手塚は、忍足が帰宅するよりも前に忍足の家に来ていたらしい。
母親が機嫌良さそうに手塚に対応していた。
「あ、侑ちゃん、お友達よ」
玄関に入るやいなや、母親がリビングから出てきた。
「…友達?」
顔を上げてなんの気無しに母親の後ろから出てきた人物を見て、忍足は息が止まった。
「て、づか……」
それは手塚だった。
白い青学のシャツを着て、いつもの涼しげな瞳で、自分を見つめていた。
「な……」
声も出せずに凝視していると、母親に、
「なにぼけっとしてんの? わざわざ来てくれはったんやで、ほらほら」
とせかされて、呆然としているうちに、上階の自分の部屋に手塚もろとも行く羽目になった。
忍足の家は、都内の高層マンションの一角にあった。
メゾネット形式の都内ではかなり広いマンションで、忍足の自室は上階に位置している。
東南角でベランダ越しに遙か下界を見はるかす、見晴らしの良い一室だった。
薄いカーテン越しの空は既に暗かった。
カーテンを引き照明を点けると、広くさっぱりとしたモノトーン調の部屋が浮かび上がる。
「綺麗にしているんだな」
手塚が部屋を見回して言ってきた。
落ち着いた、響きの良いバリトン。
久しぶりに手塚の声を聞いただけで、忍足は自分が努力してなんとか作り上げようとしていた自制心ががらがらと崩れ落ちるのを感じた。
あんなに我慢してきたのに。
(なんで手塚のやつ…)
嬉しいよりか、恨めしかった。
「なんか、用なん? わざわざ俺のうちまで来てもろて、悪かったなぁ」
とりあえず手塚にソファを勧めながら、忍足は手塚の方を見ずに言った。
上階にも簡単な給湯設備がある。
そこの小さな冷蔵庫からペットボトルを2本取り出し、部屋に戻る。
手塚に差し出すと、ソファに座った手塚が上目遣いにじっと忍足を見つめてきた。
切れ長の黒い瞳が、真意を測るかのように自分を見据えてくる。
思わず視線を逸らすと、手塚が立ち上がった。
「…忍足。……どうして突然来なくなったんだ?」
「どうしてて……メール書いたやろ。学校忙がしゅうなってな…」
「……それだけじゃないだろう。……何か、俺が気に障るような事をしたのか?」
低く通る声が、鼓膜を震わせる。
思わず背筋が総毛立った。
身体がかっと熱くなる。
(まずい……)
忍足は顔を背けて手塚から離れようとした。
が、手塚がそれを許さなかった。
手塚は手を伸ばすと、忍足の肩を掴んできたのだ。
電流が走って、忍足は思わず顔を顰めた。
手塚の手が触れた所が、火傷したように熱くなる。
「忍足。何か気に触ったのなら謝る。……理由を教えて欲しい」
「理由って……」
これ以上近寄られたら、困る。
しかし、身体も動かせなかった。
硬直して、ちょっとも動かない。
視線を俯かせたまま唇を噛み締める。
「お前が図書館に来なくなって、俺は……」
手塚の息が耳に掛かる。
忍足は息を詰めた。
「寂しかったんだ。これからもずっと、図書館でお前に逢えると思いこんでいたらしい。あんなメールでは納得がいかない。……忍足、どうして突然来なくなったんだ。俺と会いたくないようなのだが……なぜだ。俺が青学だから、か?」
「……ちゃうねん!」
「ではなぜだ?」
畳みかけるように問いつめられて、忍足は我慢できなかった。
「手塚は女の子と来てたやんか? 手塚にお似合いの真面目そうなイイ子とな。……ああいうの、見たくないねん。手塚が女の子と楽しそうにしとるとこなんて見たくないんや。手塚と一緒にいるのは俺じゃないといやなんや……」
「……………」
手塚が目を見開いたのが分かった。
もうここまで言ってしまったのだ、最後まで言ってしまえ。
自暴自棄になっていたのかもしれない。
忍足は息を継ぐ間もなく続けた。
「俺は手塚のことが好きなんや。だから、あんなん見せられて普通にしてられんわ。手塚とももう会えん。会うたら……手塚に変なことしてしまいたくなる。そんなんして手塚に嫌われでもしたら俺立ち直れへん。……な? 分かったらはよ帰り。今度はテニスコートで会お? これ以上、俺が手塚とは一緒にいられないねん…」
最初は勢い込んでいたが、最後の頃は蚊の泣くような声になってしまった。
言いながら、なんて馬鹿なことを言ってるんだ、と思う。
だが、言わずにはいられなかった。
言って、はぁはぁと肩で息をしながら俯く。
言ってしまった、とうとう。
最後まで言わないで、このままテニスコートで普通に話をする間柄に戻ろうと頑張っていたのに。
こんな事言ってしまったからには、手塚だって、今まで通り自分と仲良く、というわけにもいくまい。
自分で、自分の道を絶ってしまった。
もう、手塚とは話せないんだろうか。
胸がずきん、と痛んだ。
鋭い矢でも突き刺さったようだ。
そんなのいやだ。
なんでもいい……ただの世間話でもいいから、手塚と話していたい。
……いや、それも無理だ。
自分は手塚のことが好きなんだから、そうと自覚してしまったからには、もう堪えきれない。
そのうちきっと………今は我慢できても、そのうち我慢しきれなくなって、手塚に変なことをしてしまうだろう。
へんなこと…。
(………)
--------そうだ。自分は、手塚に触れたい。
触れて、抱き締めて……柔らかそうな唇に口付けをしたい。
口付けだけじゃない、肌をまさぐって………。
「手塚、もう帰ってや……な?」
忍足は我慢できなくなった。
これ以上手塚と一緒にいると自分が変になりそうだった。
頭がわんわんとして、正常が保てない。
-----------と、不意に目の前が暗くなって、忍足は息を飲んだ。
手塚の顔が突然近づいてきたかと思うと、自分の唇に、何か柔らかく暖かいものが触れてきたのだ。
……動けなかった。
呆然としたままソファで硬直していると、唇を少し離して、手塚が忍足の瞳を覗き込んできた。
「…へんな事とは、……こういう事か?」
低く響くバリトンに、忍足は息ができなかった。
今、手塚が自分に口付けして……きたのか?
(まさか……っ)
眼鏡の奧の切れ長の美しい瞳が、微かに瞬いた。
じっと凝視していると、その黒い虹彩に、自分の影が映っているのが見える。
濡れたように、その瞳が自分を映し、その中の自分が驚いた表情をしているのが見えた。
「て、づか…」
「忍足……」
低く、濡れた声。
再び唇が覆い被さってきた。
「な、んで……」
数度啄まれるように口付けされ、呆然としたままで切れ切れに声を漏らすと、手塚が視線をすっと逸らした。
「俺も、お前と同じだからだ。忍足…」
手塚の方が行動的
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