月光
《1》














手塚が跡部の自宅へ寄ったのは、全国大会で青学が氷帝を破った、その日の夜だった。
帰宅して夕飯を食べ終えた所で、顧問の竜崎から電話がかかってきた。
明日の試合の予定についての電話だったが、そのついでに、試合終了後担架で運ばれていった跡部が、病院から自宅に帰ったという事を聞いた。
それを聞いてすぐに、夜にもかかわらず、家人に断って外出したのである。
手塚の家から跡部の邸宅までは、電車で20分ほどだった。
地下鉄を乗り継いで、見慣れた跡部家の重厚な門の前に立つ。
地上の光で薄淡い夜空に聳え立つ西欧調の邸宅には、所々明かりが灯っていて、跡部の部屋にも灯っているのが外から見て取れた。
会ってくれるだろうか、それとも断られるだろうか…。
電話を聞いて居ても立ってもいられなくなって来てはみたものの、跡部にしたら迷惑以外の何物でもないかもしれない。
会ってくれないかもしれない。
こんな突然押しかけた自分を、どう思うだろうか。
いろいろな思いが浮かんで、逡巡する。
しばし門の前に立ちすくみ、それから意を決してインタフォンを押す。
跡部家の使用人が「どなたですか」、と聞いてくるところに、自分の名前と尋ねた用途を告げる。
しばらくして「お入りください」とインタフォンから声がして、門の鍵が自動的に開いた。
エントランスまでの道のりを俯き加減に歩く。
涼しい風がふっと吹きすぎ、ふと見上げると、雲一つ無い空に半月が皓々と輝いていた。
(………)
心の中がざわざわとした。
このざわめきは、日中の試合の時からずっと続いているものだった。
それがここに来て、急に大きくなった気がした。
跡部は………どうしているだろうか。
会うのが怖いような気もした。
「お部屋の方へどうぞ、ということです」
玄関を入ると、上品そうな初老の執事からそう言われた。
頷いて手塚は広い廻り階段を、跡部の自室まで上がっていった。














「……よお」
扉を開けて部屋に入ると、跡部の声がした。
いつもの、不遜な、……しかし少し疲れたような声だった。
声のした方を見ると、それは部屋の北側の壁に沿って置かれたベッドからだった。
跡部はベッドに横たわって、手塚に顔を向けていた。
顔色が悪く、青白かった。
が、眼光は鋭く、爛々と、まるで獲物を見つけた猛禽類のように輝いていた。
-------------髪は。
瞳にかかる前髪は無くなっていた。
色の薄い茶色の柔らかな髪は、頭皮から数pの所でばっさりと切られていた。
刈り上げに近い髪になっていた。
前髪がないと、跡部の印象が違って見えた。
あの、垂れた前髪を通してこちらを見透かすような、どこか退廃的な妖艶な雰囲気ではなかった。
どちらかと言うと、少年っぽい印象だった。
手塚はまじまじと跡部を見つめた。
心臓がどくん、と跳ねたような気がした。
「…何か用かよ?」
「………具合はどうか、と思って……」
入るのが躊躇われて、扉の所に立ったままで答えると、跡部が肩を竦めて入ってこいと手招きした。
「ちょっと脱水症状起こしただけだ。たいしたことねえぜ」
「それならいいんだが……」
ベッドの側まで行くと、こわごわ、ベッドサイドに腰を掛ける。
間近で見る跡部は、いつにも増して美しかった。
疲労の色の濃い目元に、射竦めるような灰青色の瞳。
かさついた唇が、試合の激しさを物語っているようだった。
「点滴してもらってすぐに回復したぜ。まぁ、コートで立ち往生たぁ、とんだ醜態だったがな」
唇が動いて、桃色の舌が見え隠れした。
今まで髪に隠れていた額と、形の良い細い眉が全て、隠れるところな露わになっている。
白い耳が微かに動き、そういえば耳もこんなふうに全て見えるのは初めてだ、などと瞬時脈絡もなく思って、手塚は不思議な心持ちがした。
「跡部……」
急に衝動が襲ってきた。
白い耳朶に。
形の良い額の生え際に。
美しく弧を描く眉尻に。
つんつんとした、茶色の短い髪に。
衝動のままに口付けを落としていく。
「どうしたよ……? あァ?」
跡部が軽く笑って、視線を緩めた。
「俺を慰めてるつもりかよ?」
「……そんなつもりではない……。俺はただ……」
「こういう髪型も悪くねえだろ?」
「……とても、似合っている…」
「ばーか……」
唇が誘ってくる。
深く唇を覆って、舌を滑り込ませ、跡部の舌を捕まえると強く吸い上げた。
「……んっ……」
甘い、声。
やはり疲れているのだろう、気怠げな響きが混ざった声。
あれだけ白熱した試合をしたのだ。
疲れていて当然だ。
試合に勝利した越前でさえ、試合の後疲労で動けなくなり、顧問の竜崎の車で送られていったのだ。
竜崎の車の中で死んだように眠っていた越前を思い出す。
きっと今頃は自宅で熟睡しているだろう。
跡部も、--------------ベッドに横になったまま自分を出迎えたぐらいだから、かなり疲れているのだろう。
跡部に会いたくて、居ても立ってもいられなくなって来てしまったが、こうして会えた。
会えて話も出来た。
それだけで、もう帰るべきだ。
-------------けれど。
跡部を一度抱き締めたら、もう戻れなかった。
………抱きたい。
強烈な欲望が襲ってきた。
試合の時の跡部を見て、それからずっと心の裡で悶々としていた想いが、一気に噴き出したようだった。
越前と、あれほどの試合をして、そして負けた跡部。
あの長い試合の間、自分はただ傍観しているしかなかった。
跡部の姿を、遠くから見ているしかなかった。
あの、歯がゆい想い。
じりじりするような焦燥。
「お前は、俺のものだ……」
不意に言葉が口をついて出た。
跡部が透明な灰青色の瞳を見開き、ふっと口許を歪めて笑った。
「ばーか……俺は誰のものでもねぇよ……俺は俺だ……」
「……そうだな」
手塚の返答に、美しい瞳が細められ、唇が押しつけられる。
「でも、……お前のものになってやっても構わねぇぜ…」
「……跡部……」
「……来いよ…」
甘い掠れた声が、耳元で囁かれる。
「テメェを感じてぇ……。手塚、……抱けよ…」
熱っぽい囁きに、抗えるはずもなかった。
かっと全身が熱くなり、息が吐けなかった。
手塚は荒々しく跡部を押し倒すと、その衣服を引き剥いでいった。