久し振りに足を踏み入れる外国は、全てが新鮮で、日本とは雰囲気が一変していた。
山本は普段は飄々として穏やかな黒い眸を輝かせて、空港の周囲を見回した。
空港自体は近代的な建物で、それは日本を飛び立つ際の空港ほど新しくはなかったものの同じような雰囲気だった。
が、随所に見られるイタリア語の表示、看板。
そして広いロビーを歩く雑多な人種。
これほど様々な髪の色があるとは、一度来た事のある国でも、実際目にすると再度の驚きであった。
黒から茶色、金髪に至るまで。
中にはあきらかに人工的に染めている自然界ではあり得ない色まで。
そしてくるくると縮れて短いものから緩やかにウェーブの掛かったもの、柔らかそうなふわりとしたものから、堅く真っ直ぐなものまで。
その中で、一際周囲から目立つ髪の色をした人物が、自分に向かって歩いてきた。
この場にいる雑多な人たちの中の誰も持っていない、透き通るような煌めく銀色の髪。
壁面の硝子窓の外の光を受け、それはロビー内に神々しい銀の光を放っている。
さらりとまるで絹糸を垂らしたような艶めく長い髪。
動くたびに揺れ、美しい残像を描いて宙に舞う。
身のこなしもしなやかで、細身の身体が颯爽と歩き、長い銀髪が左右に揺らめく様を、山本は瞬きも忘れて見入った。
「う゛お゛おぃ、久し振りだなぁ。オレが今回テメェの案内兼お世話役だぜぇ」
いつもの濁声に、はっと我に返って、山本は顔をほころばせた。
「スクアーロが迎えに来てくれるなんてびっくりだぜ。有難うな」
「テメェの事はボンゴレからオレが頼まれてっからな。ほら、行くぞぉ。荷物はそれだけかぁ?」
山本はスポーツバッグを一つ担いできただけだった。
他に手荷物が無いことを確認すると、くるりと踵を返し、銀髪を優雅に揺らして、スクアーロが山本の前を歩き始める。
イタリアに行く事が決まった時は、まさかスクアーロに逢えるとは思っていなかったので、山本は内心驚愕していた。
しかし、スクアーロに逢うとイタリアまではるばる来た事が、しみじみ嬉しく思われた。
山本はいそいそとスクアーロの後からついていった。
今回、山本がイタリアを訪れたのは、綱吉の名代としてだった。
リング戦から3年が経ち、日本にいる綱吉以下守護者達は学生生活を続けていたが、それでも綱吉は頻繁にイタリアを訪問するようになった。
たまに綱吉の代わりに守護者の誰かが、イタリアへ赴くこともある。
今回山本が訪れたのもそれだった。
過去に一度だけ行った事があるものの、それから全く外国と縁のなかった山本が、今回綱吉の代わりとして行ってくれと頼まれたのだった。
名代といっても、たいして用事があるわけでもない。
ボンゴレ本部への顔つなぎ程度、と言った所だろうか。
体調を回復した9代目への挨拶と、綱吉から預かっていた伝言を渡せば用事は済む。
それ以外は、ボンゴレ本部の見学や本部付きの人々との会談、ぐらいなものだった。
山本は名代として訪問するのが初めてだという事もあり、9代目に挨拶をすればそれだけで今回の渡欧の目的は終わりだった。
殆ど観光旅行のような気楽なものである。
山本自身、自分の役目は大した内容のものでもないし、どちらにしろボンゴレ本部に行っても相手にもされないのではないか、と気楽に考えていたので、出迎えにスクアーロが来た事に内心驚きを隠せなかった。
確かに山本にとってスクアーロが一番見知った人物ではあるが、なんといっても彼は暗殺部隊の人間であり、普段表に出て行動するようには見えない。
ほぼ観光旅行のような自分の案内をしてくれる、など、一番彼にそぐわない任務である。
スクアーロは、ヴァリアーの隊服ではなく、ほっそりとした身体を黒いスーツに包んでいた。
落ち着いた色合いの地味なスーツは、かえって彼の美しさを際だたせていた。
ヴァリアーの隊服も漆黒で、あれ以上彼に似合う服はあるまいと思わせられたが、シックなスーツも似合う。
黒豹のようにしなやかな優雅な身のこなしで人混みを擦り抜け、擦り抜けられた人々が思わずスクアーロに目を奪われる光景を目にして、山本はさもあらんと思った。
こんなに美しく、彼の主人以外には誰にも執着しない彼を、一時とはいえ案内役として自分が占有していることに、湧き上がるような悦びを覚えた。
ボンゴレ本部では滞りなく9代目への挨拶が済み、スクアーロに案内されて本部の各所を回り、簡単な説明を受けた。
それで山本の今回の役目は終わりで、あとの帰国までの数日は自由だった。
その日はボンゴレ本部に泊まり、次の日、スクアーロの運転する車で、山本はイタリア観光旅行へと出掛けた。
マフィアが回るとはまるで思えない、一般人の観光名所を次々と回る。
しかも、スクアーロのそつのないスマートな案内のおかげで、山本自身はイタリア語が一言もしゃべれなくても何の支障もなく、主要な観光地はほぼ見尽くした。
そういう優雅な数日が過ぎ、明日は日本へと帰る、という前日。
空港の近くのホテルへ夕方早い時間に車を乗り入れ、山本はホテルの最上階でスクアーロと伊太利亜料理を満喫した。
食前酒から始まって最後のドルチェまで、豪華で頬の落ちるほど美味だった。
こんな歓待を受けた旅行は、後にも先にも初めてだったので、山本はすっかり感激していた。
「ボンゴレってすげぇのな」
その日の宿泊に決めたホテルのツインルームに戻ると、シャワーを浴びて旅の疲れを落とし、ベッドに腰掛けて、山本が感慨深そうに言葉を紡いだ。
実際山本は、このまま帰るのが惜しいほどだった。
こんな優雅で贅沢な旅行をずっとしていられないのは分かっているが、夢のようで、この夢から醒めるのが惜しかった。
それは、目の前にいる、やはりシャワーを浴びて白いバスローブを羽織った、銀色の美しい人物と数日間共に行動した事も、かなり原因になっているだろう。
スクアーロがこんなにスマートにそつなく他人の歓待ができるとは、山本は予想だにしていなかった。
山本の記憶にあるスクアーロは、リング争奪戦の印象だった。
鋭く研ぎ澄まされたような視線、凶悪に歪んだ口。
一閃してくる刀と火薬。
少しでも息を抜けば殺されるという緊迫感。
少しでも触れれば出血し、更に近づけば確実に自分の命がない、という危険な存在だった。
血と殺戮と彼は切り離すことの出来ない、そんな存在だった。
しかし、ここ数日、空港で会ってからの彼は、凶暴な一面など微塵も見せず、なんでもそつなくこなし、怜悧で、更に信じられないことに親切な人物だった。
彼のこんな一面を予想もしていなかったので、山本は実際の所少々面食らっていた。
「スクアーロってさ…」
「…なんだぁ?」
「本当は頭が良くて格好いいんじゃね?」
スクアーロはそれには応えずに、山本が座ったベッドの傍らで、ワイングラスを手に微笑した。
白いバスローブを些か気怠げに着こなし、シャワーを浴び乾かしたばかりの銀髪は何時にも増してさらりと艶やかに、室内照明に照らされて光っており、山本は改めて、この、スクアーロという男の稀有な美しさを目の当たりにして息を飲んだ。
戦闘中の凶暴な美も素晴らしかったが、今、目の前にいるスクアーロは凶暴さが姿を顰めている分、代わりに貴族的な、どこか清楚な美しさがあった。
スクアーロがそんな風にひっそりと微笑するのを初めて目にして、山本はなぜか胸の奥がざわりとした。
下品に大口を開け、下卑た笑いと罵声を浴びせてくる彼ならよく知っているが、このように端正な表情を崩さずに艶冶に微笑んでくる彼は知らない。
違和感を感じ取って、山本は真顔になった。
スクアーロがすっと音を立てずに動いて、山本が腰を下ろしている隣に座ってきた。
「ヤマモト…明日はもう帰っちまうんだろ…?」
「う、うん」
「寂しいじゃねぇか…。ここ数日楽しかったのによぉ…」
「…うん、…」
不意にスクアーロが山本を覗き込んできた。
スクアーロの銀蒼の虹彩が間近に迫り、暖かな息が山本の頬を掠めた。
こんな近くで彼の顔を見たことはなかった。
近づけば近づくほど、スクアーロはこの世の者ならぬほど美しかった。
純白と言っていいぐらい白く滑らかな肌。
銀蒼の眸は魅入られたら目が離せず、虹彩の端が特に銀色の光っている様が宝石のようだった。
瞬きするたびに長い銀色の睫がその眸を覆い、睫が揺れる様子にも息を飲む。
高い鼻梁はほっそりとしており、桃色の唇はワインを飲んでいるせいか濡れており、その濡れた唇が動いて、中から濃い桃色の舌が見え隠れする様に、山本は思わずごくり、と唾を飲み込んだ。
何だろう、この気持ちの高ぶりは。
───変だ。
「ヤマモト……」
スクアーロの、低くどこか甘い声が耳を打つ。
優しく打って、耳から溶かしてくる。
まじまじと見つめていたら、ふっと甘く笑われた。
なぜかどぎまぎして、山本は顔を赤らめた。
スクアーロが微笑を浮かべたまま、顔を近づけてきた。
「………」
唇に、柔らかく甘い感触がした。
日本人特有の焦げ茶の眸を見開いて動けないでいると、スクアーロが上目遣いにとろりとした銀色の視線をかけてきた。
甘く潤んだ視線だった。
スクアーロの右手が山本の、バスローブの合わせを割る。
「……っっ!」
直に股間に触れられて、山本は身体を強張らせた。
信じられない事に、そこは──勃起していた。
スクアーロのしなやかな指に煽られて、どくん、と強く脈打ち、むくりと頭を擡げる。
「ス、クアーロ……」
震えた声で名前を呼ぶと、目の前の相手が妖艶に微笑んだ。
「ヤマモト、心配はいらねぇ……オレに任せろぉ…」
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