◇Irritazione 1   








スペルビ・スクアーロが主のそのような姿を見たのは、その時が初めてだった。
剣帝テュールを倒し、怪我も癒えてヴァリアーに入隊して程なくの頃。
ある日の夕方、ヴァリアーのアジトである古城の奥深く、誰にも見られないように古びた回廊を巡った先の中庭で剣を振るっていて、薄暗くなってきたからそろそろ終わりにしようかと暗い回廊へ足を踏み入れた時。
回った廊下の向こう、影になった壁の部分に蠢く影を見つけたのだ。
咄嗟にスクアーロは円柱の影に隠れた。
外は既に見分けが付かないほどに暗くなっており、その薄闇に紛れていれば、自分の銀色に光る髪も目立たない。
それは無意識の行動だったが、円柱の影から密かに廊下の向こうを窺えば、燭台の僅かな蝋燭の光が、下に蠢く者の輪郭をぼんやりと照らしていた。
影は、二人分あった。
一人は背が低く、……少年のようだった。
もう一人は大人だった。
少年が廊下の壁に背中を凭れ、その腰の辺りで、うずくまった大人が蠢いている。
「……ッ…」
微かな息づかいが聞こえてきて、スクアーロはびくっと身体を震わせた。
息づかいに、聞き覚えがあった。
目を凝らして暗がりを見れば、薄い銀の虹彩には、少年が誰であるか、はっきりと分かった。
元々色素の薄いスクアーロの瞳は、暗い場所を見るのに慣れている。
特徴のある黒髪。
暗がりで光る、深紅の瞳。
「……ザンザス、様ッ……ッ…っく…」
「ハッ……も、っと、……しろ…ッッ」
声がはっきりと聞こえた。
湿った淫靡な水音が声に混じって耳を突き刺す。
ザンザスの腰の部分にある大人の頭が動くたびに、ぐちゅ、と粘質な音が響き、荒い息づかいが混ざる。
「イ、イイ、ぜっ……は、……ッッぁ…」
宵闇のひやりとした風に乗って聞こえてくるその声に、スクアーロは息を詰めた。
身体ががくがくとした。
震えを気付かれないようにするのでやっとだった。
不意に壁に凭れていたザンザスががくりと頭を揺らした。
股間で蠢く頭が止まる。
暫くして男が立ち上がり、ザンザスの身体を反転させる。
ザンザスは抵抗する事もなく壁に顔を押し当て、男に向かって腰を突き出した。
「……うぅッッッ!」
ズブ、と、肉同士の擦れ合う音がした。
ザンザスの声が、スクアーロの鼓膜を震わせる。
「ザンザスっ、様っ……」
男の低い声も上擦り、二人が何をしているかは明白だった。
背後から覆い被さった男のモノが、ズッズッと鈍い肉の音を立ててザンザスの中に出入りする。
壁にすがり、顔を押しつけているザンザスの表情は、スクアーロからは見えなかったが、ザンザスが快感を得ている事だけは分かった。
熱い吐息と激しい息づかい。
どこか饐えたような、甘い匂いまで漂ってくるような気がした。
心臓がどくどくと脈打ち、足が震える。
「あ、あっ……ああッッッ」
ザンザスのどこか切なく甘い声に、スクアーロは全身が戦慄いた。
彼がこのような声を出すなど…いや、彼がこのような行為をするという事自体、信じられなかった。
今まで、スクアーロが接してきたザンザスは、微塵もこのような淫靡さや性を感じさせるようなものがなかったからだ。
そのような俗世界の下卑た物事からは無縁に見えた。
しかし、今、スクアーロの目の前で快感に呻き、男に尻を突き出して貫かれているザンザスは…。
信じがたいが、それもザンザスだった。
黒髪が揺れ壁に当たり、表情が垣間見える。
いつもの鋭い視線を投げかけてくる深紅の瞳は閉じられ、肉感的な唇が半分開いて、荒い息づかいと呻きが漏れる。
「う、うっ、あ───ッッッ!」
男が一際深くザンザスを突き上げれば、ザンザスは甲高い声を上げた。
風に乗って、生臭い精の匂いが流れてくる。
スクアーロの鼻孔を刺激したそれに、思わずごくりと喉を鳴らしてしまい、スクアーロははっとして柱の影に身を縮めた。
ずるり、と濡れた肉が抜け出る音がして、ぽたぽた、と粘着質の雫が、古い石畳の廊下に落ちる音がする。
男が跪いて、ザンザスの尻を拭いている様子が、シルエットになって見えた。
「行け…」
ザンザスの低く冷然とした声が聞こえ、男が一礼して足早に立ち去っていく。
スクアーロは息を殺し、全身で気配を消してザンザスを窺った。
暫くザンザスは壁に凭れていた。
蝋燭の薄暗く黄色い光が、ザンザスの黒い髪を照らしている。
赤い瞳はスクアーロの方を見ていず、どこか空中をぼんやりと眺めている。
物音一つしない静寂の中で、ザンザスの息づかいだけが響く。
いや、スクアーロの心臓の鼓動も……。
気付かれないのを祈るしかなかった。
やがてザンザスはふらりと歩き始めた。
後ろ姿が小さくなっていくのを、スクアーロは柱の影からじっと眺めた。
姿が見えなくなっても、スクアーロは全身で気配を消していた。
ザンザスが消えて、30分ほどして漸く、身体の緊張を解く。
(………)
筋肉が固く強張り、痛んだ。
それだけではなかった。
股間が……浅ましく勃起していた。
スクアーロは眉を顰めた。
「……クソ……」
何に対する悪態か分からなかったが、とにかく声を出すと、長い間息も満足に吐かずに黙っていたせいか、声は酷くしゃがれていた。
草むらに放り投げてあった剣を取り義手に装着する。
それから、スクアーロはのろのろと自室へ戻っていった。










夜中になっても、スクアーロの脳内は、夕刻見たザンザスに支配されていた。
幹部用に用意された広い自室の、自分には似合わない豪奢なベッドの上で、眠れずに寝返りばかり打つ。
ザンザスが、男と………。
相手は誰だったんだろうか。
ふと気になった。
スクアーロの知らない男だった。
ザンザスに様を付けて呼んでいる所から、城内の誰かなのだろう。
…恋人なのだろうか。
…まさか。
あのザンザスにそのような存在が…それも大人の男が…と考えるのだけでもスクアーロの想像の範疇を越えていた。
スクアーロから見ればザンザスは気高く孤高で、自分の全てを掛けてついていくだけカリスマを持った人間だった。
が、スクアーロのように雑多な下町で育ちそのまま大きくなった人間から見れば、ザンザスはやはり御曹司だった。
箱入りで、まだ性に関しては何も知らないように見えた。
いや、知っていたかもしれないが、そうだとしても、ボンゴレの跡取り息子として、どこかの相応しい家柄の少女…。
もしくは、経験豊かな家庭教師的存在の女性…。
そのような存在がザンザスの相手として予想されるところだった。
けっして、今日見たような光景ではない。
男に後から貫かれて、喘ぐザンザスなどでは……。
「……クソ、なんだっていうんだぁ…」
スクアーロは弱々しく呟いた。
脳裏から、垣間見えたザンザスの表情が消えなかった。
耳に届いた、彼の呻きや息づかいが脳内に木霊した。
思い起こすと、スクアーロの身体は火照り、下半身が制御できなくなる。
それにも、スクアーロは動揺した。
スクアーロ自身は下町出身で、マフィアの幹部の独りに目を掛けられて運良く学校へと入る事ができたが、それまでは浮浪児のような生活をしていた。
たまたま見目が良かったせいで年上の女性には可愛がられ、女の身体を知ったのも早い。
性癖は至ってノーマルで、同性に欲情した事もなく、迫られた事はあったが、腕に証せて殴りつけてやった。
ザンザスに初めて会ったとき、彼の持つ憤怒のカリスマにどうしようもなく惹かれたが、そこにはほんの少しも性的な関心は入っていなかった。
ザンザスをそのような目で見る、という事など全く思いもつかない事だった。
スクアーロにとってザンザスは尊敬し、敬愛する主であり、彼がもしどのような行為をしていたとしても、それはザンザスの主としての資質、スクアーロが心酔した憤怒のカリスマを損なうものではない。
それなのに。
「………ザンザス……」
声に出すと、股間が無性に熱くなった。
寝着の中で性器がむくりと頭を擡げ、解放を欲して下着を濡らしているのが分かった。
自分が敬愛する主、それも男に対して欲情しているなどとは思いたくなかった。
これはあの、信じられないような光景を見た衝撃から、一時的に興奮しているだけだ。
そう思いたかった。
「クソッ……」
乱暴に手を突っ込んで握り込むと、痺れるような快感がスクアーロを襲った。
「く、あ……ッッ…」
脳裏に浮かぶのは、垣間見えたザンザスの姿だった。
男に股間を咥えられて喘ぐザンザス。
黒髪を振り乱し、壁に顔を押しつけて尻を貫かれているザンザス…。
甘く響く、彼の声…。
あんな声を聞いた事は、一度もない……。
「───…ッッッ!」
絶頂は呆気なくやってきて、スクアーロの右手は熱い粘液にまみれた。
「…………」
どうしようもなく、罪悪感にかられて、スクアーロは彼らしくなく狼狽した。









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