陥穽 
《4》















それから数日、桃城は苦しんだ。
部活には出るものの、上の空で練習にも身が入らない。
意識して、いつも通りの自分を演じようとはするものの、気が付くとぼうっとしていたり、見まいと思っていても、つい手塚を見てしまう。
手塚は、普段通りだった。
他を圧するような強い視線を眼鏡の奥から投げかけて、部員達を指導する。
整った冷たいとも言える容貌には、一点の曇りもなかった。
(あの、部長が…………?)
信じられない。
確かに自分の目で、手塚が不二に奉仕しているところを目撃したにも関わらず、桃城は信じられなかった。
『キミとセックスしろって言えば、手塚はちゃんと言うことを聞く』
図書室で不二に言われた言葉が頭の中で渦巻いて、桃城は唇を噛み締めた。
-------まさか。
そんな事、あの部長がするはずがない。
…………しかし、あの日、部室の中で、部長は不二先輩にフェラチオをしていた。
あれは、確かに見たのだ。
………とすると、本当に、俺に……………俺と、セックスをするのか?
--------------まさか!
「なにぼぉっとしている!」
その時不意に鋭い叱咤の声が飛んで、桃城はびくっとした。
手塚が、眼鏡の奥から瞳を眇めて睨んでいた。
「す、すいません!」
鼓動が跳ね上がって、桃城は慌てて頭を下げた。
手塚の目から逃れるように走って、隣のコートまで行く。
「俺も入れてくれ」
無理矢理練習の中に入って、ボールを打つ。
手塚がじっと見ているような気がした。
背中が熱かった。
胸の中に、重く何かが詰まった感じがした。
桃城は、激しく首を振って、ボールに神経を集中しようとした。















週末。
桃城は、部活が終わったあと、とうとう不二に電話をかけた。
図書室の一件があってから、もう十日ほど、ずっとろくに寝ていない。
身体も疲弊していたが、それよりも、神経が焼き切れそうだった。
ふと油断すると、手塚のことを考えている。
(……もうやめろ!)
そう思っても、脳裏に、不二と手塚の部室での行為が思い浮かんで、離れない。
家でも常に機嫌が悪いので、家族ともろくろく話していない。
クラスでも、桃城は機嫌が悪い、と皆が畏れている。
そんな状態に耐えられなかった。
頭の中に、常に手塚が浮かんでしまうのだ。
そして、どうしても考えてしまうのだ。
あの部長が…………俺と…………?
-------まさか、するはずがない!
何度そう思って、自分の妄想を打ち消しただろうか。
いくら打ち消しても、それは消えるどころか、日を追うごとに大きくなっていった。
不二に連絡さえすれば、実現可能だ。
連絡さえすれば。
そう思って、電話に手を掛けて、唇を噛んで動作を止める。
それを何日も繰り返して、とうとう桃城は堪えきれなくなった。







震える手で不二の携帯に電話をかけると、
「はい……」
ふわりとした声が出た。
「あ、あの、桃城です………」
掠れた声を、それでも振り絞って言う。
「……桃城?………ふふふ、電話してきたって事は………この間の事だね?」
「は、はい………あの、俺………」
「……分かったよ。じゃあね、今日これから、僕のうちに来られる?」
「……行けます」
「じゃ、待ってるよ」
ツーツー。
通話が途切れ、桃城は、深い溜め息を吐いた。







「母さん、俺ちょっと出かけてくる。不二先輩の家。帰り遅くなるから、寝てて?」
出掛けに、様子を見に来た母親に、桃城はできるだけ明るく声をかけた。
「……そう?」
心配そうだった母親が、不二先輩という言葉を聞いて、安心したように笑った。
「じゃ、楽しんでらっしゃい」
「……うん……」
------バタン。
ドアを閉めて、外に出る。
自転車に乗って、暗くなり始めた道を、桃城はひた走った。















不二の家は、桃城の家から、自転車で30分程度のところにあった。
大きな二階建ての家の1階部分が一部駐車場になっていて、その端に、桃城は自転車を止めた。
胸が、ドキドキした。
居ても立ってもいられなくなってここまで来たものの、気後れがした。
本当に、するつもりなのか?
-----いいのか?
本当に、俺は、部長と……………セックスするのか?
考えると、信じられなかった。
あの、冷たく、表情の変わらない手塚が-------?
桃城の知っている手塚は、そういう手塚だった。
畏れ多くて、話しかけるのも躊躇われるような、そんな偉大な先輩である。
その彼が、俺に…………?
ゾクリ、とした。
頭を振って、桃城は不二の家の呼び鈴を押した。
「こんばんは………」
「いらっしゃい………」
中からすぐに不二が出てきた。
ふわりとした笑顔で迎えられ、戸惑いが広がる。
「今日は家族は誰もいないから、安心してね?」
労るように言われると、かっと頬が熱くなった。
不二の部屋に上がる。
不二に勧められるままにソファに座り、強張ったまま不二が紅茶を煎れてきてくれたのを飲んだ。
「あの………」
一体、どういう風に事を進めるつもりなのだろうか?
緊張に掠れた声で話しかけると、不二がにこっとした。
「あ、今、手塚を呼んだから」
「………部長を?」
「そう。手塚ねえ、キミがいるって知らないんだけど、まぁ、僕が言えばなんでも言うこと聞くから、キミは安心して待っていて?」
「……………」
手塚が来る。
桃城は、一気に体温が上昇したような気がした。
「ところで、キミは、経験ある?」
「………え?」
「したこと、あるの?」
不二が、にこにこしながら聞いてきた。
「……ないっス………」
羞恥で俯きながら答えると、不二が優しげに笑った。
「そう。………じゃあ、手塚にリードしてもらおうか? 手塚は慣れてるから、安心だよ?」
「部、部長が…………?」
「……そう」
信じられない。
愕然とした表情になったのが分かったのか、不二がくすっと含み笑いをした。
「大丈夫だよ……」















------ピンポ−ン。
その時、階下の呼び鈴が鳴って、桃城はぎくりとした。
「……はい」
不二が、二階の内線から電話に出る。
「あ、手塚………そのまま上がってきて? 僕の部屋ね」
不二が桃城に笑いかけながら、電話に向かってそう答えた。
トントン…………。
軽い音がして、不二の部屋の扉がばたん、と開いた。
手塚だった。
いつもの冴え冴えとした視線で、他を睥睨する、あの手塚だ。
薄手のシャツの上にパーカーを羽織った普段着なのが、いつもと違っていたが。
中に入ろうとして、部屋の中に桃城がいるのに気付いたらしく、一瞬足が止まったのを、桃城は、呆然として見ていた。
明らかに驚いたらしく、手塚が不二に問い掛けるように視線を投げた。
「……入ってよ?」
不二がにっこりしながら言う。
「ああ………」
警戒したような様子で、手塚が桃城を窺ってきた。
桃城は、耐えられずに視線を逸らした。
心臓が破裂しそうに鳴っていた。
手塚が怖かった。
これからすることを考える。
そんな事、絶対にできそうにない。
あの部長が、俺に…………。
------まさか!
「あ、桃城はね、僕が呼んだんだ」
手塚の誰何の視線に気付いて、不二がさりげなく言った。
「今日はね、桃城とセックスしてもらおうと思ってね」
さすがにその台詞にはぎょっとして、桃城は不二を見た。
手塚も同様らしく、大きく目を見開いて、不二を見ていた。
「僕、桃城と約束したんだよ。キミとセックスさせてあげるって。………いいでしょ、手塚?」
手塚が、桃城を見てきた。
信じられないという大きな瞳が、痛々しかった。
形の良い唇が、微かに震えている。
驚愕の視線が痛くて、桃城は顔を背けた。
「……してあげてくれる? 手塚?」
不二が、そんな二人の事など意に介さないように、明るく言ってくる。
「………どう?」
「…………分かった…」
自分の耳が、信じられなかった。
今聞こえたのは、確かに、手塚の声だった。
いつもコートで、グラウンド20周とか、ネットを片付けろ、とか、よく響く声で言う、その声音。
まさか、………でも、本当に、手塚が言ったのか?
思わず顔を上げると、手塚と目が合った。
長い睫毛を震わせて、手塚が桃城を見つめて、それからあきらめたように視線を外した。
(部長……………!)
胸がずきん、と痛んだ。
(俺は、俺は一体…………!)
「じゃあ僕、下でテレビでも見てるからさ。……終わったら呼びに来て?………手塚、桃城は初めてだから、ちゃんと奉仕してあげてね?」
不二が、手塚の肩をぽん、と叩いて立ち上がる。
「……不、不二先輩?」
不二が出ていこうとするのを、縋るように呼び止めると、不二が振り返ってにっこり笑った。
「大丈夫だよ、桃城。……手塚に任せとけば。………ゆっくりどうぞ?」
バタン。
扉が閉められる。
桃城は、呆然として、閉まった扉を見つめた。




















というわけでやっと手塚の出番ですv