◆この世に貴方が◆ 3
次の日、重苦しい後悔に苛まれて、うとうとしただけで殆ど眠れなかった虎徹は、それでも重い身体を振り絞って出社した。
いつものようにアポロンメディア社のビルに入り、エレベータを上がってヒーロー事業部へ歩を進める。
「おはようございます」
オフィスに入ると既にバーナビーは出勤していて、虎徹を見るなり挨拶をしてきた。
「お……はよう…」
駄目だ、彼のことを見られない。
バーナビーが不安そうに自分を見つめてくるのが分かる。
昨日は大丈夫だったんだろうか、……いや、あんな酷い事をしておいて今更。
ちらちらと眺めてくる彼の視線が、身体に突き刺さるようだった。
逃げるようにトレーニングセンターへ行って、午前中は身体を酷使することで懊悩を忘れようと虎徹はひたすらトレーニングに励んだ。
アントニオやネイサンにどうしたんだ、と珍しがられたが、とにかくやらずにはいられない。
アポロンメディア社に戻りたくなくてそのままぶらぶらとトレーニングセンターの近くで過ごし、夕方近くになって戻ると、バーナビーがまだいた。
やはりじっと自分を見つめてくる。
その視線に耐えられずちらっと彼を見ると、何か言いたげな瞳が視線をぴたりと合わせてきた。
いつまで逃げても居られない。
自分も言わなくてはならない事がある。
虎徹は覚悟を決めた。
「…ちょっといいか?」
「…はい」
自分から声を掛けると、バーナビーが頷いた。
オフィスを出て、同じフロアにいくつかある打ち合わせ室の一つに入る。
誰も入ってこないように鍵を掛けると、その動作を見てバーナビーが秀麗な眉を寄せた。
置かれていたシンプルなソファにどっかりと座り込むと、虎徹はバーナビーを見上げた。
「昨日は悪かった」
「いえ…」
「なぁ、バニー、もう、やめようぜ」
「…え?」
バーナビーが一瞬、表情を固まらせた。
「お前の不眠ももう大丈夫だろ?あとは俺の出番はねえよ。あとは専門の医者に行け。俺じゃあ治せねぇよ。俺には無理だ」
「どうしてですか?もう、僕の家には来てくれないんですか?」
彼の声の調子はあまり変わってはいなかった。
いつもの冷静な低くて落ち着いた彼の声だ。
でもその冷静な様子がかえって不安だった。
「どうしてって……分かるだろ?昨日お前にあんな事しちまったじゃねぇか」
「して、いいです」
「何言ってんだ」
何故か瞬時に怒りが湧いてきて、虎徹はバーナビーを睨みつけた。
「そりゃ、お礼って事か?お前の事治してやったから、お礼で身体をあげますって事かよ。んなのいらねぇよ、バカにするな」
「違いますよ!」
バーナビーが突然大きな声を出したので、虎徹はびくっとした。
かつかつとバーナビーが近付いてきて虎徹の肩に両手をかけ、そのまま虎徹をソファの上に押し倒してきた。
驚愕したままバーナビーを見上げると、眼鏡越しに彼の視線とかち合う。
怒りなのか憤りなのか、碧の瞳が燃え上がるようで、虎徹はこんな状況にもかかわらず、バーナビーの美しさに見とれた。
「違いますよ。僕がしたいんです。あなたと」
そう言ってバーナビーは一瞬言葉を切り、それからひた、と虎徹を見据えて言ってきた。
「僕はあなたが好きなんです」
「え……?」
バーナビーの顔が近付いてきて、殆ど間近で互いの息がわかり合うほどになる。
「あなたが好きです。おじさん。でも、あなたは僕の事なんか何とも思ってないだろうって思ってました。親切心でああいう事をしてくれるって分かってたから。あれだけでも嬉しかったから、それで満足しようと思っていました。でも昨日の事で…」
碧が揺れる。
まるで晴れた翠玉色の海に太陽の光がきらきらと射し込んで波が煌めくようで、虎徹は息をするのも忘れて見入った。
「昨日、もしかしてあなたも僕の事少しは好きでいてくれるのかなって思ったんです。……好きです…。あなたが行けと言うのなら医者にも行きます。なんでもします。でも僕の家に来るのはやめないでください。お願いです」
バーナビーの発する言葉の一つ一つが、虎徹の耳から脳の中へとしみこんでくる。
まさか。
でも、本当に?
唇に、ふわり、と柔らかく羽根の触れるような感触がした。
バーナビーの唇がほんの少し触れてすぐに離れる。
「僕の事、好きですか…?いえ、好きじゃなくてもいいんです。僕があなたとしたいんです。だから、僕を抱いてください…」
そう言って再び唇を寄せてくる。
こちらを窺うような、すこしおずおずとしたそのキスに、虎徹の感情は突如堰を切ったように溢れ出した。
今目の前にいる青年が愛おしくて愛おしくて、どうしたらいいのか分からない程になる。
両手を伸ばして彼を強く抱き締めると、身体を反転させてバーナビーをソファの上に押さえ込み、虎徹は感情の迸るままに深く彼に口づけた。
「ん……っっ…ん…」
唇を強く押し合てて歯列をこじ開け、舌を滑り込ませる。
バーナビーの舌を捕らえると彼が応えて絡みついてきて、敏感な味蕾の擦れ合う感触に背筋が総毛立つ。
無我夢中で貪り合って、唇を離す。
「バカだな、バニー。俺がお前の事好きって、もう分かってんだろ?」
バーナビーの謙虚すぎる言い方に何故か腹が立って、意趣返しのように彼の耳に囓りつきながら耳穴に吹き込むと、バーナビーがびくっと震え、それから耳元まで赤くした。
「お前が好きだよ、バニー」
もう一度言ってやる。
「すげぇ好きだ。欲しくてたまらねー」
たたみかけるようにそう言うと、バーナビーの身体が瞬時に火照ったのが分かった。
「僕も……僕も、好きです。…あなたが欲しい…」
艶のある濡れた声で言われて、自分も全身が火照る。
すぐにでもそこで彼を抱いてしまいたかったが、ここは会社だ。
必死の思いで身体を離し
「ここじゃあいくらなんでもまずいよな。よしバニー、一緒に帰ろうな?」
と言って、肩を竦めて笑ってみせる。
「はい」
おどけた虎徹の物言いに、バーナビーがほっとしたように笑顔を見せた。
そのまま二人でまるで会社から逃げ出すように帰宅して、バーナビーのマンションに入ると、もう、押さえが聞かなかった。
ドアの中に滑り込んだ瞬間に虎徹はバーナビーを抱きすくめた。
「あっ…」
バーナビーももう、興奮して濡れた声を隠そうともしない。
エントランスの所でバーナビーを壁に押しつけて深い口付けを重ねる。
心臓がどくどくと鼓動を打って、それが全身に伝播して全身が熱くなる。
「バニー…っ」
バーナビーの唇を貪っては唾液を吸い上げる。
虎徹の激しいキスにバーナビーの身体から力が抜けたのに気付いて抱き上げると、虎徹はバーナビーをベッドに運んだ。
「っ、おじさんっ」
抱き上げられてバーナビが慌てながらくすくすと笑い、虎徹の首に両手を回してしがみついてくる。
「俺だってお姫様抱っこしたかったんだからな?」
「はいはい…」
嬉しいのか、頬を染めて返事をしてくる彼が可愛くてたまらない。
ベッドに降ろして服を脱ぐのもどかしく、二人は再び唇を重ねた。
一度軽く合わせ、それからもう一度口付けをしたいのを堪えて、上からのしかかるようにして身体を重ね、バーナビーの白い頬にそっと手を這わせる。
バーナビ−が下から虎徹を見上げてくる。
少し恥ずかしいのか、伏し目がちになると、長い金色の睫がけぶるように碧の瞳にかぶさり、
「バニー」
と名前を呼ぶとその睫がゆっくりと上がって、その下から美しく澄んだ碧の瞳が現れる。
間近に見れば見るほど美しく、どんな価値のある宝石も叶わないと虎徹は思った。
誘われるようにして顔を近づけ、間近に見つめ合う。
碧の話に縁取られた黒い瞳の中心が少し広がって、その中に自分のシルエットが映っている。
ゆっくりと唇を重ねると確かめるように舌で唇をなぞり、それから深く舌を差し入れた。
バーナビーが瞼を閉じて、口付けに応えてくる。
腕が後頭部に回って、裸の胸同士が触れ合うと、暖かく火照ったバーナビーの体温が直に伝わってきた。
もっと、彼に触れたい。
綺麗な金色の髪を撫で、額に口付けし、頬を擦り寄せ、首筋に顔を埋め、それから胸に口付けしたい。
久しく感じていなかった激しい衝動に、我ながら愕然となる。
こんなにもこの身体の下の青年が愛おしい。
不思議なものだ。
ついこの間まで、彼の存在を知らなかったというのに。
今ではそんな頃の自分が信じられない気がする。
こうしてバーナビーと一緒にいる事自体が、虎徹にとってはもはや自然な事であり、彼のいない生活など、既に考えられなくなっていた。
唇を離すと、身体を下にずらし、顎から首、首筋から鎖骨へとキスの雨を降らせる。
「ぁ…っ…」
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