寒紅
-kan-ko- 《1》













テニスコートに吹き渡る微風が、練習でかいた汗を心地よく乾かしていく。
何面もあるコートのそれぞれで、部員達がボレーやサーブやレシーブの練習をしているのを、先程までさんざんボールを打って少し疲れた桃城は、一番端のコートの出口に近いベンチに座って、ぼんやりと見つめていた。
と、そこに、一年生の部員がおずおずと歩いてきた。
「桃先輩……」
「……ん? なんだ?」
ベンチにどっかり座って、頭の上で手を組んで伸びをするような格好で目の前の一年生を見上げると、その一年生が困ったような表情をした。
「あの、桃先輩にお客さんなんですけど」
「ああ? オレに?」
「はい、あのー、あっちで………」
そう言って一年生が指さしたのは、コートの外、学校の敷地の外れにある桜の木だった。
「…………」
「あのー、うちの学校の人じゃないみたいです……」
「そうか………」
伝言を頼まれたらしい一年生が困っているのを見て、桃城はよっこらしょ、と立ち上がった。
そのままコートを出て、桜の木まで歩いていく。
「よぉ………」
行くと、桜の幹に凭れて腕を組んで目を瞑っていた人物が、瞳を上げて、桃城を射すくめるように見つめてきた。
桃城は、驚いて目を見開いた。
「跡部さん………」
桜の幹に凭れて桃城を待っていたのは、跡部景吾だった。
左胸に帝という字が浮き出たエンブレムの縫い込まれた白いシャツと、ネクタイ。
氷帝と過去に対戦したことのある2年生以上なら、誰でも知っている制服であるが、一年生には分からなかったのだろう。
そのまま立ちつくして跡部を伺うように見ていると、跡部が唇の端を形良く吊り上げて笑った。
「練習、頑張ってるみたいだな」
「は、はあ………跡部さん、一人なんスか?」
いつも跡部と一緒にいる、背の高い下級生がいないので、桃城は恐る恐る質問してみた。
「おめぇに会うのにちょっと邪魔だったからな……」
「そ、そうスか………」
跡部の灰青色の瞳がすうっと眇められ、桃城は訳もなくどきり、とした。
跡部を見ると、否が応にも先日の一件を思い出してしまう。
あれから一週間ほど経っていた。
その間桃城は、折に触れ跡部のことを思いだしては、赤面したり、胸がどきどきしたり、意味もなく溜め息を吐いたりしていた。
心の底がざわざわとして、どうにも落ち着かない。
そんな気持ちを振り切るように練習に打ち込んでみたり、いつになくランニングの距離を伸ばしたりしてみたが、どうしても跡部のことが忘れられなかった。
目の前で跡部を見ると、一層先日の情景が思い浮かんで来て、桃城は顔が赤くなった。
「……よ、おめぇ、忘れ物したろ?」
跡部は、そんな桃城のことを知ってか知らぬか、ふい、と気の無さそうにズボンのポケットから包みを取り出した。
「……ほら」
それはタオルだった。
「ちゃんとクリーニング、かけておいたからな」
そう言えば跡部の家に置き忘れていたことに、桃城はその時気が付いた。
そのタオルで、跡部の身体を拭いたのだ。
跡部の、張りのある肌の感触や、しなやかな身体、そんなものを急に思い出してしまって、桃城は狼狽した。
「あ、あの、…………身体、大丈夫なんスか?」
おずおずと聞くと、跡部が桃城を検分するかのように、横柄な態度で眺めてきた。
どぎまぎして、桃城は俯いた。
ややあって、跡部が薄く笑った。
「……てめぇにゃ関係ねえだろ?」
冷たく突き放したような物言いに、桃城は密かに傷付いた。
「………じゃな」
くるりと踵を返して、跡部がズボンのポケットに手を突っ込んだまま、遠ざかっていく。
「跡部さん…………」
その後ろ姿を見ながら、桃城は何とも言えない胸のわだかまりを感じていた。















跡部はどうして自分の所に来たのだろう。
それからというもの、桃城は前にも増して跡部のことばかり考えるようになった。
家でもふと気が付くと、机に座ってぼんやりと跡部のことを考えていたりする。
特に桃城を苦しめたのは、自分が跡部を抱く妄想だった。
ベッドに入って寝ようと思うと、脳裏に鮮明に、自分が跡部を抱いたときの彼の様子が思い浮かんできて、それが桃城を苦しめた。
涙を滲ませた跡部の綺麗な瞳や、微かに震える唇。
自分のものを挿入したときの、熱く濡れた肉壁の感触。
自分を締め付けてくる動き。
どくん、と血がうねって、下半身に血液が流れ込む。
「………くそっ!」
小さく悪態を吐いて、桃城は乱暴に両手をパジャマのズボンに突っ込んだ。
下着の中で桃城のそれは、既に先端からねっとりと液をこぼして、びくびくと脈打っていた。
「跡部さん……………」
目を閉じて、小さい声で跡部の名を呼びながら、自分のそれを荒々しく扱きあげる。
「う………う………ッッ!」
数回乱暴に扱くと、桃城のそれは呆気なく弾けた。
ティッシュで後始末をしながら、桃城は肩を落として溜め息を吐いた。
こうやって、もう毎日のように跡部を想像して、自慰をしている。
(オレは…………跡部さんの事が好きなんだろうか?)
桃城はベッドの中に潜り込んで考えた。
------分からない。
自分が抱いたときの跡部は、普通の状態ではなかった。
この間、テニスこートに来ていた跡部。
冷たく突き放すような話し方をする跡部が、いつもの彼なのだ。
普段の跡部は、自分など相手にするようには思えなかった。
もし自分が好きだなどと言ってみたら、どうだろう。
きっと、あのいつもの皮肉っぽい笑いを浮かべて、他人を小馬鹿にしたような顔で一笑に付されるに違いない。
そして、跡部にそんな風に拒絶された自分がどれだけ傷付くか、容易に想像できて、桃城はベッドの中で頭を抱えた。
もう、彼のことは忘れてしまえばいいんだ。
あの時の彼は、普通じゃなかった。
だから、オレなんかを誘ってきたんだ。
もう、彼の事を考えるのはやめよう。
そうは思っても、それは頭の中だけのことで、感情では跡部を欲しがっているのに、桃城は気付いていた。
彼に触れたかった、
跡部と話がしたかった。
優しく話しかけられたい。
オレに甘えて欲しい。
ほんの少しでもオレのことを好きになってくれたら…………
いつの間にかそんな事を考えている自分に気付いて、桃城はまたベッドの中で頭を抱えた。
跡部が自分の事を好きになるなど、全くばかげた妄想だ。
跡部にとって自分は単なる行きずりの人間だったのだ。
たまたま彼が情緒不安定で、そこに自分がいただけなのだ。
オレじゃなくたって、誰だって良かったんだ。
「跡部さん…………」
布団を頭から被って、桃城は小さく呟いた。


















苦悩する桃ってのもちょっとかっこいいなって思うのでしたv