◆おじさんと斎藤さん◆







メカニックルームの仮眠室で起床した時、時刻は既に午後になっていた。
いつもの事だ。
大抵夜中過ぎ、朝方まで私は一人でコンピュータに向かったり実験装置を弄ったりしている。
自宅はここアポロンメディア社からほど近い所にあるマンションだが、滅多に帰らない。
帰って飯を食って風呂に入って寝るよりも、このメカニックルームの自分専用の部屋で過ごした方が効率的だ。
シャワールームもあるし、仮眠室にはベッドも設置されている。
定期的にクリーニングが入るので、ホテル並みに待遇がいい。
自宅で汚く暮らすよりも段違いに快適だ。
そういう訳でその日も私は仮眠室のベッドで目覚めた。
欠伸をしてからベッドを降り、シャワーを浴びて着替える。
白衣を羽織るとすぐに仕事が出来る。
その前に何か食べないと、と思って冷蔵庫からミルクを取り出してレンジで温め、飲みながら栄養補助食品を食べた。
歯を磨けばもう仕事モードだ。
それにしても今日はやけに静かだ。
メカニックルームは元々人がいないが、他のフロアにも人の気配がない。
なんだろう。
疑問に思って私は社内カメラとTVを点けてみた。
突然、大音響でTVから音声が流れた。
ヒーローTVの中継のようだ。
何か事件があったようだ。
私は今起きた所なので全く事態が把握できていない。
見て私は驚愕した。
TV中継されているのは、ここアポロンメディア社の屋上。
そこに、ヒーロー達が集結している。
その中心に立っているのは…なんと言うことだ、タイガーだ。
私はむかっとした。
何故かタイガーが私のスーツではなくて、昔のクソスーツを着ているのだ。
私が精魂込めて作ったスーツではなくて。
しかも、中継を見ていると、そのタイガーを逮捕しようと、他のヒーロー達が迫っている。
『殺人犯』と怒鳴っているのが聞こえる。
アナウンサーが『殺人犯 鏑木・T・虎徹』と言っている。
今日のヒーローTVは新しい企画でも始めたのか。
アレか。
シミュレーションか。
タイガーを犯人に仕立てて、どうやって派手に格好良く犯人逮捕するか、そのデモンストレーションなのだろうか。
別にどうでも良かったが、私としては、とにかくタイガーがクソスーツを着ているのが気に入らなかった。
あのクソスーツは弱い。
炎にも弱ければ張力にも弱い。
なぜあれなんだ。
デモンストレーションをするのなら、私のスーツでやってくれ。
そうすれば、私のスーツがファイヤーエンブレムの炎にも負けず、ブルーローズの氷をも跳ね返し、ロックバイソンの攻撃をものともせず、スカイハイの攻撃にも無傷で、ドラゴンキッドの電撃だって通さない、無敵のスーツだというのが衆目の元に証明されるのに。
むすっとして画面を見ていると、突然画面が砂嵐に変わった。
その前に一般人らしい女の子が屋上にいたから、その子のプライバシー保護か?と思った。
暫くするとまた画面が戻った。
今度はタイガーと他のヒーローたちが普通に話している。
デモンストレーションは終わりなのか?
と思ったが、そこにバーナビーがやってきた。
バーナビーは新しく作成されたスーツを着用していた。
私は驚いた。
これはまだ試作品で、企業のロゴも入っていないものだ。
当分まだ試用段階で実用段階ではないものなのに、…成る程、これもデモンストレーションなのだろうか。
それにしても、私に黙って試作スーツを使うとは……私を差し置いてそういう権限を持っているのはCEOのマーベリック氏だけだ。
これは壮大な宣伝なのだろうか。
そうだとしたら仕方がないが…。
それにしても、随分と真に迫った演出だ。
バーナビーがタイガーを犯人だと鋭く糾弾している。
あのバーナビーにこんな演技力があったとは知らなかった。
これならドラマに俳優として出演してもうまく行きそうだ。
タイガーや他のヒーローたちの演技も上手い。
きっと視聴率もかなりいい所を行っているだろう。
ヒーローTVの新しい企画なんだろうが、こういうのも悪くないかも知れない。
しかし、面白くない。
社内定点カメラを見るに、社屋内に何故か誰も居ないようだし、もしかして何かこのアポロンメディア社自体を舞台にした一大デモンストレーションをしているのかも知れない。
が、自分だけそのことを知らないというのが気に入らなかった。
気に入らなかったが、自分が作成した試用スーツの出来が気になってTVを見続ける。
タイガーとバーナビーが画面から姿を消した。
二人で別な場所に行くらしい。
中継は終わりか。つまらない。
むすっとしたままソファに座っていると、突然メカニックルームの扉が開いて、クソスーツのタイガーが息を切らして入ってきた。
ルームに置いてある私の作ったタイガーのスーツの方へと行く。
そこで私に気付いたらしく、タイガーにしては珍しくびくっとした様子で私を窺ってきた。
「ああー、あっ、…自分は決して怪しいものではありませんっ!…あ、あの、まぁ…怪しいですけど…」
ものすごく焦った様子でそう言いながら頬をポリポリ掻いている。
何言ってるんだろう、おかしなヤツだ。
あぁそうか、クソスーツ着ているから私が気を悪くすると思っているのか?
確かに少々気を悪くはしたが。
折角のデモンストレーションなのだから、私のスーツで華麗にTVに映って欲しかったしな。
なので私は
「なんだいさっきの茶番は。私のスーツを差し置いてそんな格好でTVに出て」
と言った。
そうしたら突然…。
何故かタイガーが突然私に抱きついてきた。
な、なんなんだ!タイガー…!
ちょっと待て。
なんでそんなに感激している。
…というより、抱きつかないでくれ。
タイガーの匂いが私の鼻孔をふんわり擽ってくる。
どうしたらいいか分からなくて、私はただ立ちすくんでいた。
「斎藤さん、本当に良かった。斎藤さん…」
タイガーが感激したように何度も私の名前を呼んでくる。
一体何にそんなに感激しているのか分からないが、とりあえず離れてくれないか…?
そう思ったが、タイガーは離れてくれなかった。
それどころかもっと強く私を抱き締めてきた。
困った。
こういう場面でどう反応したらいいのか、私にはそういうマニュアルがない。
今まで必要無かったし、これからも私には別に必要無いものだから、一切そんな事を考えたりしなかった。
どうしたらいいんだろうか。
私もタイガーを抱き締め返せばいいのか?
それとも、嫌がればいいのか?
「斎藤さん……」
耳元でタイガーが囁いてくる。
耳朶に息がかかって擽ったくて思わずびくっとしてしまう。
しまった。
体温が上昇したようだ。
こんな変化をタイガーに知られたら恥ずかしい。
早く離れてくれ、タイガー。
「斎藤さん…良かった…」
だから、何がそんなに良かったんだ?
私がクソスーツ着用についてあまり怒らなかったからか?
大丈夫だ、タイガー。
私はそんなことをいつまでも怒ったりしないから。
タイガーが漸く私の身体を離した。
はぁ、と息を吐いて私は俯いた。
心臓がいつもの2倍は鼓動を刻んでいる。
脈拍が120は超えているはずだ。
血圧も最高血圧が150以上になっているのではないか。
体調が悪くなったらどうしてくれる。
と思ったのに、更に驚愕する出来事が起こった。
タイガーがなんと私の頬にキスをしてきたのだ…!
いや、挨拶で互いに軽くキスを交わすことはあるのは知っているし、そういう光景を普通に見てきてはいるが…実際自分にされるとは思ってもみなかった。
タイガーの唇は意外な程に柔らかかった。
「斎藤さん、俺のスーツ着ていいっすよね?」
タイガーが聞いて来たので私は慌てて頷いた。
「良かった!じゃあ着替えてきます!」
タイガーが立ち上がって隣のヒーロー専用の準備室へ行く。
その後ろ姿を私は呆けて見つめた。
困った。
頬が熱い。
変なことしないでくれ、タイガー。
血圧がもっと上がってしまったじゃないか。
きっと顔も赤いだろう。
そんな事をタイガーに知られたら恥ずかしくてタイガーに顔を合わせられなくなる。
私は俯いて眼鏡を直しながら、赤くなっているであろう頬を…タイガーの唇が触れた箇所をそっと指でなぞった。
そうしてそんな事をしている自分に気付いて更に恥ずかしくなって、慌てて頬をごしごしと擦った。
頬が赤く腫れて、ちょうど良かった。
なんで赤くなっているのか、追求されなくてすむからな。
「じゃあ、出動してきます!」
タイガーがヒーロースーツを着用して部屋に戻ってきた。
「キヒ!」
赤くなった頬を擦りながら、私はタイガーに向かって指を突き出して笑って見せた。
どんなデモンストレーションをしているのか分からないが、私のスーツを着たタイガーは最高だ。
私のスーツで格好良く活躍してくれ。
そうじゃないと、怒るぞ。
この私の体調をここまで変化させたんだからな。




――まぁ、でもクソスーツもそんなに悪くないかも知れないな。
――直に触れることができるものな。
抱きつかれた時のタイガーの体温や息づかい、柔らかかった唇の感触を思い出して、私はふとそう思った。
そうして、そんな事を考えてしまった自分に気付いて、一人でまた頬を赤らめたのだった。






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