lovelorn  1 






「獄寺君、好きだよ」
にこやかな微笑を浮かべ、ツナが近寄ってくる。
「オ、オレもっスよ。10代目!」
いつもツナに言われている事だが、言われるたびに嬉しく胸がどきどきして、獄寺は勢い込んで返事をした。
「獄寺君って本当に俺の事大切に思ってくれてるよね。俺も、獄寺君のこと大切なんだ。…好きだよ」
そう呟いて、ツナの手が自分の頬に触れてくる。
暖かい指先が、自分の顔の目尻からすうっと頬の上を辿るようにして唇まで動く。
「…10代目…」
触れられた所がまるで火傷したみたいになる。
熱くて、痛いぐらいに敏感になってくる。
胸の鼓動が全身に響いて、くらりと眩暈がする。
「…10代目、好きっスっ!」






(…………)
頭がガンガンして、焦点がはっきりしない。
眉間に皺を寄せて睨むと、漸く自分の網膜に見慣れたマンションの天井が飛び込んできた。
少し灰色がかった白い、無機質な天井。
カーテン越しに白茶けた朝日が差して、それがフローリングの床に反射しているのか、薄く揺らいで天井に映っている。
(…またかよ…)
がっくりと身体をベッドに沈ませて、獄寺は重い腕を上げ、垂れてきた前髪を忌々しげに払った。
夢だ。
しかも、ここの所頻繁に見ている、ろくでもない内容の。
枕に顔を押しつけて、鼻から息を吐くと、夢の中でドキドキしていた分、と身体にどっと疲れが押し寄せてきた。
いつからあんな夢を見るようになったのだろうか。
獄寺が日本に来て、ボンゴレ10代目の沢田綱吉に出会った当初は、微塵もあんな夢は見なかった。
───やはり、ここ数週間の事だ。
ツナが10代目だから惚れ込んでいるのではなくて、ツナ自身に心酔しているだ、と自覚したあたりだ。
しかし、その気持ちはボスに対する敬愛の気持ちであって、決して夢の中で感じているような…あんな不埒なものではないはず。
「あぁ、あんなエロな気持ちじゃねぇはずだ…」
ぼそっと呟いて、獄寺は自分の夢の内容のはしたなさに改めて溜息を吐いた。
夢の中では、ツナに触れられて、悦んでいる自分が居た。
今朝は頬だった。前回は唇に触れられた。その前は、手の甲にキスされた。
たいした部分ではないとも言えるが、ツナが自分に触れてくる夢ばかりなのは確かだ。
その度に自分は胸が躍り嬉しくてたまらなくなる。
ツナにもっと触れてもらいたい。もっと……。
(いったい、何してもらいたいんだよ、俺…)
考えると怖い。
獄寺は重い溜息を吐き、ベッドサイドに手を伸ばして煙草の箱と取ると、気怠い動作で中から1本煙草を取り出し、ライターで火を点けた。
紫煙が肺に染み通る。
深く息を吐いて、煙草の煙を天井に向かって吐き出す。
白い煙がうっすらと立ち上って、天井まで昇っていき、消えていった。
煙草を吸うと、夢の熱に浮かされていた身体が、現実に戻ってくる気がした。
感覚が現実にリンクして、意識がはっきりとしてする。
……全く、バカな夢だ。
あんなのはきっと──そうだ、日本に来てからというもの、ツナと一緒にいる事であり得ないほど健全な日々を送っているから、欲求不満になったんだ。
獄寺はそう思いこもうとした。
日本に来るまでは獄寺は、イタリアの若い男のごく普通の生活を送っていた。
誘いがあれば異性と交渉を持ち、付き合うというわけではなくその場限りの後腐れのない関係。
それが、日本に来てぱったりなくなったからだろう。
何しろ日本の同年齢はまだまだ子供で、そういう事には、特にツナは関心がないようだからだ。
そんなツナに合わせていたから、自分も表向き生活が子供に戻っていて、身体の方がいつの間にか欲求不満になっていたんじゃないのか。
きっとそうだ。気にする事はない。
無理矢理そう思いこむと、獄寺は顔を顰めたままベッドから降りて、登校の支度をした。







「おはようございます、10代目!」
「あ、おはよう、獄寺君」
───大丈夫だ。
教室に入って、既に学校に来ていたツナと普通に会話をして、獄寺はほっと心の中で息を吐いた。
あんな夢を見たからと言って、疚しいところなんかない。
自分が気にしなければいいことだ。
だいたい、ツナには意中の人がいる。
健全な中学生に相応しく、アイドル的存在の綺麗な女子中学生だ。
(…だよな、全くオレもどうかしてるぜ…)
いつものように行儀悪くガタガタと椅子を引き出して座り、獄寺はバッグを床に放り投げて頭の後ろで両手を組んだ。
「獄寺、なんだその格好は」
授業をしていた数学の教師に注意されたが、うざいとばかりに睨みつけると教師の方で目を逸らした。
机の上に両脚も乗せて、椅子の前足を宙に浮かせて更に行儀悪くしてやる。
獄寺が素行不良の割りにクラス一、いや学年一と言ってもいいほど勉強ができる事を知っている教師は、そっぽを向いてばつが悪そうに顔を顰め、黒板に向かって数式を書き出した。
ツナが心配そうに振り返って自分を見てくる。
大丈夫ですよ、とばかりに手を軽く上げて笑って見せて、獄寺は内心溜息を吐いた。
こんなつまらない、平和過ぎてくだらない事で、どうでもいいような教師に反抗するなんて、マフィアの名折れだ。
少なくとも獄寺は、イタリアではスモーキンボムとして恐れられていたし、由緒ある最大マフィアボンゴレファミリーの一員として大人の仲間入りをしていたはずだ。
勿論、今とてボンゴレファミリーの命令で日本に来ているわけだから、きちんと仕事をしている、とは言えるのだが。
(どうにも調子が狂うよな。だから、いけねぇんだ…)
ここの所の夢は平和ぼけた。ただの欲求不満だ。日本では発散できないからだ。
……欲求不満ぐらい昇華しないでどうする。
獄寺は自分を叱咤した。
寄りにも寄ってツナを性愛の対象として見るなど、不届き千万。
自分を殴ってダイナマイトで吹っ飛ばしたいぐらいだ。
(全く、不遜にも程があるぜ。畏れ多くも10代目に…)
───触れらて、悦ぶ夢なんて。
(くそ、集中集中)
こういう時はつまらない数式に集中するに限る。
くだらない平和な勉強も、少しは役に立つ。
机に乗せていた足を降ろし、教科書をおざなりに広げる。
それでも、獄寺の様子にツナがほっとしたのか、にっこり笑って黒板の方に身体の向きを戻した。
その制服の背中を眺めて、獄寺は肩を竦めて溜息を吐いた。
10代目を心配させてはいけない。
なんでもない事だ。夢なんて。ただの欲求不満の表れだ。
ほおっておけばそのうち治まるだろう。
……その時は、そう思った。






しかし、事はそう簡単には運ばなかった。
数日後、獄寺は、またツナの夢を見たのだ。
その時は、獄寺とツナはどこか見知らぬ場所にいた。
日本ではなかった。
どうやらイタリアのようであった。
天井の高い、ゴシック調の大広間の中央に、重厚な布貼りのソファが置いてあり、そこにツナが座っていた。
制服ではなく、大人びたスーツを纏っていた。それだけで雰囲気が違った。
中学生のツナではなくて、マフィアのボスとしての、10代目としてのツナが居た。
「獄寺君」
呼び方は変わっていなかったが、その声はどこか冷たかった。
獄寺は、ツナの前で片膝を着いていた。
俯いて、複雑な模様を描いた暗茶の絨毯を見つめていた。
自分を呼ぶ声にびくっとして顔を上げると、ソファに深々と座ったツナと視線が合った。
「今日限りで、キミにはファミリーから脱退してもらう」
「…ッ」
唐突な言葉に、声が出なかった。
呆然としてツナを見上げると、ツナが酷薄な笑みを浮かべた。
「キミには失望した。もういらないよ。俺の右腕はキミみたいな人には預けられないからね」
ツナの座る椅子の後ろに、黒いスーツを着た見知らぬ男が立っていた。
「これからは、彼に右腕になってもらうから」
ツナが顎でその男を示す。
微かに笑って、獄寺を見下ろしてくる。
「二度と俺の前に現れないように。見たくない」
…心臓が凍えた。






──というところで目が覚めて、獄寺は蒼白になった。
目が覚めて、夢だと分かって心の底から安堵したものの、さすがに夢でも今回の内容はきつすぎた。
ツナがあんな冷たいマフィアのボスになるとは。
いや、マフィアのボスとは元々そういう冷酷な一面を持っていなければ勤まらないという所はある。
そうは言っても、──一体どうしてこんな夢を見たんだろう。
ベッドの中で獄寺は全身汗まみれになっていた。
汗が冷え、震えが来た。
戦慄く手で煙草を取って火を点け、胸一杯吸い込んでも身体の震えは治まらなかった。
───怖い。
絶対あり得ない事だと分かっていても、ツナがあんな言動をとるわけがないと思っていても、…怖い。
夢の中のツナの冷たい声とか、自分をまるでボロ雑巾でも見るかのような目つきとか、もう役立たずとして自分の事など眼中にないような態度。
全身が総毛立った。
絶対あり得ない。ただの夢だ。
ツナがあんな態度をとるわけがない。
もし、自分が今まで自分に都合の良い夢を見ていたのがばれたとしても…。
───ばれたら?
そう思ったら、更に震えた。
全身が戦慄いて、獄寺は布団を被ってうずくまった。
もしかして、自分では全く気付いていなかったが、どこかで態度に出ているかも知れない。そう思った。
自分の夢に勝手にツナを登場させて、触れてもらっている事。
あまつさえ、キスをしてもらって悦んでいる事。
もしバレて、嫌がられたら…。
今日の夢ほど冷たくされないとしても、…嫌がられたら。
それだけはどうしても避けたい。というよりは、耐えられない。
獄寺は唇を噛んだ。薄い唇を血が出るほど噛み締めて、激しく顔を振った。






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