◆この世に貴方が◆ 2









次の朝虎徹が起きた時には、バーナビーは昨日の彼ではなく普段の彼に戻っていて、既に身支度を整えていた。
「昨日はご迷惑をおかけしました」
「いや…別に…」
朝食も彼が用意していてくれていた。
起き抜けに頭をがしがしと掻き、虎徹はだらしない恰好のままトーストをかじった。
「…あー、バニーちゃん」
「……はい?」
昨日のことを覚えているのかいないのか、気になって表情を窺う。
しかし、考えてみたら、寝る時に穿いていたはずの下着が脱がされていて、かわりにタオルが巻き付けてあったんだから、どう考えても分かっているはず。
そう思って虎徹は思い切って聞いてみた。
「なぁ、バニー、昨日の夜だけどさ、…いつもあんな風になってんじゃねぇの?」
バーナビーの、トーストをかじっていた口が止まる。
自分と視線を合わせてこない彼に、虎徹は溜息を吐いた。
「やっぱりそうなんだな…。だから体調が悪かったんだろ?」
「……すいません」
「いや俺に謝らなくていいって。でも昨日はよく眠れたろ?」
虎徹の問いに、バーナビーがぱちばちと瞬きをした。
目元が染まって、彼が羞恥を感じているらしい事が分かる。
やっぱり覚えていたらしい。
「すいません……昨日は。もうあんな迷惑掛けませんから」
「いや別に迷惑とか思ってねぇし。つうかバニー、俺、今日から毎日おまえんとこ泊まるから」
「え……?」
虚を突かれたのか、バーナビーが目を丸くして虎徹を見つめてきた。
「お前がちゃんと眠れるようになるまで、嫌だっていっても駄目だぜ?あんな状態で出動してお前が怪我でもしたら、俺だってただじゃすまねぇしな」
ここの所は引けないので、有無を言わさない強い調子で言ってみる。
バーナビーが困惑したように目を左右に揺らし、それから俯いた。
「すいません…」
「だから、いいって、謝らなくても。とにかく、昨日よく眠れたろ…?」
「はい…」
「だったら、俺がいれば大丈夫って事じゃねぇのか?」
「そうですね…」
バーナビーが首を傾けて考え込む。
「よし、じゃあ取り敢えず当分俺泊まるわ」
あまり深刻に事を考えると危険な気がして、虎徹はつとめて明るく言いながらトーストにかぶりついた。










その日のうちにある程度の必要最低限の衣類などを自室から運んできてしまうと、虎徹はバーナビーのマンションに泊まり込んだ。
よく眠れるからか、バーナビーが昼間会社で居眠りをするような事は無くなったが、やはり夜は駄目だった。
何がバーナビーをそんな風に苦しめているのかもだんだんと分かっては来たが、原因が分かったからと言って、それで治るわけでもない。
夜中にうなされて恐慌状態になっては、虎徹がバーナビーを宥める事が続いた。
つまり、夜中に彼を抱き締め、手淫してやる事が習慣になってきたのだ。
バーナビーがそれをどう思っているのかは分からなかった。
その事について、今更言葉にするのがためらわれた。
バーナビーも意図的にその話題を避けているようだった。
しかし、行為自体は嫌がるわけでもなく、むしろ積極的に求めるようになってきた。
そのうち、夜中にうなされた時ではなくて、寝る前に抱き合って、虎徹がバーナビーを慰めるようになった。
きっかけは、寝る時にバーナビーが黙ったまま虎徹に抱きついてきた事だった。
その頃には、虎徹は床の上に毛布を敷いて寝るのではなく、バーナビーの大きなベッドに一緒に寝るようになっていた。
これも二人の間で暗黙の了解となっていた。
その日もバーナビーがベッドに入り、そのあとシャワーを浴びた虎徹がバーナビーの隣に潜り込むと、前の日までは大人しく横を向いて目を閉じていた彼が、その日は虎徹の方に身体を向けて、両手で虎徹の首に手を回してきたのだ。
「…バニーちゃん?」
声を掛けてはみるが、勿論答えはない。
黙ったまま目を伏せて、バーナビーが股間を擦り付けてくる。
その仕草で要求されている事が分かって、虎徹も黙った。
何も話さない方がいいと思った。
黙ったままバーナビーの下半身に手を伸ばす。
下着の中に手を入れてそっと掬い上げるように其処を握り込むと、バーナビーが微かに震え静かに瞼を閉じて虎徹の首に両手を回してきた。
間近でバーナビーの瞼を閉じた顔を見つめながら、虎徹は右手を動かした。
形に添って指を絡め、輪を作って握り込んでは爪で傷つけない程度に浮き出た血管を弾くようにして愛撫する。
バーナビーの白い頬に赤みが差し、花のように可憐な桃色をした唇が僅かに開き、吐息混じりの小さな喘ぎが漏れる。
金色の長い睫がさざめくように動いて、愛撫の手の動きに従って顔を左右に振る様が可愛らしく、胸の中に何か切なく甘いものが溢れ出してきて虎徹は唇を噛んだ。
「ぅ……ぁ、あァ…ッ」
手の中の彼自身が嵩を増す。
下着をずり下げて外気に触れさせると、そこはふるりと丸い果実のような頭を脈打たせて頭頂部より透明な雫をこぼした。
バーナビーの全身が強張り、太腿にも力が入るのが分かり、虎徹は右手の動きを激しくした。
絶頂に向けて促すように握っては指先で直接尿道口を擦る。
「ぁあッ…!」
と小さく呻いて、バーナビーが射精した。
迸ろうとする白濁を指で押しとどめ素早くティッシュを被せる。
はあはぁと全身を波打たせ、ベッドに脱力して仰向けに横たわる彼は、まるで天使が午睡をしているかのように無垢で美しく、虎徹は自分たちのしている事が無垢とは正反対の事であるにも関わらず、その姿にどきっとした。
バーナビーがゆっくりと瞼を開けた。
睫が間接照明を弾いて柔らかく光り、中から潤んだ翠玉の瞳が覗く。
虎徹を見上げて、ほんの僅か微笑んでくる。
そのままバーナビーは吸い込まれるように眠った。
安らかな眠りであろう事は、彼のたてる小さな規則正しい寝息で分かった。
下着を元に戻してやり、ふんわりとブランケットをかけて虎徹は彼の隣に横たわると枕に肘を突き、じっとバーナビーを見つめた。
落ちくぼんでくまのできていた目元はすっかり白く健康そうになっている。
……そんな事が何日も続いた。
その日も、虎徹は眠ったバーナビーを見つめていた。
彼が眠った後もじっと見つめるのが習慣になっていた。
ふっくらとして白い肌は水を弾くように艶やかで、くるりとした癖っ毛が額にかかって、それもまたやはり天使を思わせた。
虎徹は深い溜息を吐いた。
―――苦しい。
息を吐いてバーナビーを眺め、手を伸ばしてそっと彼の髪を撫で、それから頬を撫でてまた溜息を吐く。
バーナビ−が元気を取りもどす代わりに、虎徹は元気がなくなっていた。
元気がない、という表現は適切ではなかった。
虎徹は辛かった。
こうして毎日彼と一緒に眠って彼に触れているうちに、もっと触れたくなってしまったのだ。
触れたい。抱き締めたい。
キスをしたい。
口付けをして全身に口づけしてそれから…
―――抱きたい。
彼の身体を中途半端に触るだけでは、とうてい我慢ができなくなっていた。
大人ぶって彼の前では聞き分けの言い先輩を演じてはいたが、虎徹とてただの男だ。
それも一人暮らしで、そういう性関係にはここのところ無縁な生活を送っている。
勿論、自分のその彼に対する欲望は、行動に移してはいけない事は重々分かっている。
しかし、そうは言っても理性と本能が虎徹の頭の中でせめぎあって、だんだん理性が負けてきている事も分かっていた。
バーナビーが欲しい。
彼とセックスがしたい。
素肌同士を触れ合わせ、彼の中に入って熱を共有したい。
感じたい。
そう思うだけで震えるほどの性衝動が起こって、虎徹は戦慄した。
そんな事は絶対にできない。
バーナビーは自分の大切な相棒で、パートナーで、心に傷を抱えていてそれが漸く癒えてきた所なのだ。
自分の役割はそこまでだし、それ以上彼に踏み込んではいけない。
自分の分を弁えなければいけない。
彼を傷つけてはいけない。
もし、衝動に負けて彼を襲ってしまったら、彼の自分に対する信頼は崩れ、彼はひどく傷つき折角良くなっていた状態が元の木阿弥、いや、もっと酷くなるかも知れない。
バーナビが大切だからこそ、絶対にそんな事をしてはいけなかった。
繊細な彼の心を壊してしまうような事は。
身のうちから湧き起こって全身が震えるような衝動を、奥歯を食いしばって耐える。
駄目だ。
駄目だ駄目だ。
考えてはいけない――。











その日もいつもと同じく、虎徹はバーナビーと二人で会社からバーナビーのマンションに帰ってきた。
帰りがけに夕食は済ませていたからシャワーを浴びてベッドに入る。
寝る前のいつもの儀式のように、バーナビーが濡れた目をして虎徹に身体を擦り寄せてきた。
一言も言葉を発しないままに彼を慰める。
「ん……ぁあ…」
時折上がる慎ましやかな艶めいた声。
それさえも耳に入るだけで虎徹は、頭の血管が破裂するかのような性衝動を覚えた。
バーナビーが絶頂を迎えて、忘我の表情でベッドに沈む。
薔薇色の頬には激しく顔を振ったせいでか金糸の髪が乱れかかり、赤く濡れた唇は半開きになって忙しく息を継いでおり、並びの良い歯の間から桃色の舌が見え隠れする。
突然頭の中で何かがぶち切れるような音がして、虎徹は無意識のうちにバーナビーにのし掛かっていた。
「……あ……ッ!」
射精の余韻にうっとりと浸っていたバーナビーがはっとするのに構わず、のし掛かって首筋に顔を埋める。
上気して桃色に火照った耳の後ろに鼻を突っ込むと、ほのかに甘い彼の体臭と、香水だろうか、いかにも彼らしい上品な匂いとが混ざり合って、虎徹の鼻孔を刺激してきた。
全身の毛が総毛立つ。
「…っ、…あっ!」
バーナビーの両足の間に身体を割り込ませ、体重を掛けて彼の足を無理矢理に広げさせると、虎徹は彼が吐き出した白濁で濡れていた右手で奥まった部分を探った。
自分でももう止めようのない衝動だった。
頭の中は訳の分からない激情だけが渦巻いている。
射精して張りを失った陰嚢の下に手を突っ込むと、きゅっと窄まった襞に指先が当たった。
ぞくっと身震いがした。
固く閉じられている其処に濡れた指を突っ込む。
びくん、とバーナビーが身体を反り返らせるのを押さえつけ、無理矢理指を埋め込んで中を掻き回す。
ほんの数秒だろうか、もうそれさえも我慢できず、ぐちゅぐちゅと乱暴に其処をほぐすと、虎徹は自分の猛りきった凶器をバーナビーの蕾に押し当てた。
「――や、あぁッッ!」
バーナビーの全身が震える。
密やかな入り口が外からの侵入を拒んで窄まっているのを、ぐいぐいと力に任せて押し込む。
押し込みながらバーナビーの萎えたペニスをぐっと握り込む。
一瞬括約筋が緩み、その隙に虎徹は一気にペニスを挿入した。
信じられないように熱くうねる内壁が、ペニスに絶妙な圧を加えてくる。
押し入れて貫いて、漸くそこで虎徹は息をした。
大きく息を吐いて、汗で霞んだ目をぬぐう。
と、自分の身体の下のバーナビーが目に入った。
先程まで上気して赤く染まり健康そうだった頬は、すっかり蒼白になっていた。
瞼を固く閉じて秀麗な眉を顰めている。
よほど痛みを感じているのだろうか。
全身が細かく震えている。
しかしバーナビーは、一切抵抗はしなかった。
虎徹に無理矢理広げられた足も閉じようとはせず、必死で彼を受け入れようと大きく開いたままだ。
ぶるぶると震える白い肢体。
乱れた金髪。
閉じた睫に零れ落ちる透明な涙。
血の気を喪って引き結ばれた唇。
「…………!」
(なんてことをしてしまったんだ!)
突如状況を把握して、虎徹は恐懼した。
目を下に向けると、すっかり萎えたバーナビーのペニスが弱々しく項垂れている。
その下、繋がっている部分は、と見ると、あくまでも色の白いバーナビーの其処に自分の色の黒い性器がほぼ埋まっているのが目に入って、虎徹はぎょっとした。
まだそこからの絶大な快感が虎徹の脳髄を侵してはいたが、しかし、それよりもバーナビーの痛々しい姿の衝撃の方が大きかった。
「……っ、悪、い…っ」
ペニスは絶頂を求めて激しく射精したいと訴えてきていたが、ぐっと堪えて引き抜く。
バーナビーがはっとしたように目を開いてきた。
蒼白の頬に、深い緑の瞳。
潤んで揺れるその目が、虎徹を居る。
「……悪かった。すまねぇ…」
どんな言葉も上滑りしているようだった。
違う、もっと違う事が言いたい。
でもなんなのだろう。
バーナビーの血の気のない唇が動いた。
「…おじさん…」
切なげな響きに胸がずくん、と痛んだ。
もう、これ以上彼を見ていることができなかった。
ここに居て、バーナビーが寝付くまで見守っていてやらなければいけないのに。
駄目だ。
できない。
自分が制御できなくて何をするか分からない。
怖かった。
「ごめんなっ。…今日は帰るわ」
それ以上の言葉は言えなかった。
彼を労る言葉も、謝罪の言葉も何も。
呆気にとられるバーナビーをベッドに残したまま、虎徹はその日逃げるように自分の家に帰ってしまったのだった。







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