ディーノの自室はそれぞれ30畳程度の居間と寝室に、広く清潔なバスルームの付属した部屋だった。
ルネッサンス風の複雑で落ち着いた装飾の施された高い天井に、木枠の重厚な縦長の窓が中庭に面して柔らかな陽光を取り入れており、カーテンはシックな茶色の遮光のものをメインに外側に薄く純白のレースのものがかかっている。
遮光カーテンはドレープをつけて綺麗に折り畳まれており、反対の壁に備え付けられた暖炉の上の燭台には赤々と灯が灯り、壁に掛けられた洋画やタペストリーを照らし出していた。
洋画は宗教画でキリスト生誕を描いたもの、タペストリーは地元の収穫祭を丁寧に織り込んで長い年月を掛けて作られたものだった。
窓に面して猫足の長いテーブルが設えてあり、既にそこに食前酒やオードブルなどが並べられていた。
まだ夕方には早い時間だったが、車で数時間掛けてここまでやってきたスクアーロは空腹だろう。
ディーノの部屋の隣が客用寝室で、スクアーロ専用となっていた。
まずスクアーロを隣に案内する。
「オレもお前の事待っていて飯食ってねぇんだ。昼飯と夕飯一緒って感じでどっさり食おうぜ?」
「……あぁ」
やはり今日のスクアーロは口数が少ない。
ディーノの心に締め付けられるように不安が湧き起こる。
が、ディーノにはそれを表に出さないだけの自制心はあった。
「じゃ、隣で待ってるから早く来いよ?」
スクアーロを客用寝室に残して、自分は自室へ戻る。
向かい合わせに設えた豪奢な椅子に座り、テーブルの上に用意されていたワインを開けて相手を待つ。
10分ほどでスクアーロが入ってきた。
軽くシャワーを浴びてきたらしく、髪は濡れていなかったが、潤ってしっとりと湿った白い肌にディーノは微かに眉を寄せた。
心臓が、騒ぐ。
ディーノ自身、半年ぶりで、いつもよりも自制が効かなくなっていた。
それに加え、スクアーロが以前よりも態度が引いているような様子にも、不安と緊張が煽られ自制心が弱くなる。
しかし、ここで自分に負けてはいけない。
ディーノは殊更笑みを作り、スクアーロのグラスにワインを満たした。
その日の午餐はいつもより長く豪華なものであったが、どこか様子の違うスクアーロが押し黙ったままもくもくと食べているので、ディーノもスクアーロを気遣いつつ敢えて声を掛けたりはせず食材を口に運んだ。
やがて夜になり、カーテンが閉められて部屋内にシャンデリアの照明が煌めき、暖かい色をした光が二人を照らす。
ワインも数本開けて、さすがにディーノは満腹感を覚えていた。
それはスクアーロも同様のようで、ワインを自分でグラスに空けて飲んでいる様は、いつもよりも頬が赤みを帯び、ワインを流し込む唇の開き具合や、喉仏が微かに上下する様が酷く扇情的だった。
暫く黙ったまま二人でワインを飲み、ディーノはゆっくりと立ち上がった。
今日のスクアーロは態度は硬いものの、こうして自分に付き合ってくれた。
しかも泊まってもいってくれる。
己の作戦は少し後退したのかもしれないが、それでもまだそれはさしたる後退ではないだろう。
すぐに取り戻せるぐらいの退却の筈だ。
「そろそろ、寝るか?今日はちょっと飲み過ぎだぜ」
いつになくハイペースでスクアーロがワインを飲んでいるのに気付いていたディーノは苦笑して彼からグラスを取った。
「……あ゛あ゛?」
「いくらお前だってこんだけ飲んだら酔うだろ?」
「酔っていねぇ」
「はいはい」
肩を竦めて笑いながらディーノはスクアーロの隣へ近寄った。
透けるように白い頬がうっすらと赤く染まり、長い睫の下の瞳も酔っているのかどこか潤んで揺れており、たとえようもなく蠱惑的な姿だった。
シャツの襟元もだらしなくくつろげており、上気して仄かに染まった胸元が垣間見える。
このような媚態を目の前にして冷静でいられるディーノではない。
ぞくりと背筋が粟立ち、下半身に急速に熱い血が流れ込んでいくのが分かる。
ディーノは心中克己心を総動員させてその興奮を抑えた。
「ほら、立てって。部屋まで連れてってやるから」
「……まだ飲む…」
「おい、スクアーロ…?」
珍しくスクアーロが抵抗した。
普段、スクアーロはディーノにはかなり気を許しており、彼の言う事に特に逆らう事はなかった。
ディーノに世話される事に慣れていた、というべきかもしれない。
ディーノがひざまづき、世話をするというのが心地良かったのだろう。
だから、常と違ってスクアーロがまるで駄々をこねるように抵抗するのは初めてだった。
手を出しあぐねてディーノが立ちすくんでいると、スクアーロが隣に立つディーノを見上げてきた。
「…………」
睨むその目は、銀色に灰色と青色が混ざり合って、濡れた虹彩が震えていた。
「……スクアーロ?」
スクアーロの唇も震えていた。
形の良い薄い唇が酒によって赤く染まり、表現しようもないほど艶冶だった。
「テメェも……」
「………?」
「テメェも…」
「スクアーロ……?」
「あ゛あ゛…!テメェ、オレを虚仮にしてんじゃねぇ!オレは、オレはテメェなんかッッ!」
突如スクアーロが爆発した。
椅子を蹴って立ち上がり、ディーノの襟首を掴み、ぎらりと光る鋭い刃のような瞳をひた、と合わせてきた。
しかし、それは暴力をふるおうというようなものではなかった。
その瞳には哀切の色が籠もっていた。
「テメェまで、オレを…」
掠れた声が紡がれる。
それは自分に向けたものではなくて、既にスクアーロ自身の独白のようになっていた。
「…ディーノ……」
一度俯き、それから瞳をあげたスクアーロの目を見て、ディーノは息を呑んだ。
銀蒼色の瞳は潤み濡れていた。
透明な水の粒が盛り上がって、切れ長の美しい瞳の端からつっと伝い落ちる。
「ス、クアーロ…」
スクアーロの薄く桃色に色づいた形の良い唇が、ゆっくりと自分の唇に近づいてくる。
彼のしなやかな腕が自分の首に回される。
(………)
唇が触れ合った瞬間、ディーノは目を閉じて、その衝撃を身の裡にだけに留めようと堪えた。
一度崩れてしまうと、スクアーロは目を見張るほど淫靡だった。
彼がこのように媚態を晒すのを、ディーノは見た事がなかった。
首に回った腕が自分を更に抱き締めてきて、薄い唇に貪られ、滑り込んできた舌が貪欲に己の咥内を這い回る。
半ば信じられなくて、口付けを受けたまま身体を強張らせていると、軽く膝を蹴られた。
はっとして閉じていた目を開くと、間近に濡れて輝く銀色の瞳が舐めるように視線を合わせていた。
「ディーノ…」
低く囁かれて、心臓が鷲づかみされたような衝撃を受ける。
どうしてスクアーロが急にこんな行動に出たのか。
自分の方から少しずつ少しずつ堀を埋めて本丸へ侵攻しようとしていたのに、突如彼は向こうから内堀を埋めて出てきてしまったのだ。
「……スクアーロ」
やや逡巡した声音を唇に乗せると、スクアーロが身体を擦りつけてきた。
艶めかしく甘い体臭が鼻孔を擽る。
銀髪が揺れて自分の身体にも纏わりついてきた。
「テメェは……ずっとオレの傍にいるよなぁ…?」
聞いた事の無いような、甘い声だった。
甘くて濡れていて、どこか寂しい響きを持っていた。
「オレを一人にするな……」
(………!)
突如ディーノはスクアーロがなぜ陥落したか、悟った。
彼は、寂しかったのだ。
半年の間、自分に会えなかった事が。
寂しくて恐れたのだ。
自分がスクアーロを棄てるのではないかと。
既にザンザスを実質失って半分死んだようになっていた彼にとって、……半年間自分がいなかった、という事がどれだけの痛手になったのだろうか。
会えなかった事で、事態は後退したかと思われたが、実際はそうではなかった。
自分自身に負けたスクアーロが、自分から落ちてきたのだ。
仄暗く、たとえようもない悦びが、ディーノの全身を揺るがした。
──オレは、勝った。
ザンザス不在のチャンスを最大限に生かし、最後の砦を攻略した。
「ああ、ずっといるよ…当然だろ…?」
ディーノは囁き返すと、自分からスクアーロの薄い唇を覆った。
酒によって火照っているとはいえ、その唇はひんやりと甘く、自分をどこまでも誘ってやまない悪魔のような魅力を放っていた。
深く口付けて舌を絡め合わせ、角度を変えて唾液を吸い上げる。
「……ぅ…あ……ン…」
スクアーロが掠れた喘ぎを漏らした。
全身に激烈な悦びが走った。
スクアーロのこんな声を聞く時が訪れようとは。
体温が急に1,2度上がったような気がした。
全身が震えて、雷にでも打たれたかのようだった。
積年の希望が、今叶おうとしている。
熱くなった身体の芯が爆発して、髪の先から足先まで全て炎に包まれたような気がした。
スクアーロの背中に手を回し、きつく抱き締めて背中を流れる銀髪に指を絡める。
これは全てザンザスのものだった。
しかし、今はオレのものだ。
ついにオレのものになろうとしている……!
これ以上の悦びが存在するだろうか。
しかしディーノは唇をそっと離し、さり気ない調子でにっこりと微笑んだ。
「良かったら……ベッドに、行こう…?」
そう言って相手の反応を待っていると、スクアーロが濡れて煌めく銀色の眸を細め、甘えるように頬擦りをしてきた。
OKのサインだ。
「テメェは、どこにもいかねぇよなぁ…」
「勿論だよ。ずうっとお前の傍にいる」
「あぁ…」
なんて茶番だ。
ディーノの頭の隅では白々しい台詞の応酬に苦々しく褪めている自分がいた。
どうせ、どんな言葉を連ねても、もしザンザスが戻ってくれば木っ端微塵。
自分の言葉なぞ次の瞬間スクアーロの頭からは抜け落ちてしまうに違いない。
──それでも。
それでも、スクアーロが落ちてきた事には代わりはなく、そしてその最大限のチャンスを確実に自分のものにするべく、ディーノは更に慎重にスクアーロの肩を抱いてベッドへと誘った。
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