◆茨の冠◆ 31








少なくとも今は、彼の前で取り乱したりして、醜い姿を晒さなくて済みそうだ。
このまま彼に負担を掛けずに、感謝をして終わりにする事こそが、自分の最後にするべき事なのだ。
差し出していた指輪を手元に戻し、蓋を閉める。
一度その深いえんじ色のビロードの箱に目を落とし、一呼吸して、それからバーナビーは目をあげて虎徹を見た。
声が震えないように、できるだけ穏やかに冷静にしゃべろうと思った。
「分かりました。……では、虎徹さん…」
「………」
虎徹が眉を寄せて、自分を見つめてくる。
その目をまっすぐ見つめ、バーナビーは、自分の心配は要らないから、というように薄く笑った。
「……今までお世話になりました。ありがとうございました。今後は僕たち、個人的な付き合いはやめましょう。これからは、仕事の上での良き相棒として、お願いします」
ちゃんと言えた。
大丈夫だ。
声は少し震えてしまったけれど、でも感情的にならないで穏やかに言えた。
虎徹に対する感謝の気持ちも込めることができた。
―――大丈夫だ。
「……え?」
しかし、自分のそういう台詞は予想していなかったのだろう。
虎徹が、虚を突かれたような表情をした。
何かもっと、……虎徹に『大丈夫だ』と、自分の事を気にしなくてもいい、と言いたかった。
だが、さすがにこれ以上、感情を見せずに冷静に言葉を紡ぐのは、無理なようだった。
「じゃ、また、会社で。……おやすみなさい…」
そう言って笑顔を作って、虎徹の顔を見る。
虎徹は表情を固まらせたまま、自分を見ている。
バーナビーは目を伏せ、踵を返して虎徹の部屋の扉を開けた。
扉を後ろ手で静かに閉め、外に出る。
アパートを出て階段を降り、停めておいた自分の車に乗る。
持っていた指輪の箱を助手席に置き、一度目を瞑って深呼吸をする。
車のエンジンを掛け、発進させる。
たちまち虎徹のアパートの扉が遠ざかる。
バックミラーに映っていたアパートが小さくなり、視界から消える。
車をゆっくりと運転し、幹線道路を上の階層に向かって昇る。
海沿いにぐるりと円を描く幹線道路を上がっていくと、少しずつ視界が開け、自分の住むゴールドステージの華やかな光やその周りに暗く広がる海の黒、その上の薄い星の光が目に入ってきた。
寒々とした夜空に、半円の月が上がっている。
白く光る月が、夜の空の中でただ一つ、皓々と照り輝いている。
(……………!!)
不意に、――本当に突然。
抑えられていたはずの感情がぶわっと爆発して、バーナビーは思わず息を詰めた。
堪えていた反動だろうか、一気に視界が潤む。
涙が溢れてきて街の光が滲む。
車を運転している途中だから、涙を拭くわけにも行かず、下を向くわけにも行かない。
しきりに瞬きをし、唇を強く噛んで嗚咽を堪える。
それでも涙はぽろぽろと、目尻から頬を伝って滴り落ちた。
顎から滴って、ライダースジャケットへと染みこんでいく。
「……ぅ……ん……っ…!」
嗚咽も堪えきれなかった。
誰も見ていないから、いい。
家に帰るまで、一人で運転しているだけだし、夜の車の中なんて誰も見やしない。
家に帰ったって、自分一人だ。
いくら泣いたって、誰にも分からない。
腕が震える。
嗚咽が漏れる。
―――大丈夫。
大丈夫だ、バーナビー・ブルックスJr.。
ちゃんと彼に言えたじゃないか。
ありがとうございました、と。
……そう、これからは、仕事上の相棒として、穏やかな関係を築いていけばいい。
大丈夫だ。
今までだって、小さい頃からずっと一人で、きちんとやってきたじゃないか。
自分は、なんだってできる。
努力だって人よりも何倍もしてきた。
今はそうやって、ヒーローとして独り立ちもしている。
長年の懸案だった両親の復讐も果たした。
頑張ってきたじゃないか。
だから、これからだって、今まで通り生きれば大丈夫だ。
(虎徹さん……)
――駄目だ。
………考えてはいけない。
マンションに戻る。
簡易にシャワーを浴びて、すぐにベッドに倒れ込む。
寝てしまおう、と思った。
何も考えずに、とにかく寝てしまおう。
明日になったら気分を一新して、彼と良い関係を築いていけばいいのだ。
……そうだ。
………そうしよう。
眠れそうにないので、ベッドサイドに置かれていたピルケースから睡眠導入剤を取り出し、数錠水と共に嚥下する。
布団を被って中に潜る。
胎児のように身体を丸めて、バーナビーはじっと暗がりの中にうずくまった。



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