壁立千仞
--へきりつせんじん-- 《2》











テニス部室棟までは、講堂から歩いて5分ほどだった。
広い校庭を横切ると、河川敷の上にそびえたつ鉄筋コンクリート3階建ての独立した部室棟が見えてくる。
全国大会連続優勝の実績が作り出した、豪華な部室である。
その3階の第1応接室に招かれて、井上は落ち着いた色合いの革張りのソファに座っていた。
河川敷にある広大なテニスコートでは、数百人はいるであろう部員たちの、テニスボールを打つ音や掛け声が、微かなさんざめきとなって流れてくる。
もっとも、それは真田が窓を開けてテニスコートを眺めていたからであり、彼が窓を閉めると部屋の中はしんと静まりかえった。
茶色を基調とした落ち着いた部屋は、一般企業の応接室にも勝るとも劣らない調度品が揃っていた。
中学生にここまで……一瞬そう思ってしまうほどであるが、ここには全国から様々な大人もやってくる。
私立中ならではの豪華さなのだろう。
ここに入るのは初めてではないとは言え、いつも圧倒される自分を井上は些か情けなくも思った。
「それにしても、今日の抽選は波瀾万丈だったね」
香しい匂いをたてる珈琲を口に運びながら、井上は向かいに座った真田を見た。
何を言ったらいいのか適当な発言が思い浮かばず、言葉を濁した結果である。
部屋に入る前から、井上は、怪しい胸のざわめきを処理しきれずにいた。
真田の一挙手一投足が、気になる。
それも、ただ気になる、というのではなくて、性的に自分が興奮しているのが分かって、井上は混乱していた。
自分はいったい………。
俺は中学生の、しかも男を見て興奮する人間だったのか…。
そう思って愕然としつつも、だが、真田から目が離せない。
珈琲カップを持つ真田の骨張った手。
伏し目がちになると、瞳に被さる長く黒い睫。
それが、なんとも言えない風情を醸し出している。
半開きの厚い唇と、コーヒーを飲む時の、喉の動き。
(…………)
ぞわっと背筋が逆立って、井上は狼狽した。
興奮していた。
スーツのズボンの中で、自分の下半身が頭を擡げ、もったりと重く膨らんでいくのが分かる。
「…どうしました?」
身体を強張らせたのが分かったのか、真田が俯いていた目線を上げて、井上をじっと見つめてきた。
三白眼の黒く鋭い眼光に射竦められて、井上は息が詰まるような気がした。
-------------ドクン。
血がうねる。
黒く吸い込まれそうな、王者の瞳。
中学生にして、あんな瞳をするとは……。
圧倒させられる。
自分が、ほんのつまらない人間だと、思いきり認識させられる。
そんな瞳。
だが………。
……彼は、まだ中学生だ。
いくらなんでも人生経験は足りないはずだ。
井上は大きくなる鼓動を必死で鎮めた。
いくら老成していても、大人ではない。
生きてきた年月が違う。
経験の度合いだって違うはずだ。
………例えば。
性体験など………女性と経験した事など、あるはずもないだろう。
(童貞、なのか……?)
不意に脳裏にそんな言葉が思い浮かんだ。
(……勿論だよな…)
彼の性格からして、女性と付き合う事などするはずもない。
テニス一筋で、修行僧のような毎日を送っているはずだ。
としても……。
(……自慰ぐらいはするだろうか…)
ぞくっと背筋に戦慄が走って、井上は思わず身動いだ。
ペニスがむくりと蠢く。
彼の、……自慰。
まさか、それぐらいはするだろう------考えただけで、脳が沸騰しそうだった。
どんな表情をして、そんな事をするのだろうか。
あの、きりっとした眉を寄せ、あの厚めの唇を開いて、切ない溜息など吐くのだろうか。
……いやいや、それも考えられない。
きっと彼なら、声も出さず、乱れもせず、粛々とやりそうだ。
だが、それでは気持ち良くないだろうな。
まだ中学生だから、そういうのは殆ど経験していないかもしれないぞ。
彼の体格からして、発育は良さそうだが、ああいう堅い人間は、意外と知らないものだ。
もしかしたら、自慰もしたことがないかもしれないぞ。
(まさかな……)















「…井上さん?」
「あっ…あぁ、済まない…」
いつの間にか、真田が自分の隣に座っていた。
突如至近で話しかけられて、井上は動転した。
真田の、苦みばしった樹木のような清涼な体臭が、鼻腔を擽る。
-------ドクン、とペニスがまた蠢いた。
鼓動がわんわんと脳裏に反響する。
鼓動に合わせてペニスがむくむくと張り詰め、ズボンの布地を押し上げていく。
「どうかしましたか?」
「あ、あぁ、いやその……」
はらり、と真田の黒い瞳に前髪がかかる。
目の下ぐらいの長さで切りそろえられた前髪は、艶やかで銀砂のように流れた。
「………」
(何か、話を……)
井上は働かない頭で必死に考えた。
「…じ、実は、雑誌に載せるちょっと軽めの話題という事でね、テニスプレイヤーのプライベートは、とかアンケートを取っているんだよ」
奇跡的に言葉が出た。
一旦言葉が出ると、自制心が戻ってくる。
井上は注意深く言葉を繋げた。
「真田君が答えたくなければいいんだ。名前も出ないしね、アンケートだから」
「…はい」
コーヒーカップをテーブルにことり、と置いて真田が井上を見つめる。
「……真田君には、付き合っている人とかいるかな?」
真田がじろり、と井上を見た。
その眼光の鋭さに臆しそうになりつつも、井上は平然とした装いで耐えた。
「いえ、いませんが……」
「なるほど、いない、か…」
アンケートなど口から出任せだったが、それなりの様子を見せないと怪しまれるだろうと、書類ケースからメモを取り出し、ボールペンで書き込む。
「やはり、いない人が多いよね。テニスしていたらそんなヒマもないだろうしねぇ。でも、……真田君ならモテるだろう? 付き合ってください、とかいつも言われて閉口しているんじゃないかな?」
「…俺はモてません」
言下に否定される。
ちらりと横目で窺うと、そのような馬鹿な話をするならもう終わりにするぞ、とでも言わんばかりの視線である。
その視線に、井上はたまらなく興奮した。
ぞわり、と背中の毛が逆立ち、ペニスが更にズボンを押し上げていく。
「なるほど、モてない、とね…」
メモ帳に書き込み、更に井上は切り込んだ。
「では、勿論………童貞って事だね?」
「………」
す、と三白眼が眇められる。
息が詰まる。
だが、視線を逸らさず平然と真田の鋭い眼光に耐えていると、真田が僅かに視線を逸らした。
「……えぇ、そうですね…」
どっと冷や汗が出て、井上は止めていた息を吐いた。
「ちょっとここからはオフレコで聞きたいんだが…」
「……なんですか?」
「君みたいに発育も良くて、身体もほぼ大人になっていると、……したくならないかい?」
できるだけ平静な声を出したつもりだったが、語尾は震えた。
真田が一瞬瞳を見開いた。
綺麗な二重瞼が微かに動き、黒い瞳が左右に揺れる。
「……分かりません……」
「どうしてかな? 自分で慰めたりはするんだろう?」
「………」
眉が、くっと寄せられたが、瞳は拒絶を表していなかった。
黒曜石のような虹彩がすっと狭められ、井上を吸い取るように見つめてくる。
「……勿論、自分ではしますが。……そんな事は考えた事もありませんから」
低く甘いテノールが、井上の耳を擽る。
………ぞくぞくした。
血がどくんと沸き立って、ズボンの中のペニスが痛いほど張り詰める。
「テニスで発散しているってわけかな?…でも……」
井上は覚悟を決めて行動に出た。
真田の制服のズボンに手を伸ばすと、形をなぞるように、ズボンの上から真田のモノをまさぐり、柔らかな肉の感触を布地越しに感じると、そこを握りしめてみたのだ。
真田がさすがにびく、と身体を強張らせた。
鋭い視線はそのままだが、その瞳に僅かに潤みがかかる。
抵抗しないのを見て取り、井上は指に強弱をつけて、真田の股間をやわやわと握り込みながら指を動かしてみた。
指の中で、その部分がむく、と蠢いたのが分かる。
ぞくっと背骨を戦慄が走る。
蠢いた肉塊は、指で握りしめるほどに、堅くなっていく。
「……自分でやるよりも、他人にやってもらったほうが、気持ちいいと、思うんだが、どうかな……?」
声が上擦り、掠れた。
危険な賭けだった。
もし真田が抵抗すれば、自分などひとたまりもない。
仕事だって失うだろう。
だが、今が唯一のチャンスだった。
こんな僥倖は二度と来ない。
「…真田君……たまにはテニス以外で運動するのも、悪くない、と思うが……」
顔を近づけ、真田の首筋に顔を埋める。
樹木のような爽やかな匂い。
吸い込むとくらり、と眩暈がした。
舌を出して、筋張った真田の首筋をざらりと舐める。
真田の身体が一瞬震えた。
手の中の真田自身が、むくり、と勃き上がる。
「そう、ですね……」
掠れた、低いテノール。
全身が戦く。
歓喜が、押し寄せてくる。
「向こうの部屋にベッドがあるだろう……行かないか?」
応接室の隣は、仮眠室になっていた。
以前に来てそこにベッドがあるのを見ておいて良かった、などと益体もないことを考える。
真田がゆっくりと瞬きをした。
長い睫が降りて瞳を塞ぎ、再び開かれた黒く濡れた瞳が井上を捉える。
真田が立ち上がった。
感情の窺い知れない表情で井上を見下ろす。
仮眠室への扉が開かれる。
「井上さん…」
呼ばれてはっとして、井上はソファから立ち上がった。
真田の、広い肩幅の背中が仮眠室に入っていく。
--------------ごくり。
唾を飲む音が、頭蓋骨に響いた。
拳を握りしめ、井上は仮眠室へ入っていった。


















井上さん、妄想しまくり…