スキー 
《2》















23日の朝早く、母親に送ってもらって、手塚は不二の家へ向かった。
「本当に申し訳ありません。国光をどうぞよろしくお願いいたします」
母親がそう言って去っていくと、
「……じゃ、手塚君、車に乗ってね」
不二の母親が、にこにこして話しかけてきた。
車は大きなワゴン車だった。
「……失礼します」
礼儀正しく言うと、手塚は車に乗り込んだ。
「……おはよう……」
先に乗っていた不二が、手塚を見てにっこりと笑い掛けてきた。
「……ああ、おはよう」
ここは学校でもなく部室でもない。
不二と、プライベートで一緒なのだ。
なんとなく恥ずかしくなって、手塚は僅かに視線を外した。















車は数時間高速道路を走って、スキー場に到着した。
大きなホテルの駐車場に車を止め、自分の荷物を持って部屋に向かう。
手塚は、不二とツインルームだった。
カード式のキーを射し込んで、不二が部屋に入る。
後からどきどきする胸を押さえて、手塚も入った。
部屋は、スキー場を一望できる大きな窓と、窓際に瀟洒なテーブルとソファーのセットがあり、シックな色調に纏められたベッドが二つ、照明を挟んで並んでいた。
不二と、二人きりで泊まるんだ。
そう思うと、更にどきどきした。
「……手塚、ベッド、どっちがいい?」
先に入った不二が、振り返って話しかけてきた。
「あ、ああ、……どっちでも別に……」
「……そう? じゃ、手塚はお客様だから、奥の方がいいね?」
不二に勧められて、窓際の方のベッドに腰掛けて、荷物を降ろす。
スキーウェアに着替えると、板と靴を持ってホテルの外に出る。
ホテルの出口の所ががすぐにスキー場になっており、出ると眼前に真っ白なゲレンデが広がっていた。
軽快な音楽も鳴っている。
「手塚、スキー得意だよね?」
リフト券を購入し、一緒にリフトに乗ると、不二が足を少々ぶらぶらさせて話しかけてきた。
「おまえはどうなんだ?」
「……僕? あんまりうまくないよ」
不二が恥ずかしげに笑う。
手塚地震は小さい頃から父親に連れられて、年に数回はスキーに行っていたので、かなり滑れた。
「僕、あんまり上まで行けないんだ。手塚、行く?」
「……いや、今年初めてのスキーだから、あまり無理しないでおこう」
不二が窺うように手塚を見てきたので、手塚は微笑んだ。
比較的難易度の低いコースを数回滑ると、夕方になった。
「そろそろ上がろうか?」
不二が少々息を弾ませながら言ってきた。
板と靴をホテル指定の場所に置き、部屋に戻る。
不二家の団欒の中に混じって夕食を食べて戻ってくると、途端に手塚は緊張した。
これからずっと、不二と二人きりなのだ。
俄に胸がどきどきとしてくる。
いざ二人きりになると、何を話していいか分からなくなって、手塚は所在なくベッドに腰掛けて、不二を窺った。
「僕、先にお風呂入っていい? ちょっと疲れちゃった。キミみたいにすいすいと滑れるといいんだけどな」
不二が伸びをしながら手塚の方を見て、にっこりと笑ってきた。
「……ああ、俺はあとでいい」
「……そう? じゃ、悪いね……」
そう言って、不二がバスルームへ入っていく。
ふうっと溜め息を吐いて、手塚は俯いて自分の手を眺めた。
自分だけ緊張しているのが、恥ずかしい。
不二は、自分がこんな風にいろいろと心の中で考えていることなど知らないんだ。
そう思うと、自分が何かいけないことを妄想しているような罪悪感まで湧いてきて、手塚はなんとも言えない気持ちになった。
考え込んでいると、不二がバスルームから出てきた。
「手塚、どうぞ?」
そう言われて、
「……あ、ああ……」
と慌てて返事をして、バスルームに入る。
どうにもいつもの自分ではなく、何かと動作がぎくしゃくしているような気がする。
こんな感じで3日間ちゃんと過ごせるのだろうか。
手塚は自分に自信が無くなっていた。















その日はそれでも二人でテレビなどを見て過ごし、それから何事もなく眠りに付いた。
と言っても、手塚はよく眠れなかった。
不二が先にすうすうと寝入ってしまったのを聞いているうちに、とろとろといつの間にか少し寝た程度である。
それでもなんとか寝て、次の日は、朝からスキー場だった。
うまくないと言っても、実際には不二は、スキーはテニスの次に好きなスポーツで、手塚ほどではないがかなり滑れる。
二人で結構難易度の高いコースまで行って滑っていると、手塚も心の底のもやもやを忘れて、いつの間にか純粋に滑降を楽しんでいた。















「ねえ、君たち………高校生?」
昼にレストランで昼食を取っていた時のことである。
テーブルに相席をしてきた二人連れの女性が、にこにこと不二と手塚に声を掛けてきた。
「君たちの滑るの見てたんだけど、すっごく上手ね?」
「あ、どうもありがとう……」
こういう時、不二は如才なく受け答えする。
不二がにっこりして応対したので、二人連れの女性は嬉しそうに顔を輝かせた。
「私たち、大学生なんだけど、……ね、一緒に難しいコースに行かない? 私たちも滑るの上手なのよ?」
流行のブランドのスキーウェアを纏った、華やかな女性だった。
手塚は勿論押し黙ったままで、黙々と昼食を食べていた。
不二がちょっと困ったようだったが、女性達が乗り気なのに押し切られたのか、
「……いいですよ」
と答えた。
「……あ、でも僕たち、中学生なんですけど」
「えっ、中学生なの? 上手で大人っぽいから見えなかったわ」
女性が些かびっくりしたように言って、それからふふっと笑う。
「今からそんなに上手なんじゃ、これからもっと上手くなりそう。羨ましいわ」
女子大生たちが、親しげに不二に話しかけてくる。
まるで昔から知り合いであるかのように馴れ馴れしいのに、手塚は内心むっとした。
折角、不二と二人で滑っていたのに。
はっきり言って、非常に腹が立った。
しかし、そんな内心を表情に出すわけにも行かない。
手塚は出来る限り無表情を装った。















その日の午後は最悪だった。
二三回滑ればその女子大生たちとは別れられると思ったのに、二人連れはしつこく不二にまとわりついてきた。
むっつりとしているから手塚には近寄ってこず、不二とばかり話している。
不二は不二で、にこやかに年上の女生たち話をしているので、手塚はますますむかついた。
「ねえ、私たち、明日もいるんだけど、また一緒に滑らない?」
帰り際、漸く解放されると思ったのに、その二人連れが不二に向かってそんな事を言ってきたので、手塚は思わず盛大に眉を顰めてしまった。
表情を見られないように、急いで顔を背ける。
「ねえ、いいでしょう?」
絶対いやだ。
心の中でそう思いつつ不二を窺うと、不二が困ったように微笑んで、
「はぁ、……いいですよ」
と言った。
「じゃ、明日ここで!」
女子大生達がはしゃいで、不二の言葉に重ねるように言う。
瞬間、手塚は身体がかっと熱くなった。
一体どういうつもりなんだ。
俺と二人じゃ嫌なのか。
そう不二に言いそうになって、手塚は慌てて奥歯をぎりっと噛み締めた。
自分と不二では気持ちが違う。
自分だけが不二と二人きりになりたい、不二と滑りたいと思っているのであり、不二は自分の事をただの友人としか思っていないのだ。
だから、年上の異性にちやほやされたら悪い気はしないのは当然かもしれない。
自分の方が、変なのだ。
不二と一緒に二人だけで、とか、そんな風に考えていること自体、不二にばれたら、気持ち悪いと思われてしまうに違いない。
自分は不二を好きだが、不二は全くそんな事考えていないのだから。
俺が一人で勝手に不二と一緒で嬉しいとか、不二が他の女性と話しているのが頭に来るとか思っているだけなんだ。
不二は俺がそんな事考えているなんて、露ほども思っていないんだ。
バカみたいだ。
俺だけ、こんなに怒ったり拗ねたりして。
そう思うと、自分が情けなくて恥ずかしくて、どうしようもなくなった。
「手塚、疲れたの?」
夕食後部屋に戻っても、手塚は不二と顔を合わせられなかった。
勿論、話をすることなどできやしない。
不二から目を背けて黙々と着替えをして、シャワーを浴びて、さっさとベッドに入ってしまう。
「手塚………」
不二が心配そうに声を掛けてくるが、ちょっとでも話をすると自分の気持ちが外に漏れ出てしまいそうで怖くて、手塚は布団を頭から被った。
途方に暮れたようにそんな手塚を見ていた不二が、諦めたらしく溜め息を吐いて、ベッドに入る気配がする。
不二の気分をどれだけ害してしまっただろう。
そう思うと、手塚はなんとも言えない気持ちになって、更にむかむかしたり情けなくなったり、不二に申し訳ないと思ったり、心の中が乱れに乱れた。
不二と一緒にスキーに行けると、あんなに楽しみにしていたのに。
自分が拗ねたりしないでにこにこできていれば、今日だって楽しく夜を過ごせたのに。
二人でテレビを見たり、たわいもない話をしたり。
どうしてそんな簡単な事ができないのだろう。
そんなに自分は子供だったのだろうか。
情けなくて布団の中で涙が滲んできた。
明日はどうしようか。
気を取り直して、あの女子大生たちと行動を共に出来るだろうか。
----------駄目だ。できない。
不二が他の女性なんかと楽しそうに話しているのを一日中見ているなんて、絶対にできない。
もう、スキーなどやめて、帰ってしまいたかった。
不二と一緒にいるから辛いのだ。
家で一人でいたほうがずっとましだ。
そうは思っても、連れてきてもらっている立場上、そんな勝手なことはできない。








その日、手塚はいつまでも眠れなかった。



















オトメな手塚のオトメな嫉妬…