◇Lascivia 1   








(………)
ふと目覚めたのは偶然ではなかった。
夢も何も見ずに深く眠っていたはずなのに、不意に覚醒した。
それは自然な目覚めではなかった。
どこか無理矢理な、不自然な目覚めだった。
まだ半分以上眠っている脳が、無理に起こされたせいか、身体の力は抜けきっている。
どうして目覚めたのか…。
重い目蓋を開けて、暗い寝室のカーテンが閉められていない縦長の格子窓から、外の薄い夜の光が部屋内に入り込んでいるのを視界の端に捉える。
暗闇に慣れた眸にはその光がはっきりと見え、それと同時にその光を遮って自分の身体の上で蠢く黒いシルエットも見えた。
そう言えば、身体に不自然な重みも感じる。
そこまで考えて漸く脳が覚醒し始め、ザンザスは自分の身体に覆い被さるようにして誰か侵入者がいる事に気がついた。
そこまで把握すると速やかに脳が働いてザンザスの意識に警戒を呼びかけてきた。
「……だれだ…?」
自分に気配を悟られないでここまで侵入してくるとは、並の人間とは思えなかった。
いつもなら誰かがいる、と認識したと同時に身体が無意識に反応して、相手に対して反撃にかかる……はずだったが、何故か身体が動かなかった。
今まで寝入っていたからだけではない、重く鈍い反応にザンザスは眉を顰めた。
「起きたのか?」
身体の上の人物が声を出した。
その声に聞き覚えがあった。
とほぼ同時に、自分が今どこにいるのか、どうして山本武がいるのか思い出して、ザンザスは身体を僅かに堅くした。
今ザンザスが寝ているのは、住み慣れたヴァリアーの古城ではない。
ボンゴレ本部のある壮大な城の一角。
客用寝室の中でも一番に格上の豪奢な部屋。
ザンザスは、ボンゴレ次期10代目である沢田綱吉の誕生パーティのためにヴァリアーのアジトからここボンゴレ本部へと出向いてきたのだった。
ボンゴレ次期10代目の沢田綱吉はその日の誕生日で成人を迎えた。
普段は日本で過ごしているものの、頻繁にイタリアにやってきてはお披露目も兼ねてボンゴレは勿論のこと、近隣の同盟マフィア等を招いてのパーティが催される。
その度にザンザスも招かれており、9代目の実子ではないものの未だ養子として御曹司の立場を保っている彼にとっては、それは必ず出席しなければならない行事でもあった。
そして、今自分の身体の上で声を発したのは、沢田綱吉に付き添ってイタリアにやってきた、山本武だった。
山本とはその日、誕生日パーティの席上で言葉を交わした。
日本からは山本の他に獄寺、笹川も来ていたが、彼らはザンザスには近寄ろうとしない。
山本だけがにこやかな表情で近づいてきて、ザンザスの副官であるスクアーロの事についていろいろと話題を振ってきたのだった。
話題は主にスクアーロが最近始めた100番勝負についてであった。
スクアーロが山本に期待を掛けているのをザンザスも知っていたから、無碍に話を中断するわけにも行かない。
適当に相づちを打っていた所、山本がもっと話したい、という事で断る理由もないまま、自分の宿泊しているこの部屋まで連れてきたのだった。
いつもならスクアーロ自身が相手をするのだろうが、今回のパーティに限り、ザンザスはスクアーロを伴って来ていなかった。
ザンザスがどこか公的な場所へ赴く際には、必ず護衛としてスクアーロが付き従っている。
が、今回はそのスクアーロ自身に彼しかできない特殊な極秘任務が勃発し、そちらに急遽行く事になってしまった。
もっともザンザスにとってはスクアーロがいようといまいとあまり違いはない。
自分の身ぐらい自分で守れるし、食べ物や生活にいちいち煩く口出してくるスクアーロがいない方がくつろげるかも知れなかった。
山本を部屋に呼び、部屋で二人でウィスキーを飲んで、自分は特に話さないが、山本がとくとくとスクアーロについて話すのを聞くともなしに聞いていて……いつの間にか、自分としては信じられない事に、眠ってしまったらしい。
そこまで思い起こして、ザンザスは自分の迂闊さに舌打ちした。
いかに相手がボンゴレ幹部の山本であろうとも、他人の前で寝てしまうなど、油断もいい所だ。
眠った自分を山本がベッドに運んでくれたのか…。
醜態だ。
…と内心忸怩たる思いだったが、取り敢えず礼を言わなければならないだろうとは思った。
「…起きられねーだろ?」
しかし、言葉を発するよりも前に山本の嬉しげな声音が降ってきて、ザンザスは開きかけた唇を止めた。
「…あんたって結構油断すんのな。……オレだから?」
「……」
先程までの山本とは別人のような口調に戸惑う。
カチ、と山本がベッドサイドのランプを灯した。
ぼおっとした乳白色の灯りが点き、山本の顔を薄暗く照らし出す。
その顔は──パーティ会場で見た、あどけなくにこやかに話しかけてきた顔ではなかった。
人当たりの良い柔和な笑顔は影を潜め、ランプの暗い光が当たる高い鼻梁と影になって暗く見えない頬とが、得体の知れない雰囲気を醸し出していた。
ザンザスは得体の知れない恐怖を感じて眉を寄せた。
今まで少年だと思って、いつの間にか油断していたのかも知れない。
いや、それもあるが……それよりも大きいのは、山本をスクアーロが心底信頼しているという事だった。
スクアーロの信頼する人物であるからこそ、ザンザスは山本を自分の部屋まで招待したのだった。
それが──今目の前にいる山本はまるで別人で、ザンザスは内心困惑した。
「あんたのウィスキーにちょっと細工したんだ。飲むかどうか賭けだったんだけどな。オレの事信じてるんだな、あんた?」
くすっと笑い混じりに言われて、ザンザスは深紅の瞳を眇めた。
「テメェ……」
「身体の力が抜けてるだろ。あんたに殴られたり、炎で焼かれたりするの勘弁だし」
確かに、身体の力が抜けていた。手足が動かせないのはそのせいらしい。
それにしても、こんな事をしてくる山本の意図が分からない。
ポーカーフェイスを保っている山本の顔からは何も読み取れなかった。
身体が石のように重く動かないため、仕方がなく目線だけ動かしてじっと見つめると山本が微笑した。
「なんでオレがこんな事するのかって思ってねぇ?」
肩を竦めて笑いながら、山本が身体を屈めてきた。
額に流れた前髪を梳き上げられてザンザスは眉を寄せた。
今まで自分の持っていた山本のイメージとは明らかに違う。
こんな人物だったか…?
記憶を思い起こしても、ザンザスの脳裏に浮かぶのは、スクアーロにまとわりついて楽しげに話したり剣の稽古をつけてもらう姿ばかりだった。
だいたい、山本はスクアーロを敬愛しているのであって、自分の事は…。
そこまで考えて、ザンザスは唇を歪めた。
もしかしたらスクアーロから、日頃彼が自分から受けている暴力の話などを聞いているのかも知れない。
スクアーロはそれを何とも思っていないだろうし、むしろ自分たち二人の関係には暴力が抜きがたく介在しているのだから、不満でも何でもないはずだ。
しかし、それを聞かされたコイツは……もしかしたら自分を憎らしく思っているかも知れない。
とすると、スクアーロが同行していない今回の宿泊に乗じて、自分を痛めつけるのが目的か?
普段の自分ならそんな事など決してされないだろうが、確かに今の自分は山本に対して油断した。
身体が動かないのは事実だ。
ここで何かされても、甘んじて受けるしかない。
「……殴るのか…?」
問い掛けると、山本がふっと無邪気な笑いを浮かべた。
「まさか。スクアーロがすっげぇ愛してるあんたの事殴ったりしたら、スクアーロに申し訳立たねぇし。何よりオレがスクアーロに殺されちゃうって」
「………」
殴るのでないのなら、一体何が目的なのか。
山本の意図を計りかねて眉根を寄せると、山本が嬉しげに焦げ茶色の瞳を細めた。
「オレさ、スクアーロからいっつもあんたの話聞いてたんだ」
どこか楽しげに山本が話し始める。
「スクアーロってあんたの事ホント好きなのな。もう好きで好きでたまらなくて、あんたのためなら命捧げても惜しくねぇっていうかさ…。実際左手も髪の毛もあんたに捧げたようなもんだろ…?あんたの事なら何でも嬉しいらしくてさ…。あんたがどんな事したか、とか、些細な事までいろいろ聞いた。…あんた知ってるかな?」
突然山本が頭を撫でてきた。
慈しむような手つきで髪を撫でられて、ザンザスは当惑して眉間に皺を寄せた。
「スクアーロって酔うといろいろ教えてくれんだぜ。オレだからって事もあると思うけどな…」
山本がすっと顔を近づけてくる。
間近に焦げ茶色の瞳が迫り、その深い茶色に自分の姿が黒いシルエットとなって映っているのがぼんやりと見える。
近づいてきたかと思うと、次の瞬間、唇に啄むようなキスをされて、ザンザスは一瞬虚を突かれた。
山本が唇が触れるか触れないかの近さで微笑する。
「あんたが夜、どんなに可愛いか、とかさ、どんなに色っぽくてたまらないか、とか。……全部教えてくれるんだ。まー、自慢なのかもしんねぇ。惚気かな…?…でも、そういうの毎回聞かされるオレの身にもなって欲しいとか思うけどな。…あんたの姿、嫌でも想像させられちまってな。…どんなに色っぽいんだろうとか。…どんな声上げるんだろうとか…」
そこまで言って再度口付けられて、ザンザスは深紅の瞳を張り裂けんばかりに見開いた。
「テ、メェ…」
「あ、分かった?」
山本が嬉しげに笑う。
笑いながらザンザスの首筋に手を差し入れ、愛おしむように首筋から鎖骨にかけて撫でてきた。
ぞく、と総毛だって、ザンザスは戦慄した。
「スクアーロの話聞くたびに、あんたに憧れるようになって。…憧れだけじゃなくて、スクアーロみたいにさ、あんたとヤりたくてたまらなくなったんだ。…あんたの事欲しくてどうしようもなくなって。あんたの事見るたびに抱きたくてたまらなかったんだ。今日はすげぇチャンスだと思った。あんた全然気付いてねーのな。そういうトコも可愛いけど。…な、一応オレも雨の守護者だし、……オレのことスクアーロだと思って、抱かれてくんねぇ?」








back      next