first love 《2》
十月の終わりから十一月の初めにかけての連休を利用して、青春学園中等部では盛大な文化祭が催される。
手塚達3年生にとっては最後の文化祭であり、また生徒会長としての仕事もこれで最後、ということもあり、手塚は連日夕方遅くまで準備に追われていた。
その努力もあってか、文化祭は無事開催され、順調に日程も過ぎていった。
最後の日、自分の自由な時間ができた手塚は、大石と一緒に校内の催し物を見て回った。
催し物には二種類あり、クラス毎の企画、それから部活動の出し物それぞれが華やかに催され、休日ということもあって、外部から他校生や保護者が大勢訪れていた。
クラスを一つ一つ見て回っているときである。
突然手塚は足が止まった。
そこは1年1組で、教室では、真面目な研究発表の展示が行われていた。
クラスでまとめたものだろう、『近年の地球温暖化について』という総合学習の発表で、大きな模造紙に資料や説明が記されている。
それを教室の壁に貼り、見学に来た人たちに最後に感想を書いてもらう、という展示だった。
こういう真面目な発表は、残念ながらあまり人が入らない。
1組の教室も、中には5、6人、そのクラスの保護者と見られる大人がいるだけだった。
そこに入ろうとして手塚が足を止めたのは、入り口の受付の所にリョーマが座っていたからだった。
いや、正確にはリョーマともう一人、竜崎咲乃が座っていた。
咲乃はこのクラスではないが、遊びに来ているらしい。
頭の後ろで手を組んで、幾分所在なげに座っているリョーマに、咲乃がにこにこしながらしきりに話しかけている。
リョーマも満更ではないのか、たまに咲乃の話に相づちを打ったり、首を傾げて聞き入ったりして、傍目からは微笑ましい1年生カップルに見えた。
「越前も結構楽しそうじゃないか?」
大石が手塚に話しかけてきた。
「なんだかんだ言って、あの二人、お似合いだよな」
同意を求められて、手塚は、
「ああ、そうだな」
と小さい声で返した。
確かに、年齢も背丈も、何もかも釣り合った可愛らしいカップルである。
リョーマが咲乃と仲が良いのなら、それはそれでいいことではないか。
もう、自分に対して前のような視線を投げかけてくることもあるまい。
そうは思っても、手塚はしかし、爪先から頭の上まで全身が冷たくなった。
表情もきっと強張っているだろう。
必死で平静を装っているものの、胸の中にどす黒い、なんともいえない不快感がわき上がってくる。
叫びだしたくなる。
「どうする、手塚、見ていくか?」
大石が手塚に言ってきた。
「そうだな。……いや、時間もないから、やめておこう」
リョーマが咲乃と仲良く座っている前で平然と展示物を見るなど、到底できそうになかった。
大石にそう言って、踵を返して教室から離れようとすると、ふっとリョーマが教室の外を見てきた。
視線が合って、手塚は心臓がきゅっと縮み上がった。
自分がどんな表情をしていたか、きっとリョーマに分かってしまっただろう。
しかしリョーマは手塚をちらっと見て、そのまますぐに咲乃の方に向き直ってしまった。
夏までの、喰らい尽くすような視線で自分を見ていたことなど、----そんな事実などまるで無かったかように、気のない動作。
手塚にはそう見えた。
膝ががくがくとして、堪えようとしても、手塚は、抑えきれない感情の高まりが突き上げてくるのを感じた。
「……行こう」
そう言って、リョーマからもぎとるように視線を逸らし、廊下を歩き出す。
………もう、越前は俺のことを忘れたんだ。
俺をあんな目で見ていたことなんて、すっかり忘れたんだ。
それでいいじゃないか。
それを願っていたんじゃないか。
-------それなのに。
後悔とも悲嘆ともつかぬ、表現しようのない感情がこみあげてくる。
どうしていいのか分からなかった。
自分のほうから離れておいて、今更後悔するなんて。
今更そんな事を考えたってどうしようもないのに。
自分の思惑通りになったじゃないか。
元々、リョーマが自分の事を好きだったのかどうかだって、分からない。
自分の思い過ごしだったのかも知れない。
勝手にその気になって。
意味もなく避けたりして。
そんな自分の姿を考えると、その滑稽さに手塚は死にたくなるほど恥ずかしくなった。
恥ずかしくなると同時に、耐え難い喪失感が手塚を襲った。
もしかしたらリョーマは、本当に自分のことを好きだったのかも知れない。
あの真摯な瞳や、そっと触れてきた手の感触。
あれが嘘だったとは思いたくない。
しかし、どちらにしろ、………もう遅い。
俺は越前の手を振り払ってしまったのだ。
逃げておいて今更やっぱりおまえの事が好きだなんて、言えるはずがない。
そうでなくても、二つも下の一年生に、そんなよこしまな気持ちを抱いているなんて、他人が知ったらどうだろう。
------次から次へと頭の中に、そんな事ばかり思い浮かぶ。
大石の問いかけにも上の空で、催し物など見ているような余裕もなかった。
学校から立ち去ってしまいたかった。
逃げたかった。
しかし、仕事を無責任に投げ捨てて帰るわけにも行かず、手塚は必死で自分を建て直した。
とにかく、目の前の仕事に没頭するしかない。
自分には、勉強や生徒会の仕事の引継や、様々なやるべき事がある。
リョーマの事なんて考えているような、そんな暇なんてないんだ。
何度も何度もそう自分に言い聞かせて、手塚は無理矢理心の中からリョーマの影を追い出そうとした。
ところが。
文化祭が終了して数日後。
そんな手塚の努力をあざ笑うかのように、手塚はリョーマと二人きりで会う羽目に陥った。
テニス部の顧問の竜崎から手塚に呼び出しがあり職員室に行ったところ、リョーマに会ってやってくれと頼まれたのだ。
「実は、越前がな、ジュニア選抜に選ばれて、合宿に行くことになったんじゃ」
勉強の方で何か呼び出しされたのかと思っていた手塚は、竜崎の口から突然越前という言葉が出てきて、びくりとした。
「越前がですか? 彼は1年生ですが」
ジュニア選抜は中学2年生から選ばれることになっている。
「そうなんじゃが、特別推薦でな。よほどいい人材だと思われてるようなのだ」
「……そうですか」
平静を装って答えるものの、語尾が震える。
「それで、ほら、去年、おまえさん、選抜を辞退はしたが、いろいろ知ってるだろう? それで越前がおまえに聞きたいことがあるって言うんだよ。どうかな、教えてやってくれないか?」
「……はい。分かりました」
顧問の竜崎の頼みを断るわけにはいかない。
本当は断りたいところをぐっと堪えて承諾すると、竜崎がほっとしたように顔を綻ばせた。「いや、越前がそんな事で不安になるとも思えないが、ま、たまにはおまえさんとも話がしたいんだろうよ。……で、越前が言うには、学校の帰りにおまえさんちに寄るって言うんだが、それでいいかい?」
「………はい」
越前が自分の家に?
学校の外で会う。
と言うことは……………。
手塚は戦慄がした。
大丈夫だろうか。
自分の気持ちがばれやしないだろうか。
いや、越前は、もう俺の事なんてなんとも思ってないんだから。
だから俺だって、事務的に応対すればいいだけの話だ。
………大丈夫だ。
「じゃあ越前にはOKと言っておくから。頼むよ」
竜崎にそう言われると、手塚はにっこりして頷かざるを得なかった。
オトメな手塚は可愛いですねv