謔浪
-gyakurou- 《1》















(あれぇ、また見てるよ、手塚…………)
爽やかな風が吹くテニスコートに、淡い光が満ちている早春の夕方。
汗を流した身体をタオルで拭きながら風に当たっていた菊丸は、ふと視線を感じて目を開けた。
コートの向こう側から、じっと自分を……というより、正確には自分と一緒にいる大石を見つめている人物がいる。
菊丸が何気なくその方向に顔を向けると、彼は慌てたように視線を逸らして、下級生に何か命令した。
どうやらコート整備をしろと言っているようだ。
気が付くと、こうやって手塚が大石を見ている事が多いのに、菊丸はもうずっと前から知っていた。
菊丸は大石の隣にいることが多いから、自然と分かってしまうのである。
(手塚のヤツ………)
菊丸は眉を顰めて手塚を横目で眺めながら大石に話しかけた。
「大石、今日さ、帰りどうする?」
部活が終わった後は、よく菊丸はファストフード等に寄り道していた。
食欲旺盛な年頃だけに、テニスでハードな運動をした後は、夕飯まで腹が保たない。
「そうだな、エージはどうする?」
菊丸の隣で、同じように風に気持ちよさそうに当たっていた大石が、菊丸を見て笑いかけてきた。
「オレっ、マックに寄りたいな〜」
「またか? エージはほんとにマックが好きだな」
大石が困惑気味に眉を寄せる。
そういう表情をすると、大石はひどく大人びて見えた。
「いいじゃんっ、一緒に行こうよ〜」
そう言いながら、大石の背に甘えるように飛びつくと、コートの向こう側の手塚が、びくっと反応したのが分かった。
整備をするように慌てて屈み込む様子が、可笑しい。
菊丸は口の中でくすくすと笑った。
「ねえ、行こう?」
「分かった分かった、そうくっつくなよ、暑いだろう?」
大石が苦笑しながら言う。
「ほら、俺達もこっちのコート整備しなくちゃ」
「そうだにゃ〜」
大石の隣にぴったりとくっついたまま、菊丸は仲良くコート整備を始めた。
ちらちらと、こっちを窺うように見てくる手塚の動作が笑えた。
-------やっぱりね。
手塚、大石のこと、好きなんだ。
菊丸は確信を深めた。















菊丸が、手塚は大石のことを好きなのではないか、と思い始めたのは数ヶ月前だ。
3年が引退して、2年と1年が主体になった秋以降、新部長の手塚と、副部長に決まった大石は、二人で仕事をすることが多くなった。
それ以前からダブルスを組んでいて、大石とは一番仲の良かった菊丸は、二人の様子をつぶさに見てきた。
手塚が大石を好きになったのは、きっと部長、副部長に決まった頃からだろう。
最初は固かった表情が、大石が話しかけると、柔らかくなった。
(まぁ、大石だったらさ、誰でも和やかになるとは思うけどね……)
部活の後、マックで大石とハンバーガーを食べながら、菊丸は向かいに座った大石をちらちらと見た。
大石は、誰にでも優しい。
いつも穏やかで、他人の事を真剣に心配して、口が堅い。
副部長になった大石を、手塚が絶対的に信頼しているもうなずける。
------でもさ、手塚は、それだけじゃないんだよね。
大石のこと、愛しちゃってるんだよね…………。
菊丸はそう思うとなんとなく楽しくなってきて、くすっと笑った。
「……なんだ?」
向かいの大石が。菊丸を覗き込んでくる。
「なんでもないよ〜!」
今のところ、手塚が大石を好きだというのに気付いているのは、自分だけだ。
当の大石は、そんな事、つゆほども気付いていない。
もともと大石は、そういう事には疎いのだ。
爽やかな雰囲気と優しい物腰で女子に人気があるにも関わらず、誰とも付き合ったりしないのは、大石自身、全くその気がないのと、相手からモーションをかけられても、気付かないところにあった。
だから、手塚の変化にも気付かない。
手塚が、大石と二人きりでいるときの大石を見る目とか、二人で話しているときの話し方とか、そういうのに全く気付いていない。
手塚は、大石といると、ふんわりと蕩けそうに笑う。
そういう表情を見たことのあるのは、大石と、大石以外には菊丸だけだろう。
菊丸は、大石とたいてい一緒にいるから、たまたま手塚のそういう表情を見付けられたのだ。
大石を呼ぶときの声音も、ほんの少しだが、他の人間を呼ぶときとは違う。
幾分、鼻にかかった、甘えたような声音になる。
おそらく手塚自身は気付いていないのだろう。
意識してやっているようには見えなかった。
心の底の思いが、自然と出てしまう、そんな風だった。
(手塚も可愛いよね………)
大石に笑いかけられてほんのり頬を染める手塚とか、そういうのを脇で見ているだけに、菊丸は手塚の純情が可笑しかった。
手塚は、ものすごく女子に人気がある。
大石よりも、ずっとある。
しかし、絶対に誰とも付き合おうとしない。
付き合うどころか、そんな事は考えたこともない、というような、一種取りつく島もない態度をとる。
だから、女子も遠巻きにして眺めているだけだった。
(でもさ、実は手塚が男が好きだって分かったら、どうだろうね………?)
きっと大騒ぎになるに違いない。
もっとも、そんな事、言いふらそうとかも思わないが。
今のところ、手塚のそういう秘密を知っているのが自分一人だという事に、菊丸は妙な優越感を感じていた。
手塚は、自分の気持ちは誰にも知られていない、と思っているらしい。
それで安心して、大石と話したりしている。
やっぱり心持ち頬を染めて。
心の中だけで、こっそりと思っているだけなのだろうか、ずっと。
(手塚も奥手だしね〜)
それに、なんといっても大石は普通の男子だから、まさか手塚が自分を好きだったりするなんて、そんな事、思いもしないだろう。
想像の範疇外だ。
それが分かってるから、手塚も言わないのだろうが。
手塚が大石を好きらしいと気付いてから、菊丸はそれとなく手塚を観察してきた。
そして複雑な気持ちになった。
どうみても、手塚の思いは一方的な片思いで、しかも手塚自身はそれを大石に告げるつもりは毛頭無いという事が分かったからだ。
複雑な気持ちと言うより、なにか苛立たしい感じだった。
そんなに大石のことが好きなら、思い切って言えばいいのに。
オレがちょっと大石にじゃれついたぐらいで、びくっとするなら。
はっきり言って、オレの方が大石とは仲がいいんだぞ、手塚?
大石にとって、自分と手塚と、どっちが仲がいい、と聞いたら、大石は『そりゃあエージ』と答えるに違いない。
大石にとっては、手塚は、友人というよりは、テニス部の部長という認識が先に来るのだ。
現に、大石は菊丸とはよく学校帰りに食事に行ったり菊丸の家で遊んでいったりするが、大石が手塚と二人で遊びに行ったり食事をしたりする話を聞いたことがない。
大石自身、手塚とそういう風にテニス以外で会ったり遊んだりするなど、考えもつかないのだろう。
(全くさ、手塚も報われないのにな………)
大石の事を、どんなに切ない瞳で見ているか、分かっているのだろうか。
どんなに想ったって、全然効果無いことを。
大石には伝わらないって事を。
「なんだよ、エージ、オレの顔に何かついてるか?」
大石の顔を、まじまじと眺めていたらしい。
はっと我に返ると、大石がおかしそうに自分を覗き込んでいた。
「う、ううん、なんでもないけど……」
(大石か………)
確かに、優しいし、いいヤツだし、頼りになる。
顔だって悪くない。というか、かなりいい。
でも、手塚は、この大石のどこがそんなに好きなんだろうか?
あんなに、少女みたいに頬を染めて、大石と一緒にいるだけで嬉しいっていうぐらいに喜ぶほど。
(わっかんねえよな……)
なんとなく、面白くなかった。
何が、と聞かれて答えられるような、はっきりとした気持ちではないが、なんとなく、しっくりしない。
肩を竦めて、ぐいっとコーラを飲むと、甘い炭酸に噎せて、菊丸はこほこほと咳をした。



















意地の悪い菊丸が手塚を……という話。手塚は大石が好きです。