部長、大変です!
《15》













「……どうした?」
ふわふわの金髪を揺らして走ってきた慈郎に、跡部はどきっとした。
慈郎の発した言葉が---------あの記憶と被ったのだ。
青学に行く羽目になったのも、鳳が言った、大変だ、という言葉だった。
まさか、同じ事が……。
などと一瞬考え、慌てて首を振る。
自分の考えすぎだ。
少し敏感になりすぎているぞ。気を付けろ。
自分を叱咤して平静な表情を繕う。
「あのね、あのねー……丸井君に、招待されちゃったー!」
しかし、慈郎は、鳳とは違い喜色満面だった。
いかにも嬉しげに興奮しきった様子で、跡部に走り寄ってきたかと思うと、がしっと背中から抱きついてきた。
慈郎はこういうスキンシップが大好きで、特に他意はないようだが、よく跡部に抱きついてくる。
跡部だけではなくて、とにかく慈郎は誰にでも抱きつくのだが。
「丸井……?」
「うん、ほら、立海大の丸井ブン太君!」
「……あぁ、あのボレーの上手いやつか…」
慈郎の言った名前で、跡部は頭に丸井ブン太の姿を思い浮かべた。
立海大附属中の丸井ブン太。
ボレーを得意とし、その技術は見る者をあっと言わせる。
慈郎は彼の大ファンなのだ。
昨年、全国大会で丸井の華麗なボレープレーを見てからすっかり心酔している。
慈郎自体もボレーヤーなので、丸井と話も合うらしい。
他校生ながら、慈郎が一番仲良くしている人物だ。
「…招待?」
「うん、校内の練習試合見に来ないかってさ。データ取ってもいいって言っててね、跡部も一緒にどうだって」
「俺もか?」
「真田とか柳も、跡部に会いたいって言ってたって。一緒に見学に行こうよ」
「…そうだな……」
立海大の校内試合か。
それが思う存分見られるとしたら、滅多にない機会だ。
立海大附属といえば、全国大会で二年連続優勝を遂げている、全国一のレベルの学校である。
氷帝学園としても、立海大打倒が最終目標でもある。
それに跡部は、真田や柳とは、昨年のジュニア選抜の合宿で一緒に練習をした仲間でもあった。
あれからますます力を付けただろうから、一度じっくり見に行くのも悪くないか……。
「ね、明日の土曜日の午前中に試合するんだって。歓迎するってさ、行こうよ」
「あぁ、そうだな。んじゃ、明日の部活は忍足にでも頼んでくか」
「わーぃ! 跡部と一緒なら心強いやー」
慈郎が歓声を上げて跡部にまた抱きついてきた。
そのふわふわした髪に顔を擽られて眉を顰めつつも、跡部も久しぶりに気が晴れてテニスに没頭できそうだ、と思った。













次の日。
跡部は部活の方は忍足に運営を任せて、慈郎と二人で立海大附属中に向かった。
私的な訪問とはいえ、きちんと氷帝の夏服を着、ジャージも持参する。
見学の際にジャージで見てくれ、と言われるかもしれないからだ。
氷帝学園で慈郎と落ち合い、そこから電車に乗る。
土曜の朝とあって、平日の通勤ラッシュ時とは違い、電車にもそんなに人は乗っていなかったが、遊びに出かけるのであろう、若い男女や家族連れで賑わっていた。
30分ほど電車に揺られると、立海大附属中だった。
降りて5分ほど歩くと学校である。
重厚な門を抜け、銀杏と桜並木の校庭を抜けて何面もあるテニスコートに着く。
行くと既に部活は始まっており、コートの一角に人だかりができていた。
「あ、あそこでやってるみたいだよっ」
慈郎がめざとくコートを見てはしゃぐ。
「ちはっ!」
コートの立海部員達に大きな声で挨拶をし、手を振って走っていく後ろ姿を眺めて、跡部は軽く肩を竦めた。
慈郎みたいなら、誰とでも仲良くやれそうで、少々羨ましくもなる。
「跡部、早く早くっ!」
先に着いた慈郎が手をぶんぶんと振ってくる。
苦笑して、跡部は歩く足を速めた。
テニスコートに着くと、既に校内試合が始まっていた。
3年レギュラーの丸井ブン太とジャッカル桑原の試合である。
(この二人は確かダブルスを組んでいたよな)
跡部は過去のデータを頭の中で検索してみた。
「跡部、よく来たな」
その時、ベンチに座っていた人物が声を掛けてきた。
悠揚迫らざる様子でベンチに足を組んで座り、目深に被った帽子の下から、猛禽類のような眼光で自分を見つめてくる。
「…よぉ…」
真田だった。
真田とは、昨年のジュニア選抜以来言葉を交わしていないような気もする。
「せっかくだから、コート内に入って見学しないか?」
「…いいのかよ?」
他の部員達が、ちらちらと自分たちを見てくるのに一応配慮して言ってみたが、当の真田が機嫌良く言ってくるので、跡部は慈郎と共にコートに入り、真田の隣に座った。













試合は丸井とジャッカルの後、柳と切原、仁王と柳生がやってその日の練習は終了した。
立海大のレギュラーだけあって、どの試合も息をするのも忘れて見入るほど充実していた。
慈郎は丸井の試合が終わると、他のは熱心に見ず居眠りをしていたようだが、跡部は各選手の長所短所を頭に刻みつけるように真剣に観戦した。
そのためか、部活動が終わった昼過ぎには少々疲れていた。
真田が、立海の部員達を整列させ、部活の終了を宣言する。
1年生がコートの整備に散り、上級生達が部室棟に引き上げる。
「跡部、部室に寄っていかないか? 久しぶりだから、話でもしよう」
部員を解散させてベンチに戻ってきた真田が、座っている跡部を見下ろして言ってきた。
「午後も時間があるだろう?」
「あ、あぁ……」
「あ、俺は先に帰るね!」
ベンチにごろごろと横になってだらしなく寝そべっていた慈郎が側から口を挟んできた。
「ちょっと丸井君と話してくるー」
そう言ってあっという間にコートから出て丸井の所に走っていく慈郎の後ろ姿を、肩を竦めて眺める。
「随分元気のいいやつだな」
「まぁな……いつもは寝てるんだがな、よっぽど丸井が気に入ってるみたいだぜ?」
真田の言葉に苦笑する。
「軽い昼食も用意してある。食いながら話そう」
「へぇ、気前いいじゃねえか、真田」
昼過ぎで腹が減ったと思っていた所なので、真田の申し出に跡部は瞳を細めた。
多の部員達が三々五々帰宅している中を、真田と跡部は部室棟へ向かった。













立海大附属中のテニス部の部室は、3階建てのビルである。
内部は、何百人もいる部員を収納できるだけのスペースがあり、部長室から応接室、簡易宿泊室など、あらゆる設備が備わっている。
氷帝学園の部室も4階建ての鉄筋コンクリートの建物であるが、テニス部はその中の一角を占めるのみであるので、広さの面では立海の3分の1程度であろう。
「すげぇ設備だな…」
入り口のドアから中に入り、エレベータで3階まであがり、応接室に通された跡部はさすがに感嘆の声を漏らした。
応接室も何室もあるようで、跡部が通されたのは、他校の生徒が来た時の部屋らしく、テニスの試合棟のビデオやDVDを見ることの出来るオーディオセットが置いてあった。
「氷帝も同じではないのか?」
「いや、俺んとこはさすがにここまでは整ってねぇぜ」
勧められたソファに深く腰を下ろし、顎を上げて天井を眺め、跡部は軽く息を吐いた。
「そうなのか? だが、氷帝の方が資金は潤沢にありそうだが…」
「俺んとこは他の部に持ってかれてるかもな」
「そうか。テニス部だけでなく他の部も強いのだったな」
真田が、トレイにポットや茶のセット、それからどこでかで購入してきたのだろうか、弁当の折り詰めの箱を乗せて隣の給湯室から戻ってきた。
「弁当でいいか?」
「へぇ……いいけどよ、随分待遇いいじゃねぇか」
折り詰めに掛かっている包装紙を見ると、横浜でも有名な老舗の和食店の松花堂弁当である。
グルメな跡部はさっそく紐を解いて箸を手に取った。
味噌汁の入った湯気の立つ茶碗も差しだされる。
味噌汁の味も出汁が利いていて、中にはあさりが入っているさっぱりしたものだった。
「ンなもの食わせて貰っていいのかよ?」
最後には真田が茶まで煎れてくれるのには、さすがに跡部は不審げな声を出した。
「いや……最近、いろいろ考えることがあってな…」
「あぁ?」
「跡部…」
弁当を片づけて向かい合わせで茶を飲みながら、真田が溜息を吐いた。
「部長の仕事は何かと大変だろう? お前の所も部員の数が多いしな…」
「部長の仕事か?」
跡部は首を捻った。
「そうでもないぜ? うちは樺地とか忍足とか、よく働くやつがいるしな」
「まぁ、お前の場合、お前自体が部員に慕われているから、やっていけるのだろうな」
「どうしたよ、真田?」
「今、うちは部長がいないのでな」
「あぁ、そういや幸村は入院したって聞いたな」
「そうだ。それで副部長の俺がいろいろとりまとめているのだが、うちは監督もいないので、仕事がその分多くてな…」
氷帝学園は顧問の榊が有名なテニスプレーヤーで指導もしているのだが、立海大は過去2年全国大会優勝校にもかかわらず、顧問教師はテニスに素人で、実質的に指導ができないのである。
外部から講師を頼んだりしているが、一貫した指導という点では弱い。
「おい、なに弱気になってんだよ。今日の試合だってすげえもんだったぜ?」
珍しく自分の前で弱音を吐く真田に、跡部は灰青色の瞳を瞬かせて真田を見つめた。
「部員に対してもな……鉄拳制裁だけでは如何ともしがたい気もする。なんだか最近は自信喪失気味でな」
「キモイ事言うなよ…」
真田が溜息を吐く所など、初めて見た気がする。
跡部は眉を顰めた。
「それにしてもな……」
真田が一旦言葉を切り、三白眼の黒い瞳をじっと跡部に合わせてきた。
「な、なんだよ…」
真田の視線は元々鋭い。
急に見つめられて背中がぞくっとする。
「実は、一昨日手塚に会ってな…」
「手塚……?」
「あぁ、……その、なんだ……」
真田が珍しく言いよどんだ。
「………手塚と、なんか話したのか……?」
いやな予感がして、跡部は盛大に眉を顰めた。
















第2部。7人目その1。