磊塊
-rai-kai- 《2》













次の日は、練習が休みの休日だったが、跡部は部室に用があって氷帝学園へ出かけた。
跡部は部室の自分のロッカーの中に、授業で使う教科書やノートや辞書などを詰め込んでおいたが、その中に、月曜日に完成させて提出しなければならないプリントが混じっていたのだ。
部室は、正レギュラーは鍵を持っており、自由に出入りすることが出来る。
プリントをとったらすぐに帰って来るつもりで、跡部が部室やテニスコートのある一角へ近付くと、テニスコートでボールを打つ音が聞こえた。
誰かが自主練習をしている。
といってもコートに勝手に入ることはできないから、練習をしているのは、鍵を持っている正レギュラーの誰かだ。
一体誰だろう。
正レギュラーはわざわざ休日に学校のテニスコートで練習をしなくてもいいような連中ばかりだったから、跡部は誰がわざわざ、と気になった。
テニスコートから自分の姿が見えないように並木の陰に隠れて、こっそりとコートに近付いてみる。
と。
コートの中には長い髪をきっちりと縛って、はぁはぁと息を切らしながら必死でボールを追っている穴戸と、その穴戸に鋭いサーブを打っている鳳がいた。
鳳は氷帝学園の中でも抜きんでて速度の速い鋭いサーブを打つ。
本気でそのサーブを打たれると、跡部でさえ取ることはできない。
そこまで速度を出してはいないものの、そうは言っても普通のテニスプレイヤーには取れそうにもないサーブを、鳳が、しかもサービスエリアだけではなく、穴戸のいるコートのあらゆる場所に打っていた。
穴戸が必死でそのボールを追っている。
が、一球取っては次のボールを取り逃がし、足が縺れて転んだり、苦しそうに肩で息をしていたり、見ている跡部が辛くなるほど穴戸は疲弊していた。
それでも鳳は、そんな穴戸の身体目掛けてサーブを打っている。
よろよろと穴戸が立ち上がって、なんとかそれでもボールを打ち返す。
予め打つ球の数が決まっていたのか、鳳が、
「終わりです」
といって最後に出したサーブを漸く打ち返すと、穴戸はそのままコートの上に頽れてしまった。
「穴戸先輩!」
鳳が心配そうに、倒れた穴戸に駆け寄る。
駆け寄って、いかにも宍戸のことを気にかけている、というような雰囲気で、宍戸を抱き起こす。
そんな鳳を煩わしそうにあしらいつつも、宍戸も鳳を信頼している様子が、跡部の目からも見て取れた。
二人は、コートの中で何かぼそぼそと会話をし、それから鳳が宍戸を抱き起こし、宍戸が鳳に寄りかかるような形で、ベンチまで歩いていった。
ベンチに座って、更に鳳がかいがいしくドリンクを持ってきたり、コートの側にある水道でタオルを濡らして、それを宍戸の所へ持っていっている。
宍戸がそのタオルで顔を拭くと、またタオルを受け取って、水道の所まで走る。
遠くから見ても、鳳が宍戸を心から敬愛し、彼の練習に付き合うのを喜んでいる様子が見て取れた。
あんな風に鳳が宍戸のことを慕っているとは知らなかった。
忍足から話は聞いたものの、それを目の当たりにすると、跡部は胸の中が痛むような気がした。
面白くなかった。
自分には慇懃無礼と言えるほど畏まって、どこかよそよそしい態度をとる鳳が、宍戸に対しては、まるで飼い犬のように懐き、無条件で彼を慕っている様子なのが、跡部の眉を顰めさせた。
あんな風に純粋に自分を慕ってくれる人間など、いるだろうか。
宍戸のどこに、そんなに崇拝する部分があるのだろうか。
正レギュラー落ちした宍戸を、自分の休日の大切な時間を割いてまで付き合うほど。
そんな無償の奉仕をしてくれるような人間が宍戸にいるという事が、跡部にはショックだった。
あの宍戸の、どこが一体。
鳳をあそこまで尽くさせるほどの、魅力があるのか。
『鳳、宍戸のこと好きなんやで……』
先日の忍足の言葉が頭の中に蘇る。
好き…………か。
跡部は二人から顔を背けて、ペッと唾を吐いた。
好きなどという言葉は、虫酢が走るほど嫌いだった。
胸がむかむかした。
二人に見付からないようにそっと部室に入り、跡部はプリントを自分のロッカーから取り出すと、さっさと学校を後にした。















「おい、鳳、ちょっと残れ」
それから数日後。
テニスコートでボールを打っていた鳳の所に跡部がやってきた。
「分かりました」
跡部に言われて鳳が頷くと、跡部はそれだけ言うのが目的だったらしく、さっさと鳳の前から去っていってしまった。
一体、跡部さんがオレに何の用だろう?
鳳は、跡部とは普段殆ど口を聞かない。
と言うよりは、跡部の方で鳳のことなど眼中にないらしく、滅多に呼ばれることがなかった。
正レギュラーとしても鳳はダブルス専門で、シングルスの跡部とはあまり試合もしない。
鳳がよく話すレギュラーと言えば、やはりダブルスを組んでいる滝や、或いは忍足や向日であり、部長である跡部からの指示も、自然、同じ3年である忍足や滝から自分に伝えられることが殆どであった。
だから、跡部じきじきに自分に何か指示をしてくると言うことは、これまで無かった。
何か特別に用事があるのだろうか。
その日も鳳は部活が終わった後に、宍戸の練習に付き合う予定だった。
が、跡部の用事があるのでは、そちらを優先しなければならないだろう。
そう思って、鳳は部活中に宍戸に、予め今日は練習につき合えなくなったという事を言っておいた。
「すいません……」
鳳は、宍戸の練習に付き合うのが一番楽しみだったし、宍戸に頼りにされているという事が、誇らしく嬉しくもあったから、その練習につき合えないと言うことは、とても残念なことだった。
沈んだ顔で申し訳なさそうに宍戸に言うと、宍戸が気にするなというように、鳳の肩をぽんぽんと叩いてきた。
「いいって。いっつも付き合ってもらったんじゃ悪いし、オレも今日は部活が終わったらすぐ帰るからよ」
「そうですか、すみません。……明日はやりましょうね、先輩」
「ああ、そうだな」
宍戸が照れくさそうに笑う。
そんな宍戸の顔を見ているだけで、鳳は幸せな気持ちになる。
鳳は、宍戸の事を心の底から尊敬し慕っていた。
彼のためなら何時間でも練習に付き合いたいと思うほど好きだった。
宍戸に喜んでもらいたい。
宍戸にもう一度レギュラーに戻ってもらいたい。
宍戸の悔しそうな顔を見るのが辛い。
特に宍戸は3年生だから、今レギュラー落ちをすると、もう試合に出るチャンスがない。
それだけに、鳳は必死だった。
「じゃあ、明日、またな」
宍戸にそう言われて、
「はい」
と返事をし、それから鳳は部室に戻った。















正レギュラー用の部屋でシャワーを浴びて汗を流し、制服に着替えて跡部を待つ。
他のレギュラーたちが
「鳳、お先に」
と言って帰ってしばらくすると、跡部が部室に入って来た。
部室のドアをバタンと開けて入ってきて、部屋の中に鳳が一人で居るのを目で確認し、部室のドアを閉める。
「……あの、何かご用ですか?」
跡部が自分に一瞥をくれてきたのは分かったが、特に何も言ってこなかったので、鳳は自分の方から口を開いた。
「ちょっとこっちに座ってろ」
命令するように言って跡部がシャワー室に入っていくのを、鳳はぼんやりと眺めた。
正レギュラー用の部屋には、テーブルとソファのセットがある。
その3人掛けのソファの方に所在なく座って跡部を待つと、数分して腰にバスタオルを巻き付けて、もう一枚のタオルで頭を拭きながら、跡部がシャワー室から出てきた。
髪をごしごしと拭きながら、跡部が鳳の隣に座ってくる。
「跡部さん、オレに何か用ですか?」
「まぁな………」
頭を拭いたタオルを首にかけて、跡部がソファの背にゆったりともたれかかる。
「………おまえ、随分と宍戸に肩入れしてるようじゃねえか?」
頭をソファに預けて、上を向いた格好で、跡部が話しかけてきた。
「自分の練習が、疎かになってるんじゃねえか?」
「い、いえ、そんな事はありません!」
跡部が、自分が練習をさぼっていると思って、それを注意している。
そのために残されたのかと思って、鳳は慌てて首を振った。
「自分は練習はちゃんとやっています! ただ練習以外の時間に、宍戸先輩にちょっと付き合っているだけです。宍戸先輩、すごく一生懸命なんです。……自分は、部活の練習をさぼっているわけじゃありません!」
「まぁ、おまえが部活をちゃんとやってればいいんだけどよ……」
跡部が頭の後ろに手をやって、鳳の方を向いてきた。
「宍戸先輩は、本当に一生懸命なんです」
跡部の目が冷ややかなのを見てとって、鳳は必死に抗弁した。
「でもな。鳳よ」
跡部がほんのすこし唇の端を上げて笑った。
「監督は、宍戸を使わねえぜ。知ってんだろ? 監督が、一度でも負けたヤツは二度と試合で使わねえってことをよ」
言われて鳳は俯いた。
その通りだった。
監督は、今まで、公式戦で負けた人間を再起用した事がないのだ。
たとえ正レギュラーであろうとも、試合で負けたらそこで終わり。
即レギュラー落ちをして、二度と公式の試合に出してもらえない。
氷帝学園のテニス部は200人もの部員をかかえているから、代わりの人材はいくらでもいるのである。
「そうだろう、鳳、おまえ分かってるんだろ?」
跡部が畳みかけるように言ってきた。
反論することができず、鳳は項垂れた。
「で、でも、本当に宍戸先輩は一生懸命なんです。実力だって、今まで以上に何倍にもなってると思います。きっと宍戸先輩の力をちゃんと分かれば、監督だって……」
「本当にそう思ってんのか、おまえ?」
跡部にすげなく言われて、鳳は唇を噛んだ。
今言った自分の言葉は、希望的観測に過ぎない。
もしかしたら考え直してくれるかも知れない、というだけで、あの監督が、今までの自分の方針を、たとえ宍戸がいかに強くなろうとも覆すとは、本当の所思えなかった。
返す言葉もなくて、鳳は俯いて膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。
「まぁ、でもよ。オレが監督に宍戸をレギュラーに戻してくれって言えば戻れるとは思うんだけどな?」


















宍戸を餌に…ってパターン(笑)