった。
確かに、他の部員達から見れば、跡部は十分榊に認められていると言えるだろう。
だが、榊自身は跡部に対して、他の部員たちと同じ、よく言えば公平、悪く言えば無関心な態度を取っており、とりたてて跡部に目をかけるとか、特別な待遇をするというような事はなかった。
少しでも榊が表情を変えないかと思っていた跡部は、当てが外れて、余計に癪に障った。
自分の実力は分かっているだろうに、跡部が3年生を6ー0で倒しても、公式戦で1年生ながら他校生を完膚無きまでにやっつけても、表情一つ変えない。
いつもながらの冷然とした、他を寄せ付けない感情のない瞳で、跡部をちらりと見るだけだった。
それは跡部を意識して見ているのでも、見ていないのでもなかった。
榊にとって、自分は部員の一人でしかなく、どうでもいい存在なのだ。
今まで、テニススクールでも学校でも、跡部が微笑みかければみな相好を崩して喜び、跡部の才能に狂喜し、大人達は誰でも跡部を下にも置かぬ待遇で接していたのに。
氷帝テニス部の上級生たちからは、畏敬か、もしくは妬みの目で見られ、それもまた特別待遇と言えないこともない。
どっちにしろ、跡部は、その辺のただの中学生として見られる事はなかったのだ。
それなのに、榊にとっては跡部はその辺の一中学生としか映っていないらしい。
そのことが、跡部を苛立たせた。
苛立ちが募ると、跡部はますます実力主義に傾いていった。
部活だけでなく、外部のテニススクールに通って、ひたすらに技術を磨き、更に実力を付ける。
そして、ますます部活内での地位を上げていった。跡部が2年になる頃には、既に跡部にかなう部員は、誰もいなくなっていた。
中1跡部。設定捏造。