お気に召すまま 
《12》









跡部に手を引かれるままに、地下鉄を降り、改札を抜ける。
駅から出て、そのまま駅と直結したビルに入り、そこから出ると、先日オープンしたばかりの大きな映画館があった。
「ここ、一度入ってみたくてな…」
跡部がその映画館に昇るエスカレータに足をかけながら言う。
「そのうちお前と来ようとか思ってたんだけどよ、まさか女のお前とデートできるとは思わなかったぜ」
さも嬉しそうに言うので、忍足は反論しようと思って開き掛けていた口を閉ざした。
(まぁ、ええか…)
別に、映画を見るのに男でも女でも変わりない。
跡部が喜んでるならいいか、という気持ちになった。
2階の入り口から中に入り、何室もある上映室の中から、待たなくて見られるものを探す。
ちょうど見たいと思っていたアメリカ映画が、程なく上映が始まる所だった。
「これでいいか?」
跡部に聞かれて、忍足も常々見たいと思っていたものだったから大きく頷く。
跡部がさっとカウンタに行って、チケットを2枚購入してきた。
座席指定のあるものだ。
「……金、いくらや?」
「……おい、奢らせろよ」
忍足が金を払おうとバッグから財布を取り出すと、跡部が顔を顰めた。
「いや、こういうのはちゃんとせえへんとな」
忍足は肩を竦め、カウンタの表示を見上げて金を取り出した。
「受け取らんと見んで?」
ここはきっぱりと言わないと、と思って強い調子で言うと、跡部がしぶしぶそれを受け取った。
「食い物ぐらいは奢らせろよ」
肩を竦めて受け取って財布に仕舞うと、隣のファストフード店を指さす。
上映室の中での飲食専用に店を構えているファストフード店だ。
跡部がさっとカウンタに行ってメニューを見ながら注文しているのを、忍足はぼんやり眺めた。
(いっつもこんな感じで奢ったりなんだりしとるんかな…。デートの相手に優しいんやな…)
何となく、複雑な気持ちになる。
きっと今までにも何人もの女性とこうしてデートしているのだろう。
「…ふん…」
無意識に舌打ちして、忍足は狼狽した。
(なんや、嫉妬しとるみたいや、いややなぁ…)
「…行くぜ?」
俯いてぶつぶつ独り言を言っていると、跡部が戻ってきた。
手に、ドリンクの大きな紙コップを二つと、ポップコーンを乗せたトレイを持っている。
「勝手に烏龍茶にしちまったが、いいよな?」
「あ、あぁ、すまんなァ」
「別にいいんだけどよ、その言葉遣いやめろよ…」
跡部がこそっと呟いてきた。
「そ、そやな……」
ロビーは人が多い。
他人がちらちら自分を見ているような気がして、忍足は口ごもって答えた。
上映室に入り、指定された席に着くと、すぐに映画が始まった。
前から見たかったという事もあり、忍足は映画に夢中になった。
アクションあり、恋愛ありのアメリカ映画で、息を詰めて画面に見入り、ほっと一息吐いて烏龍茶をすすり、ポップコーンを口に運ぶ。
2時間強の映画が終わったときには、忍足はすっかり映画の世界に入り、感動していた。
「いい映画やったなぁ……」
映画が終わって人が出て行く中をぼーっとしたまま歩く。
跡部がトレイを片づけ、忍足の手を引いて他の客とぶつからないように気をつけているのにも気がつかない。
「腹が減ったな。この上のパスタ屋で昼でも食おうぜ?」
「あ、あぁ…」
跡部の問いかけにも生返事である。
まだ脳裏に画面がちらついて、上の空の忍足に、跡部がやれやれ、と肩を竦めた。
「お前、映画見るとすぐぼけっとするよなァ……ほら、いくぜ」
そう言って跡部が手を握ってくる。
しっかりと手を握られたまま、忍足はエレベータに乗った。

















そのビルは8階がレストラン街になっており、有名な店もテナントとして入っていることで人気があった。
昼食時とはずれている上に平日ということもあってか、混み具合はさほどでもなかったが、それでも結構若者で賑わっていた。
「…パスタでいいか?」
跡部のお薦めなら否も応もない。
忍足が頷くと、
「んじゃ、入るぜ」
と言って跡部はエレベータから少し歩いた所にある店に入った。
店員に案内されて、窓際のゆったりとした四人がけの席に行くと、跡部が、お前はこっちな、と言って、窓際のよりゆったりとしたソファを指した。
跡部自身は向かいの椅子に腰掛ける。
「へぇ、優しいんやなぁ…」
座り心地の良いほうを取らず自分に進めるあたり、さすが跡部だ。
こういう気配りがモテるこつなんやろな--------などと思いつつ座って、これまた跡部がさりげなく差し出したメニューを眺める。
「俺はこれにするが、お前はどうする?」
「そやなぁ…」
跡部が選んだものも美味そうだったが、忍足はその下にあるレディースメニューに目がいった。
考えてみると、こういう物を頼んだことがないし、普通は頼めない。
(今だけやな…)
と思ったら、それを指さしていた。
「これにするわ」
「なるほど…」
跡部がくすっと笑う。
「お前も結構女を楽しめてきたじゃねえか?」
「まぁ、がっくりしとるだけではつまらんしなぁ…」
ウェイトレスが運んできた水を一口飲み、跡部に合わせて笑う。
緊張も解けて、周りを見る余裕も出てきた。
軽く息を吐き、背凭れにゆったりと身体を預けて、顔を動かして店内を見回す。
---------すると。
「……あ、あれ…」
偶然にも、数卓離れたテーブルに一人で座って食後の珈琲だろうか、静かにカップを口に傾けている人物と目が合ってしまった。
特徴のあるエンブレムの付いたシャツを着用し、ネクタイをきっちりと締めて座っている、同年齢とは到底思えない落ち着いた物腰。
忍足も何度か試合で見ていて、見覚えのある人物。
「……真田、やない…?」
それは、立海大付属中の真田弦一郎だった。
「…あァ?」
忍足の言葉を聞き、跡部が慌てて振り返る。
「…………」
向こうは、まず跡部に気がついたようだった。
鷹のように鋭い目を僅かに見開き、太い眉を顰めてこちらを凝視する。
「まずい所で逢ったな…」
跡部が呟いた。
真田は、振り向いた跡部を見て、それから向かいの席の忍足に視線を移し、暫く鋭い三白眼で二人を見ていたが、やがて立ち上がると、忍足たちのほうへ歩いてきた。
「ど、どうしよ……」
「どうしよってな…。お前は今、女なんだから、初対面の振りしてろ」
「そ、そやな…」
などとこそこそ話をしている所に、真田が、
「久しぶりだな」
と跡部に声を掛けてきた。
「あァ、……どうしたよ、今日は平日だぜ? さぼったのかよ、真田?」
跡部が声の調子を変え、真田を見上げて言う。
「いや、……ちょっと家の用事があってな、早退して用事を済ませてきたきた。それより、お前こそ平日に……」
ちらり、と忍足の方を見ながら言う。
視線が合って、真田が礼儀正しく目で礼をしてきたので、忍足もどぎまぎして引きつりながら微笑した。
「俺のとこは中間テストで午前中さ。午後はデートってわけだな」
跡部が顎を上に上げ、尊大な調子で言う。
「そうか、…デートか…。では、お前の彼女、という事か?」
話が自分の方に向いてきたので、忍足はぎくっとした。
「まぁ、立ち話もなんだから、座れよ」
跡部が、自分の隣の椅子を引いて真田を促す。
「では、少々。……ちょっと荷物などを持ってくるので、待ってくれ」
断って戻るかと思いきや、真田も居座るつもりらしい。
一旦テーブルに戻って、真田が鞄やテーブルの上のカップやレシートを持ち上げるのを見ながら、忍足は眉を顰めて跡部に話しかけた。
「ど、どうするんや、こっち来るで?」
「しょうがねえだろ、……お前は黙ってにっこりしてろ。しゃべるときは関西弁使うな、いいな?」
「あ、あぁ、そうやな…」
真田が戻ってきた。
「ではお邪魔する。不躾ですまん…」
深々と頭を下げられて、忍足は困惑した。
「い、いえ。……どうぞ……」
できるだけ女性らしく、高い声で答える。
なんだか変な声が出てしまったが、関西弁で答えるよりましだ。
真田が特に自分を見て不審に思ってないようなのを見て取り、こっそり息を吐く。
(それにしても、困ったなァ……)
よりにもよって、立海大の真田に会ってしまうとは。
(だいたいここは東京で、しかも映画館の上なのに、なんで会うんや…)
と思ったが、考えてみたら、このビルは映画館だけではなく他にもいろいろとテナントが入っていたのだった。
「お前がプライベートでンなトコにいるとこなんて初めて見たぜ」
「東京に来ること自体、あまり無いのだが…」
「よっぽど縁があるって事かよ」
忍足が戦々恐々としている間に、跡部と真田は結構親しげに話し始めた。
二人は隣り合わせに座っているので、会話していると忍足の方は見てこない。
自分から注意が逸れたのを知り、忍足は内心ほっと息を吐いた。
ウェイトレスが注文の品を届けに来て、真田が席を移ったことをウェイトレスに申告し、ついでに珈琲のお代わりを頼む。
「食事がまだだったのか。邪魔してすまん」
「別にかまわねえよ。俺たちゃ食ってるしな?」
跡部が自分に話を振ってきたので、忍足は急いで頷いて、真田には愛想笑いのようににっこりとした。
(はぁ、疲れるわ……)
フォークを手に取りパスタを絡めつつ忍足は、向かいの真田の視線が自分を刺すように見つめてきたのを感じて身体が強張った。
普段なら、もっとだらしなく食っても大丈夫なのだが、----フォークを持つ手も震えそうだ。
音を立てないで上品に食うのは意外に疲れる。
跡部をちらっと見ると、彼は元来テーブルマナーをみっちりと仕込まれているせいか、だらしなさそうに食べていてもマナーも態度もきちんとしていて妙にしゃくに障った。
「ところで、この女性は、同じ学校の人なのか?」
真田が珈琲カップをテーブルに置いて問いかけてきた。
「あ、……あァ……いや、なんつうか…」
何も考えていなかったのだろう、跡部が突然聞かれて口籠もる。
「なんだ、秘密か。…お前より年上に見えるのだが。……どうも不躾に申し訳ありません」
真田が忍足の方を向いてにっこり微笑してきた。
(こ、こわ……)
どぎまぎして視線を逸らす。
「……素敵な人ではないか、跡部。…さすが、跡部というべきなのか…」
真田が微笑を浮かべたまま、忍足を眺めてきた。
「美しく、しとやかな人だ。お前には勿体ないようだな。……跡部の何処がいいのですか?」
「え?」
話を振られて忍足は狼狽した。
「…そ、そやな………どこて……」
「おい、忍足! 関西弁話すなって言ってんだろが!」
「………おしたり……?」
「あ、跡部っ!」
「……………」
気まずい沈黙が3人の中に流れる。
真田は珈琲を口に持っていこうとして固まったまま、跡部と忍足を交互に眺めた。
「……………」
黙ったまま、焦げ茶の深い色の瞳を眇め、忍足を穴が空くほど見つめる。
「……女装趣味なのか……?」
ぼそり、と呟いた言葉に、忍足は思わずフォークを取り落とした。
「じょ、女装って……んな趣味あらへんわっ!」
「お、おい、忍足、声がでけぇ……」
フォークのかちゃん、という音と忍足の声に、周りで午後のティータイムを楽しんでいた人々が一斉に振り返る。
「ここはまずいぜ。…出よう」
「…おい、話が途中だが…」
「分かったって、…しょうがねぇなぁ……いろいろわけを話してやるから、俺んち来い」
「ちょっ、…真田に話すんか?」
「しょうがねぇだろ、ここで誤魔化したら、もっと広がるぜ。真田にきちんと話して口止めした方がいい」
「……お前の家か?」
「ここからすぐだからよ、人目につかねえ所で話そうぜ? 時間あるか?」
「……あぁ、大丈夫だが…」
二人の慌てように、真田は些か呆気に取られたように返答した。
「んじゃ、行くぜ。ここにいると目立つからな…」
周りの客が三人を見ながらこそこそと話している。
それを見て忍足も青くなった。
「そ、そやな。じゃ、真田も行くで?」
「おい、ちょっと待て…」
急な展開に、さすがの真田も慌てたようだった。
珈琲カップをテーブルに乱暴に置くと、レシートを掴んで二人の後を追う。
(どうしてこんな事になったんや…)
と内心がっくりとしながらも、忍足は相変わらずミュールのせいでふらふらと歩いた。


















というわけで真田登場。