◇浮木(ふぼく)  2   







ザンザス不在の7年目が来た。
スクアーロがディーノの館に泊まる事も多くなった。
勿論、ディーノは何もしない。
旧知の友人同士、心づくしのもてなしをし、酒を飲む。
それだけだ。
勿論、ディーノがそれで満足するはずもなく、虎視眈々とスクアーロを落とす算段を練ってはいる。
しかし相手はこれ以上ないほどの強敵である。
少しずつ、外堀を毎日ひとすくいの土塊でもって埋め、相手が気付かないうちに平地とし、更に内堀へとこっそりと進んでいく。
スクアーロはますます寡黙になった。
大声を出して恫喝する事も、煩い程に吠える事も一切なくなった。
透き通るように白い肌はますます白くなり、どこか茫洋とした灰銀色の視線でワインを傾ける。
暗殺だけは着実に行っているようで、彼の剣士としての技量は更に磨かれているようだが、ディーノの前では決して彼はそういう雰囲気を見せなかった。
学生の頃に見た、喉元に食らいつくような鋭い視線や傲慢な笑い、或いは無遠慮な物腰は少なくともディーノの前では全くしなくなった。
自分の館へ来るときには、暗殺者としての自分をアジトへ置いてくるのだろう。
彼にしては、余りにも油断しきっている。
浴びるようにワインを飲み、酔ったのか物憂げな視線で己を睨め付ける銀色の虹彩に、ディーノは震えるほどの興奮を感じる。
彼は寂しいのだ。
ザンザスがいない事がどれだけ彼を内部から侵食し痛めつけているか。
そんな風にスクアーロがザンザスに恋いこがれている、という事実はディーノにとって忌々しく断腸ものであった。
しかしザンザスが不在でスクアーロが打ち萎れている事が、ディーノにとっては彼につけいる唯一の条件なのだから、矛盾にも程がある。
勿論スクアーロは寂しいなどと微塵も言わず、傲然と顔を上げて自分と対峙している。
が、自分の前で酒に酔うなどという事自体が、彼が既に半ば陥落し、崩壊しかかっている証拠だった。
「スクアーロ、そろそろ寝ようぜ」
ワイングラスを彼から取り上げて己の十八番である柔和な笑みを浮かべると、スクアーロはワイングラスに入った液体を恨めしそうに見送った。
「もっと飲ませろぉ…」
語尾に甘えが含まれているように思えるのは、自分の思い上がりではあるまい。
「また今度な?お前の好きそうなワイン、仕入れておくからよ」
スクアーロはボンゴレのアジトではストイックな生活を送っているらしく、たまにディーノの館に来て、酒を飲むのをことのほか楽しみにしているようだった。
だからディーノも選りすぐりのワインを用意する。
一度ウィスキーを用意した事があったが、その時はスクアーロは顔色を変えてそのまま帰ってしまった。
どうやらウィスキーは禁忌らしい、と知って、それからは常にワインにしている。
それも、イタリアのみならずフランスやドイツからはるばる希少価値のある限定品を取り寄せている。
今度、という言葉で鮫を釣る。
鮫は焦点の合わない瞳でディーノを見て、長く美しい睫を瞬かせ、瞼を伏せて息を吐く。
それだけの動作なのに、ディーノは見とれて息も吐けない。
あの、薄くて形の良い、唇に触れたい。
白く透き通るほどの頬に、指を這わせてみたい。
それだけではなく───
……スクアーロの前で思わず素の表情を出しそうになり、ディーノは我に返って気を引き締めた。
「ほら、ベッド行くぜ?」
さり気なく相手の手を取り、部屋の壁際の豪奢なベッドへ相手を誘う。
黙って手を握られたままついてくるスクアーロにまでするのに、6年かかった。
ベッドへ誘導すると、ディーノは何気ない友人の振りをしたまま、片手を上げて彼に言う。
「じゃあ、おやすみ」
決してここで他に意のあるような仕草を見せてはならない。自分も欠伸をしてみせてさも眠いように見せかけ、部屋を出る。
ディーノは自分の部屋に帰って寝るのだ。
スクアーロ用に用意した部屋を出る間際、扉を開けてディーノはちらりとスクアーロをのぞき見た。
彼は、ベッドに腰掛け、ディーノの方をぼんやりとした視線で見ていた。
酔って仄かに赤らんだ頬と唇が、物言いたげに震え、本来ならば鋭く射抜かれるようなはずの視線が潤んで焦点を合わせていない。
──そろそろ、内堀を埋めて上陸してもいいだろうか…。
全身が戦慄くほどの高揚に、ディーノは扉を閉める手が震えた。










その後半年ほど、ディーノはスクアーロを自宅に呼ぶ事ができなかった。
キャバッローネの地元近くで、新興の他ファミリーとの小競り合いの収拾に半年を要したのだ。
スクアーロは最近では1、2ヶ月に1度は訪れていたので、ディーノはスクアーロが来そうな時期になると連絡をして、申し訳ないが来るのはやめにしてくれと断っていた。
スクアーロを呼べないという事はディーノにとって身を焼き焦がすほど辛い事ではあったが、さすがにファミリー同士で大仰な抗争ともなれば、スクアーロを呼ぶどころではなくなってしまう。
そうならないためにも最小限の諍いですむように水面下で工作をし、裏切りや殺人を密かに犯し、表面上は和やかに収める。
そのぐらいの手腕はディーノは既に存分に身に付けていた。
スクアーロを我慢するだけの忍耐も。
半年を掛けて政界から他マフィア、経済界まで執拗に根回しをし、表面上は何事もなかったかのようにディーノは小競り合いを収拾した。
当然ながら、己のファミリーに刃向かってきたマフィアは搦め手から潰し、弱体化させ、己のファミリーに吸収してしまっている。
このような裏工作もマフィアのボスともなれば慣れてくる。
特にディーノにはその手腕があるようだった。
全てを片付けて、館に戻ってくると、ディーノはスクアーロの携帯に電話を掛けた。
耳を押しつけると軽く電子音がして、それが数回続き、それから電話が繋がる。
「スクアーロ?」
ディーノは何気ない、いつもの声で挨拶をした。
「………」
スクアーロは返事をしなかった。
だが、電話の向こうに彼がひっそりと息づいているのは分かる。
「やっとけりつけたぜ。明日休みだろ、こっち来ねぇか?ワインもどっさり仕入れておいたぜ」
「………」
「スクアーロ?」
「…あぁ、…テメェ忙しいんじゃねぇのか?」
「もう何もねぇよ。お前と上手い飯食って酒飲みてぇな」
「…分かった。…じゃあ、明日な…」
電話は唐突に切れた。
携帯を閉じて、ディーノはやや眉を顰めた。
電話の向こうのスクアーロの雰囲気が、今までの気を許していたものとは少し違っていたからだ。
それ以前の、どこか自分に対してまだ警戒心を持っていたころの彼を彷彿とさせる。
半年間会わなかった事が、半年分自分の作戦を後退させてしまったのだろうか…。
いや、でもスクアーロは来ると言った。
来るという事は、またそこから堀を崩していけばいい。
決してあきらめない。
あきらめられるような簡単な思いではない。
ディーノは携帯を握りしめて、唇を噛んだ。










次の日、スクアーロはキャバッローネファミリーの用意した車に送迎されてやってきた。
いつもスクアーロがディーノの所にくる時には、ボンゴレ本部近くからキャバッローネの車に乗ってきてもらっている。
黒塗りの車のドアが開き、降り立ったスクアーロを見て、ディーノはにこやかに笑顔を見せようとし、微かに強張った。
スクアーロの雰囲気がいつもと確実に違っていた。
前回、この館に来た時には、スクアーロはもっと柔らかく、油断しきって自分の出迎えを受けていた。
しかし今日は──どこか警戒して、油断なく辺りを見回している。
やはり……半年の空白が痛かったか……。
心中忸怩たる思いながらも、ディーノは一瞬強張った顔を瞬時に柔和な笑顔に戻し、スクアーロに歩み寄った。
「久し振りだな。来てくれて嬉しいぜ?」
「……ああ」
スクアーロが珍しく自分の顔を凝視してきた。
透明な銀色の眸と、けぶるような長い睫、白く青ざめた頬。
さらりと流れ、淡い日の光の中銀の輝きを惜しげもなく煌めかせる長い髪。
スクアーロはシンプルな白いシャツと黒いパンツを穿いていただけだが、そのシンプルで色の少ない服装が、彼の美貌を一層際だたせていた。
「早い夕飯だが、ゆっくり食べようぜ。オレも久し振りにゆっくりできるから、お前とオレの好物用意してもらったんだ」
いつもと同じさり気ない調子で言い、にっこりと笑いかける。
スクアーロの銀の虹彩の縁取りが搾られ、蒼く色をかえて己を映してくる。
何気ない振りをして肩を抱くと、彼はぴくりと肩を震わせたが、ディーノの手を振り払う事はなかった。
「荷物はねぇのか?泊まっていけんだろ?」
「…これだけだ。あとはテメェのうちになんでも揃ってんだろ」
「お前のものならなんでもあるぜ。…じゃ、ワインもいっぱい飲もうな」
次の日が休みかまでは聞いていなかったが、どうやらスクアーロは泊まるつもりらしく、ディーノは心の中で安堵の溜息を吐いた。
小さな鞄を手にした彼を、ディーノは肩を押すようにして自室へと案内した。








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