図書館にて
 《1》












「はぁ、なんやめんどいわ…」
「面倒じゃないでしょ、忍足君、しょうがないんだから」
区営の図書館の天井は高い。
特に中央のエントランス部分は吹き抜けになっており、ビルの3階建てぐらいの高さがある。
忍足は勉強用に整然と並べられた机の一角に座って、両手を頭の後ろにやって天井を見上げていた。
隣には、同じクラスの女子生徒が呆れたような表情で忍足を見ている。
回りにいる人々も、皆静かに読書や勉強に勤しむ人種ばかりのようだ。
忍足の方をちらちらと横目で見て、くす、と笑う人や眉を顰める人などばかり。
忍足は居心地の悪さを感じて、身体を丸めた。
「はよ、出たいわ…」
「早く出たいんだったら、忍足君もちゃんと調べてよ」
隣に座った女子生徒が肩を竦めた。
二人は、授業で発表する調べ学習のため、ここ数日この図書館に来ていた。
地元の郷土資料の蔵書の充実度で知られているこの図書館に、わざわざ地下鉄を乗り継いで来ているのである。
禁帯出の資料を図書館の中で読み資料を集めて、最終的にはパワーポイントを使用して発表するというものだ。
グループ学習で、忍足と女子生徒は資料集めの係になっていた。
(こんな面倒なん、誰が選んだんや…)
と、心の中で悪態を吐きつつも、忍足は机の上に広げられた古く虫のわいていそうな本を眺めた。
勿論、忍足が決めたわけではなく、数種類のテーマの中から話し合いで決められたのだが。
話し合いにもまともに参加していなかった忍足には文句をいう筋合いなどない。
跡部の班などは、なにやら国際社会とITの現状とかなんとか…小難しい題名のものに取り組んでいるらしいが、インターネットで調べられるから楽らしい。
それに比べると、忍足の班は歴史の好きなものが多く、郷土の歴史について、というものになってしまったのだった。
旧字で難しい漢字ばかり並んでいる印刷状態の悪い本をめくるのもかったるい。
なにか関係のある記述がないかどうか探す、という地味な作業に、忍足は図書館に来て30分もたたないうちに飽きてしまった。
「あー、ちょっと休憩してくるわ」
「え、もう?」
と、女子には呆れられたが、忍足にとってはじっと座って汚い本を眺めているのは限界だった。
「ちょっとだけな?」
と顔の前で手を合わせて拝むような格好をし、そそくさと席を立つ。
粛々と読書をしている人々の脇を擦り抜けるようにして、忍足は閲覧室の外へでた。

















閲覧室の外は広いロビーになっており、そこでは飲食が可能で、いくつか円テーブルと椅子、それに自動販売機が設置されていた。
白い壁には、地元の子供達が描いたと思われる水彩画が展示されている。
自動販売機の前に行ってコインを入れ、紙コップの熱い珈琲を出すと、忍足ははぁ、と元気なく息を吐きながら、窓際の椅子に座った。
今日は、午前中が部活。
今は午後。
本当ならば、休日の午後は自宅でゆったりと過ごすか、岳人あたりと遊びに出かけるか。
あるいは跡部と遊びでもいい。
図書館も嫌いではないが、自分の興味のないものを延々と調べさせられるのは苦痛だった。
「テニスの歴史とかだったらまだええんやけどな…」
などとぼやきながら珈琲を飲む。
熱いそれを一口飲んで軽く溜息を吐き、床から天井までの大きな窓の外を眺めていると、
「あれ……手塚やん…」
窓の外を、見覚えのある姿が通り過ぎた。
図書館のエントランスから中に入ってくる。
休日だと言うのに、青学の夏服の白いシャツとズボン姿だ。
ファイルケースのようなものを手に持っている。
忍足が思わずまじまじと眺めていると、視線に気が付いたのだろうか。
手塚が顔を忍足の方に向けてきた。
自分を視界に捕らえたのが分かって、忍足は左手を挙げて挨拶をした。
手塚が閲覧室へ歩いていた足を止め、忍足を見つめる。
それからかつかつと忍足の座っている窓際へ近づいてきた。
「珍しい所でおうたな…」
疲れていた所に、テニス関係の人物と会って、忍足は心なしほっとした。
「あぁ」
手塚が頷いて軽く頭を下げてきた。
「……なにをしているんだ?」
「俺?……勉強ちゅうか……調べモノちゅうか…」
「この図書館でか? 氷帝学園の方にも大きな図書館があると思うが…」
「ああ、あっちじゃ資料がない言うてな。わざわざこっちまで来たんや。まぁ、立ち話もなんや、急ぎでないんなら一緒に飲まん?」
と、手に持った紙コップを示すと、手塚が軽く瞬きをして頷いた。
学習室で退屈な作業をするよりも、ここで手塚と話している方がずっとましだ。
「コーヒーでええ?」
「そうだな…できたら紅茶がいい」
手塚の返事を聞くなり、いそいそと自動販売機に向かう。
熱い紅茶を入れて戻ってきて、忍足の向かいの椅子に座った手塚に勧める。
「有難う」
と行って手塚が手に持っていたテニスバッグとファイルケースを空いた椅子に置き、紙コップを手にとって湯気の立つ紅茶を飲むのを、忍足は自分もコーヒーを飲みながら眺めた。
考えてみると、こういう場面は珍しい。
忍足は、手塚と一対一で話したことがなかった。
テニス以外の場面で会うこともない。
今までは、テニスコートや互いの学校で、跡部や青学、氷帝のレギュラー面々と一緒の時にしか手塚と会った事がなかった。
(な、なんや、話すことないなぁ)
知っている顔を見つけてつい嬉しくなって読んだものの、いざ面と向かうと、話題が思い浮かばない。
これが女の子だったりしたら、まぁ、ある程度軽い話題から入るとか、それなりに経験があるのだが。
「あ、……手塚はなにしにきたん?」
とりあえず、図書館に来ているのだから、勉強でもしにきたのだろうと思って、話題を振ってみる。
「俺は予習をしにきた。宿題も少々ある」
「へぇ……うちでやるんじゃないん?」
「自宅でより、図書館の方が集中できる。学校帰りなどにはよく寄って利用させてもらっているんだ」
「真面目やなぁ…部活の帰りなん?」
「そうだ。だが、忍足の方が真面目だろう? 遠くの図書館まで来るのだからな」
「いや、俺は付き添いっちゅうか…。学校の調べ学習の資料作りなんや。俺はやる気ないんやけど、一緒の班のやつが真面目やからな。まぁ、それで俺も連れてこられたっちゅうかな…」
「なんだ、そうなのか?」
手塚が切れ長の黒い瞳を細めて微笑した。
眼鏡の奧の瞳が、優しい色を帯びる。
急にわけもなくどきどきして、忍足は下を向いた。
(ああいう表情もするんや……)
今まで、気むずかしそうな表情しか見ていなかった気がする。
手塚に会うのが試合の時だったからなのだろうが、考えてみると、日常生活は、今のような柔和な表情をしているのだろう。
(イメージ、変わるんやな…)
表情が穏和になるときついイメージが消え、何か雨上がりの空のような、しっとりとした雰囲気になる。
眼鏡の奧の黒い瞳が潤んだように瞬きするのを見て、忍足は妙に胸が騒いだ。
今まで持っていた手塚のイメージとは全く違う、柔らかな、安心できるような感じだ。
「そろそろ閲覧室に入ろう。忍足も、一緒に来た人を待たせているんだろう? 来たからには、真剣に調べないと、一緒の人にも悪いだろうしな」
コーヒーの紙コップをテーブルに置いて、手塚が話しかける。
「そ、そうやな…」
ぼおっとしていたようだった。
ふと我に返ると、自分もコーヒーをすっかり飲み終えている。
なんとなく名残惜しかった。
が、手塚の言うとおりだ。
忍足は紙コップとくしゃ、と丸めると立ち上がった。
「……いつもここ、来てるん?」
手塚と並んで閲覧室に入りながら、忍足は横目で手塚をうかがいながら尋ねてみた。
「あぁ、そうだな。休日はよく来る」
「明日も休みなんやけど……俺、また来る予定あるんや。……手塚は明日は来んかな?」
「明日か? 明日も部活が終わったら帰り際に寄るつもりだ」
「そうか……じゃ、また会えたらええな」
と、ぼそぼそ呟くように言うと、手塚が微笑した。
「では、会ったら、俺が飲み物を奢ろう。今日は奢ってもらったからな」
手塚がそんな風に返答してくるとは思いもしなかったので、忍足は面食らった。
面食らいつつも、胸の中がなんとなく暖かくなってくる。
「じゃぁ、奢って貰おか…」
「……忍足君、どこ行ってたの?」
ちょっとウキウキした気分になって言った所に、厳しい声が飛んできた。
「呼ばれているようだ、早く行ってやれ」
手塚が苦笑する。
「女子と一緒か。忍足は女子に優しそうだから、人気があるだろうな」
「べ、別に…」
反論したくなって口を開きかけたが、手塚がその前に手を上げた。
「俺は向こうで勉強するので、また」
「あ、あぁ、じゃ、明日な?」
さっと身を翻して去っていく後ろ姿を、忍足は妙に落ち着かない気持ちで眺めた。





















純愛な感じで…。