桎梏 
《6》











部員達が逃げた後の部室に、しんとした静寂が戻ってきた。
榊は、床に足を開いたまま、霰もない格好で横たわっている跡部を凝視した。
苦しげに細い眉を寄せて、半開きになった唇から忙しく息を吐いて、白い胸が微かに上下している。
筋肉の美しく付いた少年らしい伸びやかな腹や、形の良い臍、それからぐっしょりと濡れそぼった下腹部と、青白い内股。
意識があるのかないのか、薄ぼんやりと開いた青い瞳は、焦点が定まっていなかった。
(余程ショックだったらしいな…………)
近寄って反応を確かめてみて、跡部が自分を見ても反応しない事に、榊は眉を顰めた。
(……案外、弱いのかも知れないな)
榊は自分が落胆するのを感じた。
普段の行状から見て、もう少し骨のあるヤツかと思っていたが。
ここが学校で無かったら、そのまま打ち捨てて帰ってしまう所だ。
が、部室ではそういうわけにも行かない。
しばし跡部を冷徹な目で見て、それから榊は意識のない跡部を抱き上げると、自分の部屋へ連れていった。















榊の部屋は、そこである程度生活が出来るよう、ホテル並みの設備があった。
榊がこの氷帝学園に就任する際に当たって、改築されたものである。
そのバスルームで、跡部の汗と体液にまみれた身体をシャワーで流してやる。
半分薄目を開けて、跡部は朦朧としたままだった。
これでは自宅へは帰せないだろう。
そう思って、榊は跡部の家へ電話を入れておいた。
このような後始末をするのは自分の性に合わないが、一応自分の監督下の部室で起こった事である。
何かあれば監督責任を問われるのは自分だった。
今回の事態は自分が引き起こしたのでなく、跡部の日頃の傲岸不遜さが原因の、いわば彼の問題であるが、その辺を糊塗するくらいの後始末はしなければならない。
跡部を泊まらせるという電話をすると、榊はベッドに横たえた跡部に近寄った。
「ぁ………ぁ………」
呻きすぎて喉が枯れたのか、跡部が掠れた声を出した。
「み……ず………」
冷蔵庫からペットボトルを取り出して、跡部の口に付けてやると、コクン、と喉が動いて、跡部が冷水を飲み、それから漸く意識が戻ってきたかのように瞳を開いた。
灰青の透明な瞳が、自分を見上げてくる。
と、次の瞬間、その瞳が恐怖に見開かれ、跡部は渾身の力で藻掻き始めた。
「やっ………やだッッ……はなせっっ!!」
悲鳴のように高い声で喚きながら、めちゃくちゃに腕を振り回す。
榊は舌打ちして跡部を押さえ込んだ。
どうやら、自分を先程の生徒達と間違えているらしい。
というよりは、意識がまだはっきりとしていなくて、状況を把握し切れていないと言うところか。
こんな風に錯乱している跡部を見るのは、初めてだった。
いつでも彼は、年やその可憐な外見に似合わぬ不遜な態度で、周囲の人間を小馬鹿にしていた。
同年代の生徒はもとより、大人の事もだ。
そんな賢しげな様子は榊の癇に障ったが、そういう所が無くては、勝負にも強くなれない。
好きにしていればいい。
そう思って放置しておいた。
その結果がこれだ。
あんな態度を取っていれば、いつか蟷螂の斧にやられる日が来ると分かるはずだろうに。
その辺の見通しの甘さが、年相応と言えば年相応でもあり、また榊を少々落胆させる原因ともなっていた。
上から押さえつけて、パニック状態に陥っている跡部に辛抱強く囁きかける。
「俺だ、榊だ。大人しくしろ……」
「やッ、……やだっ、やだっ!」
振り絞るように叫ぶ跡部は、年よりもずっと幼く見えた。
いつもの彼との落差が大きかった。
色の薄い髪がぱさぱさと舞い、青ざめるほど強く掴んだ指が震えている。
さすがに、榊も跡部に憐憫を感じた。
余程、怖かったのだろう。
「……跡部…………」
宥めるように何度も名前を呼ぶと、漸く自分の置かれている状況が分かったのか、跡部が抵抗していた身体の力を抜いて、榊をびっくりしたような目で見上げてきた。
「か………んとく………?」
「そうだ、俺だ………」
長い睫毛をぱちぱちと何度も瞬きして、呆けたような表情で見上げてくる。
「もう大丈夫だ。落ち着け………」
「ぁ………監督、監督っ!!」
榊を認めた途端、跡部の蒼い瞳から涙が溢れ出た。
震えながら、榊にしがみついてくる。
「もうあいつらはいないから、落ち着け………」
「や、やだっ、やだッッ……監督……監督ッッ………!」
いくら言葉で宥めても、跡部の身体の震えは収まらなかった。
それどころか、一層強くしがみついてきて、榊を二度と離すまいとするかのように身体を押し付けてくる。
---------どうしたものか。
榊は困惑した。
どうやら、自分が思っていたよりもずっと、跡部にとって先程の一件はショックだったようだ。
このままでは、彼はテニスを続けられなくなるかも知れない。
テニスは、技術はもとより、精神力がものを言うスポーツである。
この程度の事で駄目になるようでは、厳しい勝負の世界で生き残ってなどいけない。
しかし、跡部はまだ中学2年生だ。
彼にそこまで要求するのは酷というものかも知れない。
どうするか…………。
しばらく考えて、榊は一つの結論を出した。
普段の自分のライフスタイルからはかなり外れてしまうが、仕方がない。
榊とて、むざむざ跡部がこのくらいの事で駄目になるのを容認はできなかったのだ。















「跡部…………」
榊は、泣きじゃくりながらしがみついてくる跡部の耳に囁いた。






「俺は、これからおまえを抱く。………いいな?」


















いいなとか言われても困るよな……