「……う、っ……」
アポロンメディア社ヒーロー事業部のデスクで先程から不得意な報告書作成に頭を悩ませていた虎徹の耳に、隣のデスクから苦しげな声が聞こえてきた。
顔を隣に向けると、虎徹の相棒であるバーナビーがデスクに突っ伏してうなされていた。
時刻は昼過ぎ。
今日は出動要請もなく、午前中ジャスティスタワー内でトレーニングに勤しみ、昼食を食べた後、会社に戻ってきて苦手な書類仕事に着手したばかりだった。
バーナビーが居眠りをしているとは珍しい。
虎徹は、バーナビーとは知り合ってまだ間もない。
だから彼のことをよく知っている訳ではなかったが、そんな風に仕事中に居眠りをするような人間で無い事は最初から分かっていた。
自分ならありそうだが、彼は違う。
そう言えばここのところバーナビーは顔色が悪かった。
トレーニングの時も調子が悪そうだった。
いつもなら楽々とこなしてしまうメニューも、辛そうに休み休みこなしていたのを思い出す。
「……う、……っ…」
苦しげにバーナビーが身動ぎする。
「おい、大丈夫か?」
虎徹は思わず立ち上がってバーナビーの肩に手を掛けていた。
そのまま揺さ振る。
びく、とバーナビーの肩が震えて動きが止まり、覚醒したのか彼が顔を上げた。
青ざめた顔だ。頬に血の気が無い。
状況が掴めないらしく、瞳を左右に忙しなく彷徨わせてから漸く理解できたのか、ゆっくりと息を吐いて身体を起こす。
「なんかうなされてたぞ?大丈夫か?体調悪いんじゃねぇの?」
そう問い掛けるとバーナビーの眉が顰められ、まずい行動をしてしまった、というように瞼が伏せられた。
「いえ、大丈夫です。すいませんでした」
「おまえ寝不足なんじゃねぇの?よく眠れてねぇのか?」
「いえ…気を遣わなくてけっこうですから」
心配になって問い掛けてもバーナビーはそっけないだけで、とりつく島もない。
それはいつもの彼だった。
小さく息を吐いて虎徹は自分のデスクに戻った。
「ちょっと顔を洗ってきます」
しかし、バーナビーがそう言って立ち上がる時もふらついたのは見逃さなかった。
くるくるとした金色の巻き毛が揺れる後ろ姿を、虎徹は難しい表情をして眺めた。








◆この世に貴方が◆ 1









「あ、あっく…う…く、そッ…」
夜中、苦しげな叫び声に、うとうとと微睡んでいた虎徹は唐突に目を覚ました。
家具の極限に少ない広い部屋は、カーテンの引いていない窓からシュテルンビルトの夜の光が冴え冴えと差し込んでいる。
「おい、おい!」
(やっぱりだ)
立ち上がってベッドに近寄る。
そこで身体を丸めて苦悶しているバーナビーを認めて、虎徹はそう思った。
昼間、バーナビーの常ならぬ様子に不安を覚えた虎徹は、その日押しかけるようにして彼の家に泊まっていた。
バーナビーは迷惑そうな顔をしていたが、虎徹としてはどうしても彼を一人きりにしておけなかった。
帰宅途中、軽く夕食を済ませ(ここは虎徹が奢った)、それからバーナビーのマンションに来た。
どこでも眠れるから気遣い無用だぞと断って、虎徹はバーナビーの寝室のベッドの隣に、直に床に毛布を敷いて寝ていた。
「おい、バニー!」
何度も揺さ振るが、昼間と違ってなかなかバーナビーは正気に戻らなかった。
「あっ、あぁっ!いやだっ!…いやだっ!」
悪夢を見ているのだろうか。
眼鏡のないバーナビーの目は、開いているものの焦点がどこか宙を彷徨っていて実在しない何かを見ているようだった。
「おいっ!」
そのうちにどうやら声を掛けている虎徹を敵か何かだと思ったのだろう。
めちゃくちゃに腕を振り回し始めたので、慌てて上から押さえ込む。
そうして『バニー、起きろ!大丈夫だ』と何度も何度も声を掛ける。
「ぁ、……お、じさん…?」
どうやら覚醒したようだ。振り回していた腕が止まる。
しかし、まだ様子がおかしい。
「あ、あっあっ…あ…っ」
目を覚ました、と思ったのにそうではなかった。
バーナビーが切羽詰まった声を上げて激しく首を振りながら再度身体を動かし始めた。
「どうしたっ!」
「うっ……あ、…あっっ!」
虎徹がいるのは分かっているようだが、感情が抑えきれないのか、身体が細かく震え出す。
原因は分からないが、とにかくバーナビ−の様子が普通ではないことは確かだった。
「あっ、…っ…いやだっ……!」
「どうしたバニー!何もいねぇよ、俺だけだって!」
見えない何かに向かって必死に立ち向かおうとしているようだった。
身体がほんのり発光してきた。
(やばい!)
能力を発動しそうになっている彼に、虎徹は慌てた。
どうしたらいい。
こんな所で我を忘れて力を発動させたらとんでもない事になる。
「バニー!…バーナビー!!」
大声で名前を呼びながら何度も揺さ振る。
バーナビーの身体は恐怖からかびくびくと震え、冷たい汗を全身にかいていた。
宥めるように背中から腰を撫で、抱き締める。
すると、自分の腰に堅い感触が当たって、虎徹は眉を寄せた。
生命を脅かされるような、極限的な状況が起きると、生理的に勃起することがある。
どうやらそれのようだった。
其処が腰に当たって軽く擦れる。
ふ、と一瞬、バーナビーの力が抜けた。
股間からの刺激が彼の恐慌を紛らわせたらしい。
そう分かった瞬間、虎徹は考えるよりも先にバーナビーの股間に手を伸ばしていた。
「あっ…!」
寝着の上からぎゅっと掴む。
明らかにバーナビーの緊張が緩む。
「バニー、落ち着けよ」
できるだけ安心を与えるように低い声でゆっくりと言いながら、虎徹は右手でバーナビーの其れを掴んで圧を加えた。
「あっ……う……は、ァ…ッ」
バーナビーが緩く頭を振る。
強張っていた全身が其処を扱くにつれて緩まってきて、青ざめて血の気の無かった頬に微かに赤みが差す。
とにかく彼のその恐慌を収める、それだけが虎徹の頭にあった。
性器への刺激が効果的だと分かれば、躊躇はなかった。
手を下着の中に差し入れて、直接性器を握り締める。
掌に堅く張り詰めた肉塊の感触がして、其れがびくびくと脈打つのを感じる。
親指と他の四指で輪を作って握りしめ、根元から先端に向かってやや乱暴に扱く。
「あっ…あ、あぁ…ッ」
バーナビーが苦しげに首を振りながらも両手を虎徹の首に回してきた。
しがみつきながら荒い息を吐く。
冷えて震えていた身体がだんだん熱を持ってくるのが分かる。
バーナビーの首筋に顔を埋めると、汗の臭いと共に、彼の体臭が立ち上ってきた。
甘く、それでいて爽やかな匂いだ。
まだ震えている身体を、背中に左手を回してぐっと引き寄せる。
そのまま暫く声を出さずに右手を動かしていると、ややあってバーナビーが息を詰めた。
一瞬、背中が反り返って筋肉が強張り、それからしがみつく力が強くなる。
右手に熱い迸りを感じて虎徹も息を詰めた。
精を数度吐き出すと、虎徹の首にしがみついていたバーナビーの腕がだらりと力無く垂れ下がる。
「…バニー…?」
そっとベッドの上に身体を横たえる。
顔を覗き込むと、視線はやはり宙を彷徨っていたが、状態は収まったようだった。
意識も朦朧としているらしく、瞼が重たげに垂れそうになるのを上から掌で塞いでやる。
「…おやすみ」
囁くとその言葉は分かったのか、バーナビーがそのまま目を閉じた。
暫く見ていると、やがてその呼吸が規則正しい寝息になって、虎徹ははぁ、と息を吐いて肩の力を抜いた。
(やれやれ、なんだったんだ…?)
右手はバーナビーが放った白濁で濡れているし、精液の生々しい匂いもする。
彼が穿いていた下着も汚れてしまった。
(どうすっか…)
考えて取り敢えず彼が下半身に纏っていた衣服を脱がせる。
新しい下着は、と部屋を見回してクローゼットを開けるが分からない。
先程シャワーを浴びた時に見た清潔なタオルを持ってくると、それをバーナビーの腰に巻いてやる。
「ま、これでいいか…」
ふんわりとブランケットを掛けて部屋の換気をし、それから虎徹はベッドの縁に座ってバーナビ−の寝顔を見つめた。
(なんだろうなぁ…)
今は彼は穏やかに眠っていた。
今までずっとあんな風に、夜、一人で苦しんでいたのだろうか。
それで眠れていなかったのだろうか。
今の彼は深く深く眠っていて、大きな音がしても起きそうになかった。
息をしているのかしていないのか分からないほどの深い眠りに、虎徹は不安になって顔を近づけてみた。
唇に頬を近づけると、暖かな息が規則正しく頬に掛かってきて呼吸をしているのが分かり、ほっとする。
外からのビルの光だけが部屋に差し込む暗がりの中で、バーナビーの寝顔を見る。
やや落ちくぼんだ目元。
疲労の影の見える表情。
深い眠り。
固く閉じられた瞼。
金色の長い睫が時折少し震える。
唇も少し震えて、ほんの少し開いた間から並びの良い白い歯が垣間見える。
改めて見ると、つくづく美しい青年だ。
唐突にそう思って虎徹は内心狼狽した。
なんだか急に落ち着かなくなる。
そんな気持ちを誤魔化すように、右掌を目の前に翳してみる。
鼻の頭に掌を寄せて匂いを嗅ぐと、僅かにバーナビーの吐き出したものの匂いがした。
眉を寄せて肩を竦めると、虎徹は先程まで自分が寝ていた床の上の毛布に身体を丸めて入り直した。







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