青嵐
 《2》












「お帰りなさい、疲れたでしょう?」
電車に揺られ自宅へ戻ると、母親が迎えてくれた。
「いえ、大丈夫です」
自分を心配してくれている母親に笑顔で首を振ってそう答える。
その日は、久しぶりに手塚が戻ってきたせいだろうか。
家族全員が集まり、賑やかな夕食になった。
息子の怪我が快方に向かっているのが嬉しい母親や父親の様子を見ると、手塚もほっとなる。
家族の団らんで穏やかな時間を過ごす。
だが、夕食を終え風呂に入り、自室に戻って一人きりになると、手塚の表情は曇った。
昼間病院で見た光景が、忘れられない。
「…………」
軽く息を吐き、頭振ってベッドにごろり、と横たわる。
宮崎へ行く前の晩、この部屋に真田がやってきたのだ。
あの時、不意に抱き締められ、……口付けられた。
それどころではなく。
あのまま自分が抵抗しなかったらどうなっていたのだろうか。
(…………)
どうして、そんな事を考えているのだろう。
手塚は首を振った。
勿論、抵抗しない、などと言うことはなかった。
真田があれ以上何かを仕掛けてくるようなつもりもなかっただろう。
あれは、ただの戯れだ。からかい。
真田の口調も表情も---------
今日見た真田とは全く違っていたではないか。
本当の真田は、今日見たような表情をするのだ。
真に大切な相手に対しては。
相手を気遣い、気配りをし、優しげな瞳で相手を見守り……。
幸村を見る時の真田の柔らかな視線を思い出して、手塚は眉間に皺を寄せた。
……何を考えている。
自分を叱咤する。
胸がむかむかした。
どうしてか分からなかった。
『手塚……』
自分の名前を呼んだ真田の低く響く声を不意に思い出す。
-----------ここで。
このベッドの上で、不意に抱き締められた時の、腕の力。
熱い息。
のしかかってくる重み。
熱くふっくらとした唇。
あの唇を……幸村はすでに味わっていたのだろうか。
胸がちりちりとした。
(真田………)
下半身がどくん、と蠢いた。
(………!)
手塚は密かに狼狽した。
いったいどうしたんだ、俺は。
何を考えていた……。
激しく頭を振る。
ベッドに俯せになり、枕に顔を押しつける。
「…………」
-----------変だ。
こんな風に興奮するなど、全くなかったのに。
手塚は困惑した。
下半身が熱く疼いた。
その疼きが、じれったさを伴って脳に駆け上がってくる。
手塚は俯せの侭そろそろと両手をパジャマのズボンに差し入れた。
下着の中で、それは大きく存在を主張していた。
ぬるり、と先端が濡れて、そこを指でこすると、背筋を電撃が走り抜ける。
「……はッ……く……ッ」
枕の顔を埋め、手塚は必死で声を殺した。
誰もいないにもかかわらず、声を出すのは耐えられなかった。
堅いそれを両手で握りしめ、根元から先端まで扱いていく。
ごろり、と仰向けになり、もどかしげにパジャマを膝までずりおろすと、外気に晒けだされた肉棒が、湯気を立ててそそり立った。
「くッ……ん………ッッ!」
指に力を込め扱いていくと、すぐに我慢が聞かなくなった。
「く…ッさ、なだ………ッ」
パン、と頭の中で何かが爆発し、どくん、と自身が脈打つ。
忽ち先端を覆った掌に、熱い粘液が溢れてくる。
ティッシュを取り、先端に当てると、あっという間にティッシュ9が湿って濡れていく。
(…………なぜ……)
ごそごそと俯いて始末をし、パジャマを着直して、手塚はベッドに突っ伏した。
なぜ、真田のことを考えて、自慰など……。
先日、ここで迫られたからだろうか。
迫られて……気持ち悪かったのではないのか。
あんな事をされて………抱き締められ口付けされて。
なのに、どうして、真田のことを考えて興奮してしまったのか。
-------------手塚は激しく首を振った。
怖かった。
自分が、どうして興奮してしまったのか。
その理由を汁と、抜き差しならない自体に陥ってしまうような気がした。
駄目だ。考えるな。
布団を頭まで被り、目を固く閉じる。
明日は病院に行って検査結果を聞いて、すぐに帰ってこよう。
明後日にはまた宮崎に戻る。
戻って頭を冷やした方がいい。
きっと、ずっと病院生活で、自慰などしていなかったから、なんでもない事で興奮してしまったのだ。
無理矢理そう何度も自分に言い聞かせる。
なんど言い聞かせても心許なかった。
自分がよく分からなくなっていた。














「ほぼ完治状態と言えるね。あとはリハビリを続けていけば元に戻ると思うよ」
次の日。
昨日の検査結果を聞きに、再度病院を訪れた手塚は、診察室でCTやMRIの何枚も撮った写真を見ながら、医者の説明を聞いていた。
ほぼ完治、という言葉に思わず笑みが漏れる。
中学生らしからぬ落ち着いた物腰の手塚が笑った事で、医者も目尻を下げ、やや太めの身体を揺らした。
「心配はいらないから、リハビリ頑張りなさい」
「はい、ありがとうございます」
検査結果を聞けば、もう病院での用事は終わりだった。
一礼し、診察室を出て、スポーツ医学外来受付の事務員に頭を下げ、エレベータに乗る。
シュン、と軽い音を立ててエレベータが開き、誰もいない箱に手塚は乗り込んだ。
スポーツ医学外来は外来病棟の4階にある。
1階まで降りて、そのまますぐに帰る予定だったが。
エレベータから降りた手塚は、眉を顰めて入院病棟へと続く広い廊下を見た。
向こうに---------立海大の幸村が入院している。
ベージュ色の暖かな色調のリノリウムの廊下をじっと眺める。
どうするか……。
と思う先に、足が動いていた。
入院病棟の方へ息、エレベータを見上げる。
神経内科は5階だった。
(……………)
逡巡していると、エレベータが1階に降りてきた。
手塚の前に待っていた人々が乗り込む。
手に花束や1階のコンビニで買ったこまごましたものを持っている所を見ると、見舞いの人たちだろう。
手塚が乗る者だと思っているようで、エレベータを開いたまま待っている。
「あ、すいません」
手塚は慌ててエレベータに乗り込んだ。