◆ありがとう◆ 2









結局その時は、あれから有耶無耶のまま二人で気まずい雰囲気の中コーヒーを飲んだ。
その後はそんな出来事など忘れたように、バーナビーはパソコンに向かって仕事に打ち込み、虎徹はいい加減に事務仕事をして帰ってきてしまった。
ベッドに入ってもなかなか眠れず、まんじりともしないで虎徹は考えた。
この間からずっと、二人きりになるとどうしてもあの時の雰囲気になる。
自分だけかと思いきや、そうではなくて、どうやらバーナビーも同じらしい。
あの時二人で感じた気持ちというのは同じものであって、しかも嘘偽りのないあの時の真摯な感情である、という事は確信できた。
―――つまり…。
(俺はバニーの事が好きなんだろうな…)
そういう結論にしか至ることができない。
そして、おそらくバーナビーも、と虎徹は考えた。
バーナビーも自分の事が好きなんだろう。
勘違いなどではなく、それも確信を持って言う事ができる。
お互いにもっと触れたい、近付きたい、と思っている。
同僚であるからとか男同士であるからとかは全く関係なく、それが所謂恋愛感情である、という事は虎徹も既に気付いていた。
バーナビーを見ると、胸がどきどきし、触れたくなる。
触れれば心が弾み、幸せを感じる。
触れて熱を感じ、共有して繋がりたい…。
久しく感じた事のない思いだ。
本当ならばそういう相手ができて、しかも相手も自分の事をそういう風に思ってきてくれている、相思相愛である、となれば喜ばしく嬉しい事であったが、しかし虎徹は溜息を吐いた。
この場合、相手が男である、というのはあまり問題にならない。
それよりも問題なのは、バーナビーが若く将来性があり、前途有望な青年である、という事だった。
おそらく自分のような人間とこういう風に恋愛的な関わりを持たなくて過ごせば、バーナビーはこのままヒーローとして順調に活躍を続け、外見の美しさもさることながら、それよりも内面の優秀さにおいて頭角を現し、おそらくは彼に似合う素晴らしい女性を伴侶として幸福な人生を過ごすことができる人間である。
かたや自分は、彼よりも一回り以上年上で、言ってみればうらぶれた中年男だ。
仕事も自分としては頑張ってはいるが客観的に見れば評価ははかばかしくなく、養っていかなければならない一人娘がいる。
自分がバーナビーを好きで、バーナビーが自分の事を好きであるようだ、お互い相思相愛らしい、というだけでは、浮かれていられるわけもなかった。
相思相愛だからといってすぐに恋愛に発展できるのは、なんの枷もない若者だけだ。
どう見てもバーナビーをこの恋愛に引きずり込むことは、自分は失うものは特にないかもしれないが、バーナビーにとってはリスクが大きすぎた。
彼の将来を潰してしまうし、いろいろな意味で奪ってしまう事にもなる。
自分がバーナビーの事をそんな風に好きだ、と考える事自体が罪悪なのではないか、と虎徹は思った。
今ならまだ引き返せる。
たまさかそういう雰囲気になったというだけで、告白もしていなければ、彼の気持ちを確かめたわけでもない。
ほんのちょっとした気の迷い、で触れ合った事にしてしまえばいい。
若くて優秀で美しいバーナビーの事だ。
すぐに彼にふさわしい素敵な恋人ができるに違いない。
何も、自分のようなうらぶれた中年を相手にしなくても。
そう思うと、なんとなく悲しくなって、虎徹はベッドの仲で身体を丸めてうずくまった。
バーナビーと一緒にいた時の、あの甘い幸福感を思い出すと胸の奥がツキン、と痛んだ。
―――彼が好きだ。
もっと、触れたい。
髪を撫でたい。
唇を重ねたい。
抱き締めて、体温を感じたい………。
いや、そういう無理な事を考えても仕方がない。
自分の立場をよく弁えろ、虎徹は自分に言い聞かせた。
何よりバーナビーの事を思ったら、これ以上進んではいけない事はあきらかだ。
バーナビーの事が本当に好きなら、彼に幸せになって欲しいんだったら、身を引くべきだ。
これ以上進まずに、お互いよき相棒、パートナー、仕事上の同僚として付き合っていけばいい。
それなら、これからもずっと付き合えるし、彼から離れなければならないという事もない。
バーナビーを今後も見守っていてやることができる。
(そうだよな…それが一番いいんだ)
虎徹は何度も自分に言い聞かせ、目を閉じた。










それからというもの、虎徹はつとめてバーナビーと二人きりにならないように気をつけた。
勿論仕事上ではコンビとして仲良く出動したり、トレーニングセンターに行ったりはする。
今まで食事に誘っていたのに突然誘わなくなるのも変だから食事にも行くが、その時は二人きりではなく必ずヒーロー仲間の誰かを誘った。
ブルーローズを誘うこともあったし、アントニオを誘って3人で行く事もあった。
何か言いたげにしているバーナビーには気付いていたが、気付かないふりをした。
バーナビーがちらちらと自分を見てきては、どこか寂しげに顔を伏せるのにも気がつく。
胸が痛んだが、ここで自分まで同調してはいけない。
バーナビーの幸せを考えたら、心を鬼にしてでも、自分がこの思いを断ち切らなければ。
彼よりも十何年も余計に生きてきた分、その分だけ自分には責任がある。
そうこうしているうちに、バーナビーがあきらめたのだろうか、虎徹の方を見なくなってきた。
今まで、デスクで仕事をしているとちらちらと横目で見ては何か話しかけたい様子であったり、もの言いたげな瞳でじっと見ていたりしたが、あるときふと気がついてみると、バーナビーは全く虎徹の事を見なくなっていた。
そうなると虎徹の方が気になって、ちらりと横目でバーナビーを窺ってしまう。
しかしバーナビーは冷然としたままパソコンに向かい、仕事をしている。
自然、食事の時もバーナビーの方が勝手に一人で行ってしまうようになり、虎徹は誘おうと思っても誘う相手がいない、という事態に陥った。
結局昼はバーナビーとではなくアントニオやネイサンなどと一緒に食べたり、あるいは一人でレストランでぼんやり食べることが多くなった。
――これでいいんだ。
自分が考えた通りに進んでいるじゃないか。
バニーは若い。
そのうちすぐ、あんな一時の気の迷いみたいな変な気持ちは忘れるに決まっている。
どう考えても自分のような中年の事を好きになるとか、そんなのおかしい。
美しい彼にふさわしい、素晴らしい女性と恋愛をするべきなんだ。
良かったじゃないか。
自分からいろいろ言わなくて済んだ。
面倒臭い事にもならず、このままスマートに何事もなく、以前と同じような生活に戻れるわけだ。
自分にとってもバニーにとっても、これが一番いい。
特にバニーにとっては。
……そう思ったけれど、理性でそう思っても心の底までは誤魔化せなかった。
いくら頭の中で、彼のため、あるいは自分のため、お互いのために一番いい解決方法なんだ、と思っても、だからと言ってすっきり気持ちも整理がつくというものではない。
反対にバーナビーに避けられるようになってからというもの、虎徹は自分の気持ちを改めて痛感させられるようになっていた。
バーナビーが自分の方を見てこないのが、辛い。
彼に避けられていると思うと、心が千切れるような気がする。
このまま当たり障りのない付き合いで、仕事上の同僚として程良い距離感で付き合っていけるのは分かっているのに、それなのにそれが寂しくて寂しくて辛くてどうしようもない。
仕事をしている時は無理をしてでもバーナビーに気付かれないように振る舞ってはいたが、帰ってきて一人になると、虎徹は自分がいかにバーナビーを好きになっていたか、という事を思い知らされた。
……そうだ。
バニーの事が好きだ。
彼の顔が見たい。
声が聞きたい。
笑顔を見て、一緒に笑い合いたい。
頬に触れたい。
息づかいを聞きたい。
体温を感じたい…。
(……………)
そして、バーナビーだってそう思っていてくれたに違いないのだ。
あの瞬間、二人きりになった時のあの心が触れ合った感覚は、錯覚ではない。
そう思うと、そんなまるで千載一遇のようなチャンスをむざむざ自分は潰してしまった、という事実に、虎徹は心が潰れるような思いを抱いた。
でも、仕方がない。
それがバニーのためなんだ。
彼の将来を思えば、当然のことだ。
自分みたいな、十いくつも年上の、同性の、子供もいるいい大人が、彼のような若くて将来のある若者をたぶらかすなんて、とんでもない事だ。
だからいいんだ、これで。
もう何度そう思っただろうか。
ここの所毎日一回はそう自分に言い聞かせている気がする。
いくら言い聞かせたところで、寂しさは変わらないし、バーナビーに触れたいと思う気持ちが消えることもなかった。
でももう、いくら思ったって遅い。
バニーの方から、自分を見限ったのだ。
一時期は彼だって、自分の方を向いていてくれたのに。
それを自分で振り切ってしまった。
だからしょうがない。
……でももう、二度と、…彼とああいう心が触れ合うような瞬間を持つことはできないんだろうか。
そう思うと心が引き裂かれるようだった。
一緒に食事に行ったり、たわいのないことで笑い合ったり。
彼の生き生きとした表情を見たり、彼の傍でくつろいだり。
そういう事はもう、できないのか。
―――できないんだ。
だって、自分は彼の同僚であって、それ以外の何者でもない。
恋人でもなければ、友人ですらない。
友人と呼ぶには年が違いすぎる。
結局、自分とバーナビーの間には、接点という物が殆ど無いのだ。
ビジネスを離れてしまえば、プライベートでは何も無い。




……という事に今更ながらに気付いて、虎徹は打ちひしがれた。







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