視線
 《1》












鋭い視線が、自分を追いかけてくる。
全速力で走っても、すぐに追いつかれてしまいそうな恐怖に全身が強張る。
振り向くことができない。
背中に、痛いほど視線を感じる。
痛くて、怖い。
「…………ッッ!」
突然、肩に激痛が走った。
あまりの痛みに声も出ず、手塚はその場に突っ伏して転げ回った。
-----痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い……ッ!


















「………」
はっと目を開けると、薄暗い天井が目に入った。
淡いベージュ色の、柔らかな印象を与える天井が、今は暗く照明の影を落として、不気味に静まり返っている。
ふう、と深い溜め息を吐いて、手塚は半身を起こすと、のろのろとベッドサイドに手を伸ばし、そこに置いておいたペットボトルを手に取った。
ぬるめの清涼飲料を、一気に喉に流し込む。
「………」
大きく腹から息を吐いて、手塚は額の汗を拭った。
じっとりと、全身に汗をかいていた。
張り付くような感触が気持ち悪い。
ベッドから起き上がって、クローゼットから新しいパジャマを取り出し、タオルで汗を簡単に拭き取って着替える。
心臓がまだ波打っていた。
どきどきと、まるでマラソンをした後のように。
(………)
無意識に肩をさすっている自分に気が付き、手塚は肩を些か強く掴んだ。
物理的な痛みはもう治まっていたが、夢の中の痛みが再現されているようにずきん、とした気がした。
この肩を痛めた試合からもう3日。
肩の痛み自体は、当日医者に行ってすぐに治まったのだが。
だが………。
手塚は弱々しく頭を振った。
………視線が。
視線が自分を射抜くようだった。
夢の中で、後ろから追いかけてきた視線。
「跡部………」
その視線の持ち主の名前を呼ぶと、心がずきり、と痛んだ。
射抜かれて、血が流れたような感覚。
「………」
手塚はもう一回深く溜め息を吐いた。


















あの、跡部との試合の日から、手塚はよく眠れなくなった。
寝付きも悪い。
肩の鈍痛というのもあったが、それ以上に、跡部との試合を思い出してしまうのだ。
ようやく寝ると、跡部の視線が追いかけてくる。
あの、射すくめるような、指の間からの鋭い目。
薄い虹彩を更に細く眇められて、錐のように、一本の矢のように、或いは弾丸のように自分の全身を見つめてくる。
試合中は、全く臆することもなかったのに。
脅威も恐怖も感じなかったのに。
………なぜ今になって。
手塚は困惑していた。
あの試合は、お互い全力を尽くして闘った、悔いのない素晴らしい試合だった。
肩を痛めたことも後悔していない。
あの時全力を出さなかったら、そちらの方が後悔していただろう。
全力を出さずに、棄権して負けていたりしたら、そういう自分を自分は許せなかっただろう。
そう思う。
だから、試合の結果や、あの試合をやり通した自分に手塚は満足していた。
そして、自分に十分に応えてくれた跡部にも。
--------なのに、夢では跡部の視線が自分を追いかけてくるのだった。
どうしてだろう。
ベッドに半身を起こしたまま、俯いて自分の拳を眺めて、手塚は軽く頭を振った。
ぱさぱさと髪が揺れ、汗に濡れた額に張り付く。
それを怠い腕を持ち上げてかきあげ、溜め息を吐いて、またペットボトルに口を付ける。
後悔しているのだろうか。
いや、そんな事はないはずだ。
手塚は心の中で何度も既に考えていた言葉をまた思い浮かべてみた。
後悔はしていない。
それどころか、あの試合の内容には100パーセント以上の満足がある。
それは相手の跡部も同様だろう。
最後にネットでお互いに手を合わせた時、あの時の充実感は、お互いがあの瞬間確かに共有していたものだった。
清々しい、後味の良い試合だった。
自分があんなに燃え上がることができるなんて。
たとえあの試合で肩が一生使えなくなったとしても悔いはないだろう。
嘘偽りなく、手塚はそう思っていた。
それならどうして、このような不安な夢を見るのだろうか。
まだ何か心残りがあるのか、あの試合に。
もしかしたら勝てたかも、とか、何か違うやり方があったのでは、とか、そういう事を考えているのか。
---------いや。
(…………)
分からなかった。
手塚に分かっているのは、あの試合の後から、自分が始終跡部のことを考えている、という事だけだった。
………跡部。
あの傲岸不遜な表情。
鋭い視線。
それが、あの試合の時、表情から傲岸さが消え、自分を相手として真摯に受け止め、全力を傾けてきた。
タイブレークが長引くに連れ、苦しげに上下する肩。
乱れた薄い色の髪。
それでいて、食らいついてくる視線。
「………」
手塚は軽く溜め息を吐いて、力無く顔を振った。
つまり、自分は跡部が気になっているのだ。
どうやらそのようだ。
手塚は、跡部とは個人的に話をしたことがない。
もしかしたら、あの試合のことについて、跡部と話がしたいのかもしれない。
あんな熱中した素晴らしい時間を共有した相手は、今までにいなかった。
だから、もう少し彼と話をして、あの時間のあの興奮を共有したいのかも知れない。
そんな風に熱狂する感情が自分の中にあった、というのは些か驚きだったが。
跡部に会いたい。
そう思うと、手塚の胃の腑はストンと落ちたような気がした。
自分は来週には肩の治療のために、九州へ旅立たなくてはならない。
………そうだ。
明日、跡部に会いにいこう。
九州へ行く前に一度あって、ただ、話が出来ればいい。
普通に話をすれば、自分のこの落ち着かない気分も、なんとかなるかもしれない。
そうしよう。
やっと落ち着いた気がした。
手塚はペットボトルを飲み干すと、もう一度ベッドに横になり、目を瞑った。





















手塚→跡部な感じ。