◆すれ違いあっちこっち◆ 5




「ねぇねぇ、昨日どうだったタイガー?」
次の日、バーナビーがトレーニングセンターに行くと、既にトレーニングをしに来ていたネイサンが待ちかねたようにバーナビーに近寄ってきた。
「こんにちは…」
「催眠、かかってたかしら?やっぱりかかってなかった?」
「……いえ、かかってたと思いますよ…」
「えー!そうなの?」
ネイサンがぱっと目を輝かせ、バーナビーをにやにやしながら見つめてきた。
「じゃあ、あれからタイガーの様子が違ったのねぇ?どういう感じに?」
「おはよ…」
「あ、虎徹さん、おはようございます…」
その時、虎徹が軽く欠伸をしながら部屋に入ってきたので、会話は途切れた。
バーナビーは、虎徹に気付かれないよう、ネイサンに小さい声で話しかけた。
「あの、すいません、お願いなんですけど」
「なーに?」
「虎徹さんにかけた催眠ですけど、解いてもらえます?」
「……あ、そうねぇ、かかってなかったらそれでいいんだけど、かかってたらちょっと面倒かしらね?ハンサム、なぁに、昨日タイガーに迫られたのぉ?」
ネイサンが教えなさいよ、という感じでひそひそと話してきたが、バーナビーは誤魔化し笑いをして答えるのは避けた。
「まぁ、ちょっと…」
「んもう、ちゃんと教えなさいよぅ…秘密なのっ?……しょうがないわねぇ。タイガー、こっちいらっしゃい!」
「へ…?なに?」
虎徹がネイサンとバーナビーを見て、特にバーナビーの方ににこにこと笑いかけながら近寄ってくる。
「はい、ここ座って?」
ネイサンが有無を言わさず虎徹を座らせる。
ネイサンが怪しげな催眠術用の専門の道具を虎徹の前に突きつけて、それを揺らして催眠を解く様子を、バーナビーはじっと見つめた。










昨日、虎徹を抱いてから――。
あれから虎徹は泊まり、今朝、彼を彼のアパートまで送り届けてからバーナビーは出社した。
一晩寝たら催眠が解けているかもと危惧したが、今朝になっても虎徹は相変わらず催眠がかかっていた。
おはよ、と言ってバーナビーに擦り寄ってきて、キスをしてきた。
昨日一晩、虎徹が隣にいるというだけで殆ど眠れなかったバーナビーの目を、一瞬にして覚まさせるキスだった。
愛情の籠もったアダルトなキスだった。
キスをしながら虎徹がこれ以上ないというほど親愛に満ちた笑顔をバーナビーに向けてきた。
それは夢にまで見ていた事なのだが…。
――しかし。
催眠に掛かっている虎徹があまりにも普段と違うのに、反対にバーナビーは恐怖の念を抱いた。
同時に罪悪感も生まれた。
さすがに、これは……。
虎徹に対して酷い仕打ちなのではないか。
いくらなんでも彼を騙し過ぎだ。
そう考えると罪悪感で胸が塞がるようで、バーナビーはネイサンに彼の催眠を解いてもらうように頼んだというわけだ。
とりあえず、自分は一度、彼を抱けたから、いい。
それで十分だ。
そう自分に言い聞かせる。
「…………」
やがて、催眠が解けたらしい虎徹が、ぱちぱちと瞬きをして、半ば呆然としてネイサンとバーナビーを見上げてきた。
「………あれ…」
「はい、解いたわよ、どう、タイガー?」
「どうって…」
「アンタ昨日、アタシの催眠術馬鹿にしてたでしょ?それでアンタに催眠かけてみたってわけだけど、覚えてる?」
「……あ、あぁ、覚えてる…」
「あ、そ。じゃ、もうアタシの催眠術が嘘とか言わないわよね?」
「……あ、そ、うだな、言わねえ、よ…」
「あらぁ、素直で反対に不気味だわぁ…どうしたの、タイガー?」
呆けたように言葉を紡ぐ虎徹にネイサンが不審を抱いたようだった。
「や、その…別に…」
「そういえば、催眠にかかってた時の事も覚えてるわよね?」
「……あぁ、覚えてる……っていうか…」
「じゃ、記憶も大丈夫ね。どう、アタシの催眠術、完璧でしょ!」
「……そうだな、…専門家になれるかもな…」
「あら、そこまで褒めてくれなくてもいいんだけど…でも嬉しいわぁ!で、どうだったのぉ、ハンサムに迫ったの?」
虎徹に褒められてネイサンが破顔する。
その二人の様子をバーナビーは少し離れた所からじっと見つめた。
呆けていた虎徹が顔をゆっくりと動かして、バーナビーを見た。
「…………」
その琥珀色の瞳が一瞬燃え、虹彩が狭まり、視線が忙しなく揺れて、それから逸らされる。
「虎徹さん、ちょっとお話があります」
「あ、あぁ、俺も…」
「じゃ、ロッカールームの方で…」
「あらなに、アタシに秘密の話あんのぉ!」
不満そうなネイサンを後にして、バーナビーは虎徹が後を付いてくるのを確認してからロッカールームへ向かった。










「……あのよぉ、その…昨日の事なんだけど」
ロッカールームに入るなり、虎徹が顔を赤くしてもごもごと言ってきた。
「……なんですか、虎徹さん?」
「なんだってって……え、いや、その…あー……っ!」
うまく言えないのがもどかしいのか、虎徹ががしがしと後頭部の髪を掻き毟った。
「だからっ、…なんだよ、あの、昨日のはよ!俺になんであんな催眠かけたんだよ!」
どうやら、全部覚えているようだ。
そうならば今更誤魔化してもしょうがない。
バーナビーは開き直ることにした。
「昨日あなたが催眠なんてかからないって豪語するから。…どうせなら思いっきりかかりそうにないものをお願いしてみたんですよ」
「そ、それにしたって、アレはねーだろ!」
虎徹が顔を真っ赤にして怒鳴ってきた。
「…いやでしたか?」
「いやとかそういうんじゃなくて…そのっ、アレは…」
頬も目元も赤い。
それだけではなくて、目が潤んで涙目になっている。
やはり、可愛い。
……そう思ってしまって、バーナビーは肩を竦めた。
昨日は、催眠にかかっていたから、あんな風に可愛く自分を慕ってくれたのだ、彼は。
催眠が解けた今となっては、あんな風に無防備に擦り寄ってくることなどないだろう。
けれど、やはり可愛い……。
「昨日のあなたでしたけど、僕も驚きました。もしかして男同士の経験があるんですか?身体も痛くなさそうでしたし…」
「…は?いや、ねーよ!あるわけねーだろうが!ってか、身体もいてーって!」
思わず大声を出して主張して、虎徹が自分の発言の内容に更に顔を赤くする。
「たくなんで、あんな事っ…つうか、お前もその…、アレはなんで…」
今更ながらに昨日のセックスを思い出したのだろう、口籠もって俯き頬を染めて額から汗を滲ませている。
「なんでって言われても、昨日は恋人同士だったんですから当然じゃないですか?そうでしょ?」
「……そ、そりゃ、その、恋人なら……って、……だっ!もう、いい!この話、終わりなっ!俺はトレーニングしてくるっ!」
顔を真っ赤にしたままどたどたとトレーニングルームの方へ走っていく後ろ姿を、バーナビーは複雑な心境で見送った。





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