◆オジサンのバレンタイン☆デー◆ 2
その日もそうやってこっそり溜息を吐きつつ、俺は苦手な書類作成に勤しんでいた。
「はい、タイガー、少し休憩したら?」
事務のおばちゃんが俺に珈琲を持ってきてくれた。
「あ、すんません、ありがとうございます」
「バーナビーも少し休んだら?」
「はい、ありがとうございます」
事務のおばちゃんがバーナビーにも珈琲を渡して、それから自分の席に戻る。
俺たちは暫くパソコンから顔を上げて、香ばしい珈琲の香りと味を楽しんだ。
「そう言えばもうすぐバレンタインねぇ。このヒーロー事業部が出来てから初めてだから、どんな事になるかしらね?」
おばちゃんが珈琲を飲んで、バニーに話しかけた。
「バレンタインですか?」
「そうそう。ほら、うちは結構芸能人の窓口になってたりする場合もあるでしょ。誰々さんになんて言って芸能人宛てにバレンタインチョコが届くことが多いのよ。今年はバーナビー、あんたにきっとどっさり届くと思うわよ?」
「え、そうですか?」
「えぇ。だってあんなに人気なんですもんね。雑誌とかでも、恋人にしたい男ナンバーワンなんて言われてるじゃない?」
「いや、あれは…。きっと、煽り文句ですよ。現実にそう思う人がいるとは思えないんですけどね」
いやいや、ここにいるけどな…、と俺は心の中に突っ込みを入れつつ、バニーと事務のおばちゃんを交互にちらちら見た。
「実際には格好良すぎて近寄りがたいかもしれないけど、でもそういう人気のヒーローにチョコレートを、とかプレゼントを、ってのは乙女の夢じゃない?いっぱい来るわよ。あ、そう言えば……タイガー?」
「…へ、俺?」
「あんたにもまぁ、…いくつかは来るかしらね。って言うかあんたは昔からヒーローやってるんだから分かるでしょ?前の会社にいた時どうだったの?」
「え……?そ、そういや、…あー、そうっすね、若い頃は…来てたかな?」
突然話を振られて、俺は顎に手を掛けて考えた。
バレンタイン、か…。
そう言えば5、6年前の俺が全盛期だった頃は、段ボール1箱ぐらいは来ていたような気もする。
チョコレートにお酒とかマフラーとか、そんものだったかな…。
みんな友恵に渡しちまっていたから、よく覚えていないんだが。
一人になったあともぽちぽち来てたような気はするが、あんまりよく覚えていない。
やっぱりそのまま実家に送っちまってたからだろうか。
自分じゃそんなにチョコレートとか食わねえしな…
「うーん……一番来てた時で、段ボール箱1箱ぐらいはもらってたかもしれないっすね…」
「そうでしょ?タイガー、あんたでさえそれなんだから、バーナビーなんて段ボール箱20箱ぐらい来そうじゃない?」
「えっ、そ、そんなにっ……、あー、うん、バニーちゃんだったらそうかもなぁ…」
「そうですか?」
「まぁいいのよ。ほら、会社に送られてくる物なんだから、なんでもありがたくいただいておけば。ただ中にはプレゼントにかこつけて嫌がらせとかしてくるヤツとか、ストーカーっぽいファンもいるからやっぱり気をつけないとね…。その辺はアポロンメディア社の方できちんと選別してくれるから大丈夫だと思うけど」
「……そうですか…結構大変なんですね」
バニーはあんまりそういうのは好きじゃないんだろうか。
俺なんか、……まぁもらったものはみんな実家に送っちまったけれど……でもプレゼントをもらうのは好きだし、わくわくするけどなぁ…。
バニーは、……顔とか頭とかのスペックが高いから、昔からプレゼントなんかもらい慣れてんのかも知れねぇなぁ。
俺はぼんやりバニーを眺めてそう思った。
もしかしたら、大学の頃とかもどっさりもらってたのかも知れねぇな…。
今だって、考えてみたらバニーの所には毎日何かしらプレゼントが届いている。
手紙だったりリボンの掛けられた綺麗な箱だったり、いろいろだ。
たまに会社でそれをバニーに渡している場面に遭遇する。
俺がいない時にも渡してるんだろうから、きっとすげぇ量なんだろうな。
―――にしても、バレンタインか……。
バレンタイン、っつったら、やっぱりどんなのが嬉しいかな…。
俺はぼんやり、自分の高校時代を思い出した。
一番印象に残っているのは、初めて友恵が俺にくれたチョコレートだ。
手作りですごく個性的、というかまぁ別の表現をすれば不器用って事になっちまうな、そんな感じで何を作ったのか分からなかったけれど、後で聞いたら虎だったそうだ。
でもすごく嬉しかった。
…………そうだ……!
手作りのチョコ……。
突然俺は迷案が、いや、名案が思いついた。
バレンタインと言えば、好きな人にチョコレートをあげて告白する日だ。
つまり、バニーに俺の手作りのチョコを上げてもいいんじゃねぇ?
だって俺、バニーの事好きなんだもんな。
……なんて、……どう考えても、正気の沙汰じゃねぇな。
気持ち悪すぎる……。
でも、手作りなら、作ってる間に自分の熱い思いをチョコに込めることができる。
チョコを作ってる間中、バニーの事を想っていられるわけだ。
悪くねぇよな。
いや、まぁ気持ち悪いけどさ、でも、自分の気持ちを整理できそうじゃねぇか。
しかも、俺がバニーにチョコレート、なんてあげても、絶対冗談だと思われるに違いない。
バニーが本気にしなければ、俺のこの気持ちだってばれねぇわけだ。
ばれたら気持ち悪がられてどんな事になるか分かんねぇけど、冗談だって事にしちまえば大丈夫だ。
そうだ、どうせなら思い切り気持ちを込めて、こてこての手作りのチョコを作ってやるか。
そうしたらこの俺の辛い気持ちも、吹っ切れるかも知れない。
手作りのチョコをバニーに渡して、バニーが冗談って笑い飛ばせば、一緒に俺も自分を笑い飛ばせるかもしれない。
出口のないこの煮詰まった気持ちが吹っ切れるかも知れない。
一応チョコをあげるんだから、告白はできた事になるし。
―――よし、そうしよう。
思い立ったら直情径行なのが俺の良い所でもあり悪い所でもある。
とにかく毎日いやらしい夢を見て行き詰まっていた俺にはそれが唯一の解決方法のような気がして、すっかりその気になってしまったのだった。
と言う訳で早速俺はその日の帰り、近所のスーパーのチョコレート売り場に赴いた。
ブロンズステージのスーパーとは言え、それなりに華やかに可愛らしくバレンタイン特設のディスプレイがされている。
小さな物から大きな物、安い物から高い物まで様々なチョコレートが綺麗にラッピングされ、色とりどりに飾られていた。
完成品が殆どだったが、それ以外に手作りしよう!コーナーがあった。
そこには原料のチョコレート、ハート型などの型枠など、チョコレートから器具までありとあらゆる物が揃っていた。
俺はいかにも誰かに頼まれたという振りをして、さりげなく原料のチョコレートを買った。
買ったチョコレートは、かなり大きな正方体と長方体の塊を一つずつ。
俺が食べるチョコレートの1年分ぐらいはありそうだった。
それからラッピングコーナーに行って綺麗な箱ときらきらしたリボンも買った。
リボンは自分で結ぶのは心許無いから、既に整形されている、貼り付ければできあがり、というリボンだ。
カードも付いていた。
きらきら光る紙に薄いピンクのハートがいっぱいに散っている可愛いカードだ。
こんなもん使えるかと思ったが、いや、どうせならこれぐらい使った方が開き直っていいか、とも思い直した。
それから一週間ほど、俺は毎日仕事から帰ってきて時間を作り、チョコレートの整形に取り組んだ。
ナイフを数種類使って、正方体のチョコレートを少しずつ削っていく。
正方体の方はバニーが乗っているチェイサーの形に、長方体のやつはバニーのヒーロースーツの形に削る事にした。
ナイフを使うのは得意な方だが、そうかと言ってバイクやヒーロースーツのような細かいものを作るのは難しい。
最悪欠けちまったら溶かしてくっつければいいんだが、とにかく俺は仏師が仏像を彫るように注意深く少しずつ、チョコレートを削っていった。
こんなに集中した事は無いっていうぐらいだ。
削ってぺらぺらの一片になったチョコレートをちょっと口に入れてみる。
大人用のビターなやつを選択したので、それはほろ苦く口の中でふんわりと溶けた。
注意深く少しずつ削っていけば、だんだんバイクやヒーロースーツの形が浮き上がってくる。
訳もなく嬉しくなる。
なんつってもこれは俺の愛の結晶だからな。
はっ、自分で言っておいて気持ちが悪いが、――でも本当だ。
こんな事考えるなんて、全く、気が変になったとしか思えないよな。
でも少しずつナイフで削っていると、自分の気持ちがそこに込められていくような気がする。
あらかた形を作って、そこから細かく模様をつけていく。
一週間掛けて、まぁまぁ満足のいく出来に完成した。
さすがにプロが削ったみたいにはできてねぇが、とりあえずまぁ何を作ったか分かるぐらいにはなった。
できたヒーロースーツとバイクを壊れないように付属の紙で包み、ふわふわした緩衝材が入った箱に丁寧に詰める。
カードはどうしようかと思ったが、きらきらとしたハートの散ったカードに、
『愛を込めて 鏑木・T・虎徹』
と堂々と書いてやった。
書いたカードを入れてラッピングをし、最後に上に華やかな飾りリボンを止める。
止めた部分にハートのシールを三カ所ほど貼ればできあがりだった。
かなりでかい箱になった。
気をつけてリボンを掛けたつもりだったがやはりちょっとよれてぐちゃっとなっているのが、いかにも手作りで作りましたって感じだ。
が、その手作り感が悪くない。
ひとしきり箱を手に持って前後左右から眺めて悦に入って、それから俺はそれをテーブルの上に置いて眠った。
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