桎梏 
《5》











職員会議が長引いて、榊がテニス部の部室を訪れた時には、時計は既に午後の7時を回っていた。
夏休みとは言え、8月も終わりのこの時期は、来年度の入学生についての情報交換や合格基準枠についての会議が目白押しである。
榊は氷帝学園の正規の教員ではなく、講師枠で雇われており、実質授業は持っていなかったが、職員会議では重鎮の一人だった。
なぜなら、榊は氷帝学園中等部硬式テニス部の監督だったからだ。
氷帝学園中等部の目玉の一つが、硬式テニス部である。
小子化の厳しい社会状況の中で私立中が生き残っていくためには、高い進学率と学校独自の特色を打ち出すしかない。
裕福な家庭の子弟が入学することで、安定した水準の高い入学定員を誇る氷帝学園も、その点では例外ではなかった。
文武両道を基本に、独自のカリキュラムに基づいた中高一貫教育と、全国大会まで出場する強い部活動。
その二本を学校運営上の柱として掲げる氷帝学園の、柱の一つとして榊の持つ影響力は大きかった。
スポーツは、指導者の資質が物を言う。
いくら素質のある生徒が入学してきても、『千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず』である。
実際、硬式テニス部監督として榊を迎えてから、氷帝学園は急激に力をつけてきた。
榊は、テニス界で有名を馳せていたプレイヤーであり、その力には定評があったが、如何せん、素行が悪かった。
指導者としてアメリカに渡ったこともある実力者にも関わらず、それまで決まった定職を持たなかったのも、彼の一匹狼的な性格が災いしてである。
そんな彼を、氷帝学園の経営陣が引き抜いてきた。
彼の指導については、一切学園側としては口出ししないという確約の元にだ。
榊も、自分の考え通りに指導できるならば、という条件付きで監督を承諾した。
やり方がどうであれ、スポーツの世界は結果主義である。
榊が就任した年に、それまで都大会止まりだった氷帝学園が、関東大会まで出場した。
翌年には全国大会まで駒を進めた。
元々貴族のスポーツとして、上流階級では硬式テニスを嗜む人種が多い。
そんな階級のエリート達に、榊は受け入れられた。
氷帝学園テニス部が東京都下で名を響かせるようになったのは、偏に榊の力だった。













今日の職員会議でも、榊の発言は重く用いられた。
既に榊は、都内の有名テニススクールを訪問し、来年の有望株を調査していた。
数人の小学6年生の詳細な資料を提出し、それらについて説明する。
彼らは書類審査だけで入学が決定する特待生だ。
中には経済的に氷帝に入るには厳しい家庭の子弟もいる。
そういう者に対しては、入学金及び授業料免除という条件を提示する。
その辺の思惑は、榊の考え通りに進んだ。















堅苦しい会議は、榊の性に合わない。
いささか疲れてコーチ室へ戻ってきて、榊はそこで自分の部屋の隣の、正レギュラー用部室に、明かりがまだ灯っている事に気が付いた。
誰かが残っているのだろうか。
それも正レギュラー用の部屋ということは、レギュラー陣の誰かという事だ。
夏休みの現在、そんなに夜遅くまで残るような用事もあるまいに。
と、榊は不審を抱いた。
普段ならそのまま捨て置いてコーチ室に戻ってしまうところを、その日に限って正レギュラー用の部屋まで行ってみたのは、なんとなく胸騒ぎがしたからだった。
足音を忍ばせて、ドアノブに手を掛けると、ドアは僅かに隙間が開いていた。
内部でがたがたという音や、数人の話し声も聞こえる。
隙間から中を覗いて、さすがの榊も一瞬絶句した。
数人が、一人の少年に圧し掛かって-------強姦の真っ最中だった。
電灯の光の元で、大きく脚を広げさせられた少年の腰に、別の少年が乱暴に腰を打ちつけており、それを眺めて周囲で興奮したように笑っている数人がいた。
一瞬驚いた後、榊は眉を顰めた。
先日、引退を申し渡した連中だ。
もう二度とテニス部には来るなと言っておいたのだが。
自分の見えないところで、こういう事をする元気はあったらしい。
犯されている少年の顔が榊の目に入った。
(………なるほど………)
心の中で榊は納得した。
------跡部か。
跡部景吾を、数人がかりで犯しているわけか。
それなら、少しは話が分かった。















跡部は、入学当時から目立つ少年だった。
テニスの才能もさることながら、容姿、態度、全てにおいて目立った。
熾烈なレギュラー枠獲得の争いにも難なく勝利し、1年時から正レギュラーだった。
彼の、周囲を睥睨する得意げな表情や、大人を見るときの媚びを含んだ計算された笑顔。
およそ子供らしくなく、小生意気な少年。
跡部ほどの容姿もテニスの才能もない生徒が、彼に嫉妬し、或いは畏敬するのも分からないではない。
そういう存在がいると、部の力の向上には役立ったので、榊は跡部の行状に口を挟まなかった。
事実、跡部が入学してから、氷帝学園テニス部は更に力がついてきている。
が、跡部自身についていえば、テニス部で地位が上がることは、敵をそれだけ多く作ることであり、あまりいい状況とは言えなかった。
特に今回の全国大会では、跡部一人の活躍が目立ち、衆目の面前でプライドを粉々にされた上級生の恨みを一新に受ける事になってしまったわけだ。
まぁ、それも自業自得だろうが。
榊は、しばしドアの隙間から跡部が犯されるのを眺めて、唇の端を歪めて笑った。
頭が良く、才能もあると言っても、やはりまだ子供だ。
窮鼠猫を噛む。
そういう事態には陥ったことが無かったようだな。
跡部の、弱者に対する見通しの甘さと、危険な経験をしたことのない油断が引き起こしたことだ。
………とは思っても、さすがにそのまま見ているわけにも行かなかった。
跡部は氷帝学園の重要な戦力である。
テニスができなくなるような事態に陥っては、榊も困る。















「何をしている」
ドアを開けて、榊は玲瓏な声で、跡部を蹂躙している少年達に声をかけた。







少年達は、榊を見た瞬間、驚愕の叫びを上げ、硬直し、それから真っ青になって腰を抜かした。
榊が冷たく一瞥すると、てんでに意味不明の喚き声を上げながら、這々の体で逃げ出した。


















監督ちょっと冷たいですね。