◆夕暮れ◆  1








――バタン。
上司であるアレキサンダー・ロイズの部屋の扉を力無く閉めて、虎徹はふぅ、と肺に溜まっていた息を吐いた。
今出てきた上司の部屋では彼に対して威勢良く話してはいたものの、独りになると溜息が出る。
被っていた帽子を取って俯き、虎鉄は肩を竦めて広い廊下を歩いた。
ロイズに言われた言葉の数々が、虎徹の心に突き刺さっていた。
一言で言えば、怒られたのだ。
怒られたのにも訳があった。
今日の出動で、虎徹はまたしても市内の貴重な建造物を壊してしまったのだ。
ヒーローTVの中継中だったので、その様子がシュテルンビルト市内にリアルタイムで知られてしまったのもまずかった。
虎徹は、市民の生命の安全を最優先する上で、必要不可欠なら破壊もやむを得なし、と思っている。
自分のやるべき事は善良な市民を守る事であって、建造物を守る事ではない。
そうでなければヒーローになった意味がないし、ヒーローたるもの、市民の命を守るのが第一義だ。
とは思うものの、やはり物を壊せば賠償金が虎徹の懐を直撃するわけで、それだけでも痛いのに、更に上司の小言付きである。
今日もきつい小言を言われた。
曰く、市民の命を守るどころか、ものを壊して危険にさらしているのが現実、とか。
正義の壊し屋、ではなくて、今や、ヒーローの風上にも置けないただの壊し屋、というあだ名に成り下がっている、とか。
そこまで言われると、さすがの虎徹もへこんだ。
もう少し、上司として庇ってくれてもいいんじゃないか。
自社のヒーローなんだから、身内みたいなものなんじゃないのか…などと心の隅で思わないこともなかった。
けれど、口に出せるはずもない。
当然のことだが、怒られたのは虎徹だけで、相棒であるバーナビ−は全くお咎めなしだった。
コンビを組んでいるとは言え、バーナビーは何も壊していないし、結局今回も虎徹が独りで暴走して建物を破壊してしまったというのが現状だ。
自分としては市民を守るためにやった事なのだ、後悔はしていないが…。
それでも、気落ちはする。
自分だけが落ち零れヒーローのようで、昔、自分をヒーローの道に導いてくれたレジェンドに対して申し訳ない気持ちになる。
あんな風に、尊敬されるヒーローになりたかった。
いや、過去形とか良くない。
今だって、これからだってなりたい。
(だから、いちいち落ち込むな、俺)
レジェンドから、勇気と希望を貰ったじゃないか。
幼い時に、自分を見下ろしていた大きなシルエットを思い浮かべると、虎徹は心が少し安らいだ。
あんな風に、皆を安心させるヒーローになるんだ。
皆が平和に穏やかに暮らせるように、幸せに暮らせるように…。
まだまだ大丈夫、いける。
(レジェンドだって随分と長い間ヒーローしてたもんなっ!)
などと一生懸命自分を鼓舞してみたが――。
今日に限ってどうもうまくいかなかった。
上司の小言が思いの外厳しかったからかもしれない。
他人の言葉など気にしてないようで、実は自分は意外と気にするタイプなのかもしれない。
自分でも気づかなかったけれど。
また溜息が漏れた。
虎徹は手に持っていたハンチング帽を目深に被り直し、尻ポケットに両手を突っ込んでとぼとぼと歩き出した。
今日はもう仕事は終わりだった。
今日の始末書はあとで書くことにして、さっさと家に帰ってしまおう。
うちに帰って酒でも飲んで、早めに寝ちまおう。
そうすれば明日にはまた元気になる。
(いちいち落ち込んでるとか、俺らしくねーもんなぁ…)








「おじさん…?」
アポロンメディア社を出て歩道を歩き始めた所で、虎徹は声を掛けられた。
「……っと、バニーちゃん?」
街路樹に凭れて、バーナビーが立っていた。
夕方で薄暗くなってきた空気の中にふんわり、そこだけ金色の淡い光が浮かんでいた。
金色が揺れる。
思わずふらふらと近寄りそうになって、虎徹は身体を強張らせた。
いつもなら、バーナビーがこうして自分を待っていてくれた事を嬉しく思うはずだった。
でも今日は違った。
会いたくなかった。
ほっといてくれればいいのに、と思った。
微妙に視線を逸らして、それでも逸らしきれなくて眉を寄せたまま、虎徹はバーナビーを横目で見た。
情けない所はもう十分見られているから今更取り繕う必要もなかったが、でも少しは取り繕いたかった。
バーナビーの前で情けない姿を晒すのが、今更ながらに恥ずかしく思えた。
くだらない見栄だとは分かっているけれど、そのぐらい格好付けたい…。
「どこか行くんですか?」
バーナビーが何気ない風に声を掛けてきた。
先程の一件はきっと彼にも知れ渡っているだろうに、素知らぬ風をしているのは彼なりの優しさだろう。
が、それがまた虎徹のプライドを微妙に刺激してくる。
それでも虎徹はバーナビーに合わせてできるだけ何気ない風を装った。
「今日はもう帰りだ。帰りにどっか寄ってのんびりするさ」
そう答えて、何も気にしていない、というように右手を挙げて振ってみせる。
するとバーナビーが碧色の美しい瞳を細めた。
「じゃあ、僕も付き合いますよ」
「え?」
思わず声を上げて、彼を見る。
バーナビーはいつものポーカーフェイスで微笑していた。
完璧な微笑だ。
何を考えているのか窺い知れないような、美しい…、けれど、機嫌は良さそうだった。
「僕がたまにいくバーでいかがですか? 一緒に行きませんか?」
「あ、あぁ」
意外な気がした。
バーナビーの方から誘ってくるなど珍しい。
虎徹の方から食事に誘うことはよくあったが、彼が誘ってくることは、今までに、
(……あったか?)
虎徹は考えた。
なかった気がする。もしかして、初めてか?
(これは……あれか、俺が怒られたのを知ってるから、わざわざか?)
そうとしか考えられない。
(俺に気遣ってるのか? それとも、俺をからかいたいのか…?)
些か卑屈になっているせいか、意地の悪い考えが思い浮かんできそうになったが、虎徹はいやいや、と思い直した。
バーナビーは、表面上つきあいが悪くいけ好かなく生意気そうには見えるが、実際にはそうじゃない。
本当は、繊細で優しくて、とてもナイーブな人間だ。
だから、今日の誘いは、彼なりに自分に気を遣ってくれてるんだろう。
気遣われているという事にも少しプライドが疼いたが、それより、誘ってきてくれた、という事に対しての嬉しさの方が勝った。
バーナビーに誘われるままに、虎徹は彼のいきつけらしいバーへと向かった。








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