修学旅行
 《3》












外出時間は、交流会が終わった後の午後、ホテルに戻るまでの数時間だった。
殆どの日程も終わり、あとは買い物をして日本に帰るだけ、と思っているためか、他の生徒も心なし浮き浮きしたり、残念そうだったりする。
手塚もあっという間だったような気がした。
少なくとも手塚にとっては、心の半分は不二のことで占められていたから、もう日本に帰るのか、と思うと、不二とまた一緒に練習をしたり、学校で会ったり出来るという嬉しさと共に、恐れが湧いてきた。
帰って、不二に会って、………どうしようか。
いつも通り、接すればいいんだ。
でも。もし。
不二から、はっきりと別れの言葉でも言い出されたら。
そんな事ばかり考えていて、手塚は相変わらず旅行を楽しめなかった。

















「手塚、ちょっと寄りたい店があるんだけど、いいかな?」
その時もぼうっとして不二のことを考えていたらしかった。
ふと我に返ると、そこは台北でも人の多い市場で、目の前では一緒に買い物をしていた大石が申し訳ない、というような顔で手塚に話しかけていた。
「あ、ああ……どこに行くんだ?」
「おじさんから紹介された店に行きたいんだけど。…少し遠いんだ。いいかな。胃薬買っていこうかなって思って」
大石は、中学生がわざわざ台湾まで来て薬を買うというのが恥ずかしいのか、口ごもった。
「漢方薬かなにかか?」
「そうなんだ。…観光ガイドとかには載ってないんだけど、すごく信用の出来る店で、いい漢方薬を売ってるんだ。おじさんから教えてもらって、連絡もしてもらってあるんだよね」
「そうか、大石のおじさんはお医者さんだったものな」
「うん、だから店に行って薬を受け取ってくればいいんだけどさ。…いいかな?」
「ああ、もちろんだ」
手塚が微笑んでそう言うと、大石がほっとしたように息を吐いた。
「地図も描いてもらったから、こっちへ行けばいいんだけど…」
二人で大通りから路地を入って裏通りに出ると、そこは市場でも静かな、薬専門街のようだった。
店先で売り子が盛んに呼びかけをしてくる中をかいくぐって、通りの一番外れまで来ると、大きな川が流れていて、道が行き止まりになっていた。
「あ、ここかな?」
大石が指さした店は、古びた趣のある家屋で、軒が低く、通りに面して出された台には、珍しい漢方の品々が綺麗に並べられていた。
「すいません……」
と声を掛けながら入ると、中は思ったよりも奥行きが広く、薄暗い奥から店の主人らしい50年輩の男性が出てきた。
「はい、いらっしゃい」
主人は日本語がしゃべれるようで、大石を見て日本人だと分かったのか、最初から日本語で話しかけてきた。
「あ、すいません、電話で連絡がしてあると思うんですが…」
そう言って大石がリュックから伝言メモを取り出すのを、手塚はぼんやり眺めていた。
主人と大石は二言三言言葉を交わして、それから大石がちょっと待っていてくれという目配せを手塚にし、店の奥の別の部屋に入っていった。
店に一人で残された形になって、手塚は壁や棚に所狭しと並べられた漢方の原料や薬を眺めた。
難しい、日本では使われていない漢字をいくつも配した名前が、紙に墨で書かれている。
紙のはしには、小さく、中国語と日本語と韓国語で説明がついていた。
それを見るとも無しにぼんやりと見ているうちに、ふと手塚の目に、一つの薬が飛び込んできた。
『淫羊蕾参』という名前のその薬は、効能に「精神的疲労は現代病として性生活の上で大きな問題となっております。ストレスで性生活に支障を来している方にお勧めの即効性生薬。ベッドイン前に一錠」と書かれていた。
「………」
漢方薬の店だから、大人向けのそういう薬もあるのは当然なのだが、手塚は瞬時顔が赤くなった。
こんな薬を眺めているのを知られたら、とんでもない。
早く離れよう、と思うのだが、同時に、この薬があれば、不二と……という考えが急に湧き起こってきて、手塚はその場から離れられなかった。
どうだろうか。
先日、不二に求められたとき、どうしても自分が勃起できなかったことを思い出す。
緊張しすぎているせいだ。
本当は不二に抱かれたいのに、恐怖とか不安とか、羞恥とか、そういうものが先に立って、どうしても気持ちを解放することが出来ない。
そんな事が続いて、焦りの気持ちまで加わって、尚更興奮できなくなっている。
こういうのを、ストレスというんじゃないだろうか?
だったら、これを飲めば………。
「何かお求めですか?」
その時、不意に後ろから声を掛けられて、手塚は仰天した。
「は、はい、これを」
狼狽して、無意識に薬を取って渡していた。
後ろから声を掛けてきたのは、30代前後の実直そうな店員だったが、手塚を見、薬を見て、親切そうな微笑みを浮かべた。
「はい、分かりました」
私服の手塚は実年齢よりもずっと上に見られる。
どうやら店員は、手塚を成年だと思いこんだようだった。
「では××円です。どうもありがとうございました」
こういう薬を買う客に慣れているのか、店員は素早くその薬を梱包すると、さりげなく手塚に渡した。
言われた金額を呆然として払って、ふと気が付くと、手塚はその薬の入った袋を下げて、ぼんやり、店の外に立っていた。

















「あれ、おまえもなんか買ったのか?」
後から店を出てきた大石に覗き込まれ、手塚は狼狽した。
「い、いや、ちょっと母に…」
「ふうん、おまえって家族思いだもんな」
そう言ってにっこり笑う大石の顔が、まともに見られなかった。
寄りにも寄って、異国の地でこんな薬を。
しかも、今は修学旅行中だというのに。
中学生がこんな薬を買っていいのか。
そう考えると、顔から火が出そうなるほど恥ずかしかった。
と、同時に、心の底がざわざわした。
不二と、うまく行くかも知れない。
そういう根拠のない展望が開けてきたのだ。
早く、不二に会いたい。
----------そうだ。
旅行から帰ったら、不二の家に泊まりに行こう。
不二に断られても、一日だけでいいから、と言って。
絶対、うまく行く。
そうしたら、不二だって、もう別れようなんてて事を言わないはず。
急に気持ちが軽くなった。
「じゃ、ホテル戻るか?」
手塚は無意識に笑顔になって、大石に話しかけた。
「あ、ああ」
突然明るくなった手塚に戸惑ったような顔をする大石にも構わず、手塚は早足でホテルに向かった。

















次の日は午前中、最後の見学、午後は飛行機に乗り、夕方、手塚達は無事成田空港についた。
成田から、クラス毎のバスに乗って学校まで戻る。
1号車のバスが学校に到着して、担任のねぎらいの言葉と共に解散したあとも、手塚は6号車を待って学校に残っていた。
数分後に、6号車が学校に入ってきた。
がやがやと生徒達が降りる中から、手塚は必死で不二を探した。
やがて生徒があらかた降車した頃に、ふわりとした茶色の髪を揺らして不二が降りてきた。
「…不二」
不二に会うのは、実のところ5日ぶりだった。
「……手塚?」
まさか手塚が待っているとは思わなかったのだろう、不二がいぶかしげな表情をした。
「…どうしたの? 1組の人はみんな帰ったんだろう?」
「ああ、そうなんだが…」
「あれ、手塚じゃん」
不二の後から降りてきた菊丸が、手塚を見付けて嬉しそうに声を掛けてきた。
「オレ結構疲れちゃったよ。手塚は?」
菊丸がにこにこして話しかけてくるのは嬉しいことだが、今日の手塚は不二とだけ話がしたかった。
その雰囲気が見て取れたのか、不二が苦笑した。
「エージ、僕、手塚と約束してあったんだ。先帰ってくれる?」
「えっ? なーんだ、オレは独りかよ」
菊丸はしばらくぶつぶつ言っていたが、肩を竦めて、
「じゃあ明後日な!」
と言って荷物を肩に担いで帰っていった。
明日は代休で、2年生は全員休日になっていた。
だから、手塚は、このまま不二の家に行きたかった。
バッグの中には、薬も入っている。
買ってから、箱を開けて、何度も中を見て、それから効能書きも漢字を頼りに読んでみた。
読んでもよく内容は分からなかったが、でも、大石のおじさんお勧めの店で買った薬だ。
絶対効くに違いない。
「手塚、旅行どうだった? 君の挨拶、すっごく格好良かったよ」
不二が手塚にふんわりと笑い掛けた。
「あ、………不二…」
「…なに?」
「あの、今日、……おまえの家に泊まってもいいか?」





















微妙に内容がギャグ調になってますが、あくまでシリアスですので宜しくです(汗)