◆茨の冠◆ 33
今は喪失感が耐え難いけれど、きっと大丈夫。
本当に彼を失ってしまう事を考えれば、我慢できるはず。
彼に抱き締められたり、一つに繋がった一体感を感じるような、そんな夢のような事はもうないけれど、でも彼とは仕事の上で一緒に過ごすことができる。
これからも彼の良き相棒として仕事をして、彼を助け自分も助けられて、そして、健全なある程度の距離のあるバディとして過ごしていけばいい。
それが一番、自分にとっていいはずだ。
自分にも最上の選択であるし、虎徹にとっても一番の選択だ。
何もかも、うまく行く。
破綻も無いし、自分が破滅する事も無い。
今までよりもずっと、仕事もうまく行くし、人間関係も円滑になる。
何より、虎徹を失わないで済む。
ある程度の距離はあるにしろ、彼と一緒の空間にいて、彼とコンビを組んで、ずっと仕事をしていけるのだから。
――――あぁ………。
………でも、…………寂しい。
一生懸命理性をかき集めて、今回の選択が虎徹にとってというよりは自分にとって一番いい選択だったんだ、と思い込もうとしても。
必死で理性を動員しても。
一度、『寂しい』と頭の中にその単語を思い浮かべてしまうと、――理性はあっという間に瓦解した。
現実問題、距離を取る事は、自分にとって一番いい選択だった。
それは確かだ。
これ以上自分が壊れないようにするためには、そうするしかなかった。
ベストとは言えないかもしれないが、一番ベターな選択だ。
いや、ベストと言わざるを得ない選択だ。
けれど、…………寂しい。
虎徹の使っていた枕を胸元に抱き締め、バーナビーはそれにそっと顔を埋めた。
虎徹の残り香がする。
鼻一杯に吸い込めば、胸にナイフでも突き刺さったように鋭い痛みが走った。
―――恋しい……。
虎徹が恋しい。
会いたい。
抱き締められたい。
体温を、感じたい。
――いや、でも、もう二度とそんな事は無い。
ダメだ。
自分で決めた事だ。
自分の決断には、間違いはない。
よくよく考えて、決めた事だ。
だから、今のこの苦しさは、自分で我慢するしかない。
克服するしかない。
乱れた思考を少しでも散らそうと目を上げれば、ベッドヘッドに置かれた携帯が視界に入った。
息が詰まって、苦しくなる。
今手を伸ばして携帯を取って、一番最初に登録してある彼の電話番号に電話さえすれば。
そうだ。
そうすれば、虎徹はすぐに来てくれる。
今すぐ来てください、と我が儘を言っても、絶対にすぐに来てくれる。
彼は、そんな人だ。
自分の部屋に駆けつけてくれて、自分がこうしてベッドに入っているのを見たら。
彼は自分を抱き締めてキスをして、身体全部を撫でてくれる。
そして、セックスをしてくれる。
優しく包んでくれる。
暖かい言葉と優しい愛撫で、自分を癒してくれる……。
ちょっと手を伸ばして電話を取って、画面に触れさえすればいい。
そうすれば、虎徹に繋がる。
繋がれば、彼は来てくれる。
ほんの数秒の動作だ。
それだけで、彼に抱いてもらうことが出来る。
ほんの少しの動作で。
いや、………でも絶対に駄目だ。
それだけは、やってはいけない。
何があろうと、駄目だ。
もし、今ここで自分の苦しさに負けて、虎徹に電話なんかしてしまったら。
虎徹とセックスをしてしまったら。
そうしたら、せっかくの覚悟が全て台無しになる。
自分はまた虎徹の事が気になって、彼が自分の目の届く範囲にいないと不安でいらいらして腹が立って、――自分が制御できなくなってしまう。
もしもっとひどくなったら、……下手をしたら、虎徹を殺してしまうかもしれない。
いや、そこまでは絶対にしない、……と言い切れない自分に、バーナビーは恐怖を覚えた。
自分が分からない。
激高の余り、してしまう事だってあるかもしれないと思った。
自信が、無い。
―――絶対に、駄目だ。
そんな事は、絶対に。
虎徹を不幸にしたいわけではない。
虎徹には、幸せになって欲しい。
自分の一番の願いは、それなんじゃないのか。
虎徹を苦しめ、不幸にさせていいのか。
………駄目だ。
だから、自分の決断は間違っていない。
今ここで、自分が我慢しなければ駄目だ。
心臓が痛む。
ずきずきと痛んで、バーナビーは胎児のように身体を丸めて、ベッドの中にうずくまった。
布団を頭から被り、虎徹の匂いのする枕を脇に押しやる。
彼の匂いのする枕などを抱いているから駄目なのだ、と思ったが、しかし、枕を脇にやると胸の中にぽっかりと穴が開いて、空虚感で胸をかきむしりたくなった。
無意識に手を伸ばして、また虎徹の枕を胸に抱き締めてしまう。
仕方がない。
このぐらいは許してもらおう。
彼本体ではないのだ。
虎徹の代わりに抱き締めるぐらいは、許してもらおう。
大丈夫。
自分は我慢できる。
顔を上げてベッドヘッドに置いたグラスを取り、ワインと共に睡眠薬を流し込む。
鎮静作用の入った強い薬だ。
医者に無理を言って処方してもらった。
酒ととも飲み下して、再びベッドの中に身体を丸めてうずくまる。
やがて、引き込まれるような重い深い眠りがバーナビーを包んだ。
夢も何も見ない、昏睡状態のような、深い深い意識のない眠りだった。
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