不如帰 
《13》











第3部


















早春の柔らかな日差しが降り注ぐ、休日の街角。
母親に買い物を頼まれた不二は、普段あまり通らない界隈に来ていた。
学校は既に春休みに入っている。
部活があるのは平日の午前中だけで、午後は自主練習、土日は休日になっていた。
ここのところ、不二は、よく一人でふらりと街に出ていた。
以前は菊丸や、或いは手塚と行動していたものだが、手塚と別れてからは、勿論手塚とは一緒に行動しなくなったし、手塚との一件があってから、菊丸ともなんとなく気まずいまま日々が過ぎていた。
あの冬の夜、菊丸にきっぱりと言ってはみたものの、不二は、菊丸に言ったほど、自分の気持ちが固まっていたわけでもなかった。
ただ、手塚に、前のように優しく出来そうにもない。
手塚を見ると、訳もなくイライラして、自分が抑えきれない。
そんな風に不安定になる自分が嫌で、故意に手塚を遠ざけ、一方的に別れを宣言したのだ。
手塚が菊丸と関係を持ったという事をきいて、それなら菊丸とくっついてしまえばいい、と半ば自暴自棄的な気持ちにもなった。
あれから、部活などで顔を合わせることもあって、不二は心密かに緊張していたが、手塚はどうやら不二のことをあきらめたらしかった。
不二が別れを宣言した後、数日、学校を休んでいたが、その後登校したとき、手塚はもう現実を受け入れたというような表情をしていた。
不二に対しても、淡々と接するようになった。
それでいて、菊丸とも交際しているような様子もない。
菊丸は菊丸で、手塚が出てきた週は非常に落ち込んでいて、心ここにあらず、で授業にも殆ど身が入らないようだった。
菊丸の事が好きなわけでは、ないんだな。
そう思ってどこかほっとしている自分が、不二は卑怯に思えてならなかった。
自分は手塚を拒絶したくせに、その手塚が菊丸と付き合わない様子なのを見て喜んでいる。
では、自分は一体どうしたいのか?
そう考えると、分からなかった。
そんな風に中途半端な状態のまま3学期が終了して、春休みに入ったのだった。

















母に頼まれた買い物は、予め母が予約しておいた書籍の受け取りだった。
都内でも屈指の大きな書店まで、電車を乗り継いで行く。
窓の外は春霞がかかり、線路の脇に植えられた植栽が、赤や白の可憐な花を咲かせている。
去年の今頃は、手塚と一緒にいろいろな所へ遊びに行った。
唐突にそういう事を思い出して、不二は俯いた。
あの頃は、手塚と一緒にいられるだけで幸せで、時折見せる手塚のはにかんだような笑顔や、手を握るとびくりと反応しておずおずと自分の手を握ってくる純情さなど、何もかもが愛おしかった。
あの頃はまだキスもしていなくて、ただ手を握るぐらいの関係だったのだ。
その後、夏休みに一緒に山に行ったときにキスをして、それから手塚の誕生日に、初めてセックスをした。
あの頃からだろうか。
自分の独占欲がどんどん強くなってきて、自分でも制御しきれなくなって苦しく感じるようになったのは。
手塚を一日中、自分だけのものにしておきたい。
他の人間と話をさせたくない。
そんな到底実現不可能な要求まで考えてしまって、そんな風に独占欲の強い自分にぞっとして、なんとか抑えようとして、結局自分に負けたのだ。
不二は胸の奥が疼いた。
手塚には本当に悪いことをした。
彼には何の罪もないのに。
手塚が心から自分を愛していてくれることは、よく分かっていた。
それなのに、その手塚を傷つけた。
あまつさえ、菊丸まで巻き込んでしまった。
自分の弱さが原因で、手塚も菊丸も喪ってしまった………。
膝の上に置いた拳をぎゅっと握りしめて、不二はそう思った。

















母に頼まれた本を書店からもらいうけ、ついでに写真の雑誌などをぱらぱらと眺めて時間をつぶしていると、不二は少々空腹を感じた。
書店を出て、ふらりと近くのファストフード店に入る。
ホットコーヒーとサンドイッチを買って、道路に面した窓際の席に一人座る。
休日の午後で、大きな街路樹の植えられた歩道は、春物を軽やかに纏った人々が、楽しげに闊歩していた。
それらを見るともなく見ながらコーヒーを飲んでいると、
(………………!)
不意に、視界の端に見覚えのある人物が映って、不二は心拍数が跳ね上がった。
道路の向こう側の歩道を、手塚が歩いていた。
街路樹の影になっていたところから、ちょうど不二の目に入る位置に出てきたところだった。
(手塚…………)
急に胸が痛くなって、不二は思わず拳を握りしめた。
白っぽいパーカーを羽織った手塚は、学ランより幾分幼く見えた。
心臓がどきどきとし、切ない感情が溢れてくる。
手塚から目を背けようとして、その瞬間、不二の視界の端に、街路樹の影になって見えなかった、もう一人の人物が飛び込んできた。
手塚がその人物に親密に話しかけている。
息が急に吐けなくなって、不二はその人物を凝視した。
(………誰だ?)
その時ちょうど、その人物が不二の方を向いてきたので、不二は顔をはっきりと見た。
(…………跡部……?)
予想外の人物に、不二は驚愕した。
それは、氷帝学園の跡部景吾だった。
不二は跡部と話をしたことはないが、テニスの試合等で、跡部の顔はよく知っている。
息を呑んでじっと見つめていると、跡部が何か手塚に話しかけながら、手塚の肩を馴れ馴れしく撫でてきた。
それから、手塚の耳に顔を寄せて何か囁いている。
それを受けて、手塚がはにかんだ笑いを浮かべるのを、不二は呆然として見た。
二人はそのまま並んで歩きながら、不二の視界から消え去っていった。
一体、どうして手塚と跡部が……………?!
不二には、今見た光景が信じられなかった。
手塚が跡部と仲が良いなど、全く知らなかった。
いや、さっきの様子は、単なる仲の良い友人ではなかった。
手塚と深い関係にあった不二には、跡部が不二と同じ立場にいるのが一瞬にして分かった。
手塚は跡部と付き合っていたのか。
知らなかった。
一体、いつから?
少なくとも、自分と付き合っていた時点では、自分一人としか付き合っていなかったはずだ。
なぜなら、それまで不二と手塚は始終一緒にいたし、お互いに秘密もなく、そして、手塚を抱いていたのは自分だけだと確信できていたからだ。
となると、自分が手塚に別れを告げた時点以降だろうか。
手塚に別れを告げたのは、1月の終わりだった。
それから二ヶ月弱。
その間不二は殆ど手塚と接していなかったから、手塚の私生活や余暇の過ごし方については全く分からなかった。
「……………」
俯いて拳をぎゅっと握りしめて、不二は心の中に湧き起こってくるどす黒い嫉妬の炎をなんとかして治めようとした。
手塚が誰と付き合おうと、自分の知ったことではない。
というよりは、自分に手塚を責める資格はない。
…………手塚のことは、僕が振ったんだ。
その後手塚が誰と付き合おうが、僕には関係がないし、口を差し挟むことなんかできない。
それに、手塚は幸せそうだった。
跡部の耳打ちに答えてほんのりと笑う手塚の顔は、自分と一緒にいるときに見せていた笑顔と同じだったからだ。
きっと幸せなんだろう。
良かったじゃないか。
手塚に幸せになってもらいたかったし、僕にはそれができなかったんだから………。
きっと跡部には、それができるんだ。
「……………」
一生懸命、理性でそう思いこもうとしたが、感情はそうはいかなかった。
むかむかとして吐き気がした。
胃が迫り上がってくるような気がした。
自分と別れたばかりだというのに。
自分は手塚のことが思いきれなくて、ずっと苦しい思いをしているというのに。
てっきり手塚も、自分と同じように苦しんでいると思ったのに。
………そうじゃなかった。
他の男なんかに、幸せそうな笑顔を見せている手塚が許せなかった。
頭の中ががんがんとしてきて、じっとしていられない。
--------ガタン。
荒々しく音を立てて椅子から立ち上がると、不二は乱暴に店を出た。
穏やかに話をしていた人々が驚いて自分を見るのが分かったが、表面を取り繕う余裕もなかった。



















第3部不二塚編その1