初詣 
《1》











「なぁ真田……来年は一緒に初詣、行こう…」
部活終了後、部室で着替えていると、隣で同じように着替えていた幸村がそう囁いてきたので、真田はどきっとした。
「あ、あぁ…別に構わんが…」
できるだけさりげなく答えたつもりだったが、少々声音が変になっていたかもしれない。
今日は12月31日。
午前中、晴れた寒いテニスコートで今年最後の部活をやって、また来年、と挨拶をして終わりにしてきたところだ。
新年は1月4日から部活を始める予定だから、正月三が日は幸村に会わないな、と思っていた所に幸村からそう言われたので、真田は胸がざわめいた。














幸村とは、今年の秋から付き合っている。
付き合っている、と言っても、幸村から一方的に『好きだ』と言われて、急なことで驚いているうちに幸村に押し切られる形で付き合うことになったので、真田からはきちんと意思表示していない
それから部活のない休日などに数回、所謂デート、というものをしてみた。
デートとは名ばかりで、テニスの試合を見に行ったり、スポーツ店に行ったり、書店でテニス雑誌を見たり、別に普通の友人同士となんら変わりないのだが。
が、一つだけ、それまでと違ったことがあった。
それは、幸村が、ひとけのないところでそっと手を握ってきたり、帰り際に、『楽しかった。好きだよ…』などと折に触れて言ってくるようになったという事だ。
最初のうちは気恥ずかしくて、言われても眉を顰めるだけだった。
そんな真田の顔を見て、幸村も苦笑してそれ以上は言わなくなる。
が、幸村の言葉や、そっと触れてくるひんやりとした指は、嫌いではなかった。
嫌いどころか、言われると胸が苦しくなるような気がしたし、触れられるとその部分が熱くなった。
(俺も、幸村のことが好きなんだろうな……)
押し切られて付き合うようになったとはいえ、嫌なら最初にきっぱり断ったはずだ。
それが断れずにこうして付き合っているという事は……。
などとここの所、真田は自分の気持ちをもてあまして、密かに悩んでいた。
今のところ、付き合っていると言っても、せいぜい手を繋ぐぐらいで、非常に健全な交際だ。
だが、幸村がそれ以上を望んでいることも、真田はうすうす気づいていた。
帰り際に自分の手を握って、何かに堪えるように溜息を吐いたり、自宅で一緒に勉強をしている時など、そっと手に触れてきてそのまま身体を寄せてくる。
幸村のそんな行動に、真田は身体を硬くしてじっと動かないでいるぐらいしかできなかった。
太い眉を顰めたまま硬直している真田を見て、幸村が目尻を下げ、軽く笑ってそっと身体を引いていく。
やはり、付き合っているのならば、それなりに仲を進展させねばならないだろう。
とは思っているのだが、真田にはどうしたらいいか分からなかった。
幸村に任せてしまえばいいのだと思うのだが、そう思っても身体が強張る。
そうすると幸村は真田を慮ってだろう、それ以上のことをしてこないのだ。
そういう自分にも、幸村の優しさにも、ここのところ真田は焦れていた。
これでは、幸村に我慢ばかりさせているのではないか。
こんな俺では、幸村から愛想をつかされてしまうのでは。
いや、だいたい俺が好きだとも何も言ってないのに、幸村としても困っているのでは。
俺も幸村のことが好きなのだと思うのだが……。
………しかし、どうすればいいのだ……。
などと、いろいろな思いが頭をよぎる。
いくら幸村から告白してきたとはいえ、こう優柔不断な自分では面白くもなんともないのではないか。
いつまでも幸村の優しさや寛容さに甘えていたら、本当に愛想を尽かされるのでは。
と、いろいろ悶々と考えていた所に、初詣の話をされたのだ。
----------初詣か。
二人きりで、一年に一度の行事。
自分が変わるきっかけにもなれるかもしれない。
自分から、幸村に好きだ、と言えるかも知れない。
「じゃぁ、一緒に行こう?」
「…うむ、勿論いいぞ。是非とも一緒に…」














「えーっ、初詣行くのかよっ!」
その時、突如邪魔者が割って入ってきた。
「俺も俺もっ、幸村っ、いいだろっ?」
自分の方ではなくて、幸村に強請る所が小憎らしい。
「え……そ、そうだな」
「なー、こんなおっさんと二人で行ったって面白くないって!」
「はは……」
「…俺はかまわんぞ?」
「そ、そう…? じゃあ、そうしようか」
「よーしっ、じゃあ、初詣、いっぱい甘いもん食うぜ」
丸井などと行きたかったわけでは決してないが、幸村が困っているのに断るわけにもいかない。
俺がそう言うと、幸村はほっと安堵したようだった。
「え、先輩方、初詣っすか? んじゃ俺もっ!」
「なんだ、弦一郎、俺も行くぞ?」
丸井がはしゃぐものだから、回りにいた赤也や蓮二まで寄ってきた。
「みんなで行った方が楽しいだろぃ。んじゃ、明日、学校に10時に集合な!」
丸井に勝手に仕切られてしまった。
「……………」
むっとしたのがわかったのか、幸村がごめん、というような表情をしてきたので、真田は慌てて表情を取り繕った。
顔を背け、平然を装って着替えをする。
制服を着てネクタイを絞めていると、幸村が回りに見えないようにそっと俺の手に触れてきた。
「ごめん……」
「いや…」
幸村に謝られると、胸のむかむかがすっと治まってくる。
言葉少なに答えると、幸村が微笑した。
「真田…」
幸村の声が耳に心地いい。
この声で、帰り際に「好きだ」と言ってくるのを聞くと、真田は胸が熱くなるような気がするのだ。
「…いたしかたない。明日は10時だな…」
「明日、楽しみにしているよ」
「うむ……」
幸村に済まなそうな顔をさせたくなくて、真田は言葉少なに答えた。














大晦日は家族で紅白歌合戦を見て過ごし、その後家族で地元の神社に詣でたあと、深夜過ぎに眠ったので、朝起きた時は珍しく寝坊した。
急いでおせち料理と雑煮を食べてから、出かける支度をする。
母親に初詣に行くと告げたら、着物で行けと言われたが、さすがに恥ずかしい気がして、地味な普段着にした。
コートを羽織って、マフラーを巻き、外に出る。
今年の元日はあまり天気が良いとは言えず、薄日が差す程度の天気だったが、道行く人は多かった。
みな初詣に行くのだろう。
着物を着てはしゃいでいる小さな子供や、腕を組んで歩いているカップルなど、老若男女、さまざまな人々が、みな明るい表情で歩いている。
朝のきりっとした冷たい空気を吸いながら、学校まで軽くジョギングをしながら行くと、身体も温まってきた。
「あけましておめでとう」
学校に着くと、既に柳が来ていた。
「あぁ、おめでとう」
いつも接している友人にあらためて挨拶するのも少々くすぐったい感じがして、発音も不明瞭なまま言うと、
「よっ、おめでとー」
「あけましておめでとうございます」
「あけましておめでとう」
丸井と赤也と幸村が一緒にやってきた。
「そこでちょうど出会ってね。…おめでとう、真田…」
「う、うむ……おめでとう」
柳に言った時よりもずっと恥ずかしい気がする。
口籠もって言うと、幸村が瞳を細めた。
「じゃ、行こうか」
行き先は、学校から一番近い神社である。
神奈川といえばなんと言っても鶴岡八幡宮が有名だが、それほどの知名度はなくても、そこそこ地元民には知られた神社だ。
「俺、こういう所で食うの好きなんだよな!」
境内への参道に屋台が出ているのを見て、丸井が嬉しそうに走り出した。
「幸村も何か食おうぜぃ」
「え、俺はいいよ…」
と言う間もなく丸井が幸村の手を引いて屋台の前まで連れて行くのを眺めて、真田は眉間に皺を寄せた。
なんとなく、不快になる。
元々は自分と幸村の二人だけで、初詣に来るはずだったのに。
自分といるよりも丸井といる時の方が、幸村が自然に笑っているように思うのは気のせいか。
いや、気のせいとばかりも言えないかも知れない。
自分といて、幸村が楽しいとはあまり思えなかった。
いらぬ気を遣って疲れているのではないのか。
自分が気の利いたことなど言えないので、幸村に無理をさせてばかりなのではないか。
「結構美味しいよ。真田も食べる?」
屋台から戻ってきた幸村が、真田の眼前にほかほかと暖かい湯気の立つ大判焼きを差し出した。
「真田は小豆が好きだろうと思って、一番シンプルなやつだけど」
「…うむ…」
屋台のものなど殆ど食べたことがなかったが、幸村に差し出されたものなので、真田は短く返答すると、大判焼きを手に取った。
熱くて柔らかい。
口に入れると、甘い小豆あんの味がほどよくとろける。
「これ美味いっすね、柳先輩」
「あぁ、たまにはこういうのもいいな…」
傍らでは赤也と蓮二が、にこにこしながら大判焼きのクリーム味らしきものを頬張っている。
その隣では幸村と丸井が、やはりにこにこしながらこちらもクリーム味らしきものを食べている。
なんとなく、胸がむかむかした。
小豆餡が熱かったからではない。
大判焼きは美味かったが、真田は自分独りだけ場違いのような気がした。
この場にいることを自分だけが素直に楽しめない。
他の4人は楽しんでいるのに。
むすっとしたまま、普段なら絶対にしない、大判焼きの食べ歩きをしながら参道を歩く。
人混みを掻き分けて境内に上がると、善男善女が大勢参拝をしていた。
賽銭を上げて、手を合わせる。
(……テニス部が全国で優勝しますように…)
自分の事ではなくて、結局部のことを願ってしまった。
隣を見ると、幸村も神妙な面持ちで何かを願っている。
その隣では、丸井が幸村にもたれ掛かるようにしてじゃれながら、手をパンパンと打っている。
(…………)
回りが楽しそうであればあるほど、気分が落ちていくような気がした。
自分がこんな些細なことで感情が揺れ動くような、弱い精神力の持ち主だというのが、情けなかった。
折角初詣に来ているのに、楽しめない。
それどころか、同行者を不快にさせているような気がする。
少なくとも、幸村はまた自分に気を遣って、楽しんでいないだろう。
さっきからちらちらと自分を見てくる幸村の視線に、真田は視線を合わせられなかった。
こんな些細なことで気分を害しているような、小さな人物だと思われたくなかった。
が、気分を害しているのは本当なのだ。
しかも、どうして気分が悪いのか、その原因もよく分からないていたらくだ。
初詣など、独りで来れば良かったかもしれない。
もう参拝もしたから、さっさと帰るか。
幸村や丸井たちは、この後楽しく遊んでいけばいい。
そう思って真田がそろそろ帰る、と言おうと口を開きかけた所で、急に、
「あ、俺、真田とちょっと用があるんだ。悪いけど、ここでさよならしてもらっていいかな?」
と幸村が言ってきたので、真田は開きかけた口のまま立ちすくんだ。
「あー?なんだよ、つまらねえなー」
「ごめんごめん。また部活が始まったらな」
「では部活で……弦一郎」
「あ、あぁ……ではまたな…」
幸村の口調が反論を許さず、といった感じだったので、丸井も引き留められなかったらしい。
あっさりと引き下がって別れていく後ろ姿を、真田は些か呆気に取られて眺めた。
















乙女真田もいいですねv